教化、侵食
勘弁して欲しいとキリングは思った。
ただでさえ春先は忙しいのに、余計な騒ぎなど起こして欲しくはなかった。
十字軍? 大皇国? 馬鹿馬鹿しい。そんなものを今さら復活させてどうしようというのか。よしんば全てが上手くいったとして、そこから何をどうするつもりなのか。
猿山のボスではあるまいに、玉座について満足ということはあるまい。きっと何かしらの目論見があるはずで、そうであって欲しいとキリングは切に願っていた。
(でも、何にも考えてねえんだろうな)
冒険者ギルドにもそういった輩はいる。ギルドの幹部になりたい、ギルドマスターになりたい、ただそれだけの理由で裏工作を行う者が。
その先の展望など何も考えていない、人より抜きん出たいだけのただの馬鹿。そんな奴ほど行動力があり、実力も伴っているものだから手に負えない。
現法王もその手の人間なのだろう。聖職者なんてとんでもない。正真正銘、立派な人間。ある意味では正しく生きている俗物に、キリングは小さく舌打ちをした。
「全てを」「正しく」「あるべきところに」
「全てを」「正しく」「あるべきところに」
「うるせえぞ、おめえら!! 黙って寝てろ!!」
ごうと戦斧を振り回し、教会の信者たちをまとめて吹き飛ばす。
それだけで男や女がギルドホールの壁にぶつかり、くずおれていったが――。
殺しはしない。ただ気絶させ、縛り上げるだけだ。様子がおかしくなったとはいえ、彼らもギルド所属の冒険者。責任者であるキリングとしては、なるべく穏便に事を納めたかった。
(って言ってもよぉ)
「ぃぃぃ……」「ぁぁぁ……」
信仰心が篤い者ほど自我が薄い。そして、そういった者ほど耐久力があった。
きっと何かしらの加護を受けているのだろう。ゾンビのごとく立ち上がった信者たちは、多少の怪我など物ともせずに剣や杖を振り上げた。
「だから……!」
「す、全てをぉぉ」「正し、くぅぅ」
「うるせえっつってんだろうがっ!!!」
イースィンド最強の《グラビトン・ファイター》が、重力操作によって信者たちを地面に縫い付けた。
彼らの体にかかる重力は通常の十倍。指さえ持ち上がらない本気の【グラビトン】に、信者たちはあえぐことさえ出来なかった。
そして――。
「お、お疲れ様です」
「お見事でした、マスター」
百人近くいた信者たちが意識を失った頃、下がっていた冒険者たちがホールに入ってきた。
キリングからみなぎる闘志。そしてその怒りの形相に、若干及び腰ではあったものの――。
彼らは指示されずともテキパキと動き、倒れ伏した仲間たちを治療、捕縛していった。
「キリングさん! これで全部です!」
「様子のおかしい者は、軽微な者も含めて縛り上げておきましたが……」
「おう」
「これからどう動きましょうか? 聖都に攻め入るのですか?」
「そうしましょうよ、キリングさん! あんな街ひとつ、俺たちで落としましょう!」
「法王の野郎を血祭りに上げるんでさあ!」
多少の混乱はあったものの、元は血気盛んな冒険者たちだ。
すぐさま威勢を取り戻し、拳と共に怒号を上げ、そのうねりは段々と大きくなっていった。
しかし、その中心にいるキリングだけは――。
「いや、まだだ」
「え?」
「まだ早えっつってんだよ」
言うなり、彼は近くにいた者の顔を鷲掴みにし、床に叩きつけた。
飛び散る建材。空気さえ震わせる轟音。唖然とする冒険者たちに見つめられ、キリングはゆっくりと口を開く。
「こいつもだろうが。縛って閉じ込めとけ」
「えっ?」
「あ、あっ!?」
半ば床に埋まった若者の手。そこにはナイフが握られていて、それはランプの灯りを反射してぬらぬらと光っていた。
「いや、だって、こいつは……!?」
先ほど、聖都を落とそうと言っていた青年だ。
それがどうして、こんなことに――?
