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凶報

 十字軍の目的は単純明快なものだ。


「取り戻すこと」。奪われた全てを取り戻すこと。


 力を、栄華を、失地を、自由を、不当・・に奪われたものを全て取り戻す。


 十字軍はそのために結成された軍団であり、目的を果たすまでは決して止まることはない。道を塞ぐ者があればこれを排し、賛同者があればこれを快く迎え入れる。そして拡大、進行を続け、やがては大皇国としての権能を取り戻すのだと――。


 彼らはそう言っているのだ。


「世迷言を……!」


 報告を聞いたイースィンド王、ラセルナは、顔をしかめて呻くように言った。


「誰がそんな戯言に耳を貸すのだ」


 御年60歳、老齢に入った大国の王は、すっかり白くなった頭を両手で抱えた。


 混沌龍の襲撃。原因の分からぬ怪事件。悪神と思しき者の暗躍。そして王都への襲撃と、ここしばらくは心休まる暇がなかった。そこに一区切りをつけるために勇者を招いたのだが――時代錯誤の馬鹿のおかげで全てが台無しだ。これでまた国内の情勢が不安定になるだろう。


 いや、これはイースィンドだけで収まる問題ではない。十字軍の目的を考えれば、北は諸島連合、南はロマリアまで、遍く国家が渦中に巻き込まれることだろう。在りし日の大皇国は、それほどまでに大きな力と領土を持っていた。


「バルトロアとの折衝も終わっておらぬのに……」


 悪神に誑かされたと思しき王子が、軍勢を率いて国境線まで近づいた。結果として大事には至らなかったが、その事実を捨て置けるほど大国というものは軽くない。しかし一方で、問題視し過ぎて相手を怒らせるという事態も避けたかった。


 そのちょうどいい「落としどころ」を探るべく、ラセルナは重臣たちと、そしてバルトロアの使者たちと議論を重ねていたのだが――。


 何とか道筋が立ちそうなところで十字軍のお出ましだ。他国への侵攻というデリケートな議題を扱っているところに、よりによってあの十字軍。かつて十字軍の主力として、布教、侵略に大いに貢献したイースィンドとしては、今さらそのようなものを持ち出して欲しくはなかった。


「法王の懐古趣味にも困ったものですね」


「いや、違うな。あれは季節風邪のようなものだ。定期的に結成し、その野心を露わにする」


「地道に活動を続ければ、自然と喜捨も増えましょうに」


「それが我慢できんから十字軍など結成するのだ。しょせんは過去の栄光を忘れらぬ俗物よ」


 何度過ちを繰り返そうとも、この世から教会は無くならない。


 人の心から信仰が失われないように、その拠り所もまた、存続し続けるのだ。


 同じように、人の欲望もまた、無くならない。巨万の富を得ても、確固たる地位についても、欲望だけは心の中にあり続ける。


 例外となるのは一部の聖人だけだろう。神の声を聞き、使命を果たすためにその身を捧げる聖人。そういった超越者のみが、人が持つ欲望から自由になれる。


 しかし現法王アロウドマティスは、滑稽なまでに正しく俗人だった。






 ブライト孤児院の院長、シスタールードスは激しく狼狽していた。


 十字軍? 聖都サーバリオに信徒が集い、聖なる軍団を結成した?


 人々を癒し、救うことを目的とした教会が、失地回復のために侵攻を開始したと?


 とても信じられる話ではなかった。聖都には彼女の知人もいる。親しい友も働いているのだ。そういった人たちが全て、十字軍に加わり、近隣諸国に向かっていると?


(信じられない。いえ、信じたくない……)


 十字軍の理念に賛同したわけではあるまい。無論、自主的に参加したわけでもないだろう。


 ならば、脅されて? それとも最後まで抵抗し、反乱分子として殺されてしまったのだろうか。


(いえ、きっと、きっと無事でいるはず)


 凶報を聞いてから、嫌な考えしか浮かんでこない。


 それほどまでに十字軍の結成は急な話であり、ルードスが知る聖都の人たちとはかけ離れたものだった。


(きっとみんな脅されているんだわ。決して本意ではないはず)


 朗らかな老司祭がそうだ。若く真面目な助祭もそうだ。何より不正を嫌う大司教も、きっと法王の暴走に憤っていることだろう。そうした人たちが、今まさに反乱を起こしているかもしれない。欲にまみれた法王を、正しき心で必死に止めて――。


「……信じましょう」


 そして祈ろう。


 どうか何事もなく終わるように。十字軍が目的を果たすことなく瓦解するように、ルードスは目を閉じて神に祈った。


 すると――。


(……鐘の音?)


 どこからか鐘の鳴る音が聞こえた気がした。


 正午にはまだ遠い。火事を知らせる音にしてはやけに穏やかだ。


 それに不思議なことに、その音は鼓膜ではなく、脳裏に直接響くようなもので――。


(……………………………………………………………………)


 しばらくの後、ルードスはおもむろに立ち上がった。


 そしてふらりと自室に戻ったかと思うと、手早く荷物をまとめて外套コートを羽織った。身支度を整えた彼女は、すぐにも部屋を出て、その足で孤児院の外へと向かっていく。


「あれ? お母さん、どこかに行くの?」


 見かけた孤児がそう尋ねたが、ルードスは答えることなく歩いていった。


 ――いや、正確には呟いていた。


 彼女は口を薄く開き、自分にだけ聞こえる声で、何度も何度も繰り返していた。


「……全てを正しくあるべきところに……全てを正しくあるべきところに……」


 その虚ろな目は、聖都に集った信者のものと、まったく同じものだった。

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