「だってもどうしてもねえ。教会の奴らはそういうことが出来て、おめえらにはそれが見抜けなかった。それだけの話だろうが」
「す、すみません」
「注意していたのですが……」
「なんで謝る?」
「い、いや……」
「謝るのは教会の奴らだろうが」
その言葉に、冒険者たちはハッとなってキリングを見た。
怒ってはいない。昂ってもいない。表面上は穏やかなもので、そこには荒々しさなど微塵もなかった。
そう、表面上は。あくまで淡々と語るキリングは、だからこそ危険なのだと冒険者たちは知っていた。
「この落とし前はつけさせてやる。ああ、ただじゃおかねえぞ! 法王の野郎、ギルドに喧嘩を売ったらどうなるのか、身をもって思い知らせてやる!!」
ふつふつと沸き立つマグマのような怒り。
それが火山のように噴火して、辺り一面を赤く染める日は近い。
ギルドマスター、キリング。彼の二つ名は「皆殺しのキリング」。こうなった以上、血の雨が降るまで彼は止まらない。その光景を脳裏に思い描き、冒険者たちは顔を青くし、再び顔をうつむけるのだった。
貴大、ルートゥー、メリッサにアストレア。
この世界における最強戦力たちは、今、崖の上から十字軍を眺めていた。
「よくもまあ、ここまで膨らんだものだ」
「あれ全部信者なんでしょ? 凄まじいなあ……」
呆れとも感心ともつかない表情を浮かべ、ルートゥーとアストレアはううむと唸った。
彼女らの視線の先、草木がまばらに生える平野には、数万もの教会の信者が集結している。農夫、町娘、冒険者に旅の商人。まるで統一感のない老若男女たちは、しかし一様に瞳の色を濁らせて、何やら指示を出している神官たちをじっと見ていた。
「あっ、動き出した!」
「東西南北、全方面に部隊を分けるのか? 二正面作戦どころの話ではないな」
「それがあの人たちのやり方なんだよ。道中、合流してくる信者たちを受け入れて……それでも足りないなら【教化】してでも数を増やす」
「無理矢理信者にするのかい? ゾッとしないね」
かつてメリッサがそうしたように、教会の神官たちも同じように手駒を増やす。
もちろん、彼らに人工聖女のような力はない。自由意思を奪い、傀儡のように変える【教化】しか使えないが――それだけでも十分、脅威になり得た。
信者に変えられるのは、その国の国民であり、隣人、知人、愛する人や親兄弟なのだ。親しい者に剣を向けることなど出来はしない。【教化】された信者は、十字軍の剣であり、盾であり、同時に人質としても機能するものだった。
「早く止めないと取り返しのつかないことになる。みんなみんな【教化】されちゃうよ」
「ならばどうする? まずは神官どもを片づけて回るか?」
「ううん……」
メリッサは首を横に振った。
そしてキッと遠方を見据え、決意を込めた声で言った。
「法王を倒そう。今の教会の象徴を消そう。そうしたら……」
「操られている神官たちも、それによって操られている【教化】信者たちも、元に戻るかもしれない。そうだね?」
こくりとうなずくメリッサ。
もしかすると、事態はもっと複雑かもしれなかったが――。
それでもこれ以上、法王を放っておくのは危険なことだと彼女には思えた。
「そうと決まれば聖都に行こう! 僕らで法王を倒すんだ!」
「ああ、行こう! 調子に乗った法王を捻ってやるのだ!」
「うん!」
胸の前で両手をギュッと握り、メリッサは大きくうなずいた。
そして後ろに振り返り、その手を貴大とへとまっすぐに伸ばす。
「さあ、行こう、タカヒロくん! 法王を倒しに!」
ひとり立ち尽くしていた貴大は、わずかに鈍い反応を見せたが――。
メリッサの手を取り、小さいながらも確かに首肯した。




