十字軍、結成
かつてこの世には「教国」という国があった。
神の教えを守り、遍く人々に祝福を与え、傷ついた者を癒し、邪なるものを遠ざける。無私無欲の聖人たちが、世界の平穏を願って建てた国。そんな聖域が、確かにこの世にあったのだ。
しかし聖人たちの願いは虚しく、教国は時が進むごとに堕落していった。
自然と集まる巨万の富。聖職者にひれ伏す民衆たち。心根の清らかな者は、それでも平常心を失わなかっただろう。だが、教国に住まう者の多くは人間である。神ならぬ人の身は、容易く欲にまみれて腐敗していく。
そうならないために、神の教えはあったはずなのだが――。
それさえ忘れて、教国の人々は増長していった。
「名もなき教国」
「サーバリオ教国」
「神聖サーバリオ教国」
「神聖サーバリオ大皇国」
国の名前の推移を見れば、聖職者の意識というものが分かる。
信徒を増やし、献金を集め、周辺国を呑み込み、影響力を増していく。そのたびに彼らの意識も膨らんでいったのだ。まるで豚のように、あるいは歪な風船のように。聖職者は権力者として、その力を振るうことに一切の躊躇を持たなかった。
「破門にするぞ」という死刑宣告。国王さえ傅かせて笑う教皇。免罪符という名のただの紙切れ。法外なまでに吊り上げられた治療費。
もはやかつての教国の面影はなかった。大皇国の末期には、人心、治安の乱れること著しかった。それは多くの詩人が嘆きと共に書き残し、口伝でさえ大陸各地に残っているほどだ。人の醜さ、欲望は、神聖の名にはまるで似合わぬものだった。
だからだろう。いつからか教国に、「聖女」が生まれなくなったのは。
神の寵児にして、教国が教国であることを証明する存在。絶対的な癒しの力を持ち、その者が歩いた場所はただちに浄化されるという聖人。神が与えたもうた聖女がいるからこそ、教国は教国でいられたのだ。その根幹たる部分を失って――教国はあっけなく崩壊してしまった。
人心は離れ、領土は切り崩され、肥え太った聖職者は石を投げられ都を追われた。「教国だった場所」はみるみるうちに縮んでいき、今では聖都という街しか残っていない。
聖職者たちは、今でも贖罪のために人々に尽くしている。かつてあった権力には背を向けて、それは正しくない道なのだと切って捨てている。
しかし。聖職者の中には、忘れられない者がいた。
この手にあるはずの栄華を。溢れんばかりの富と権力を。当然あるべき自由と力を。
忘れられない。忘れられるものではない。何代か前の者たちがしくじっただけで、教国はまだ終わってはいない。
取り戻さなければならない。失った全てを取り戻さなければならない。そうするだけの大義があって、今の自分たちには聖女に代わる力がある。
そのために長い間、ずっと耐えてきたのだ。何十年も、何百年も、ずっと我慢してきたのだ。
それももう限界だ。自分たちが奉仕者でいることに耐えられない。諸国の王に愛想笑いさえ浮かべ、まるで対等のように振る舞うなどと――。
「この私が許せんのだ!」
現法王、アロウドマティスは叫んだ。
日頃の柔和な仮面を脱ぎ捨てて、唾をまき散らすように大口で叫んだ。
「あの悪神(女狐)は死んだ。老害たるゼルゼノンも滅びた。全ての準備は整った。我らは力を蓄えた……」
血走った目を床に向け、ガリガリと親指の爪を噛みながらつぶやくアロウドマティス。妄念を露わにした法王に、しかし聖職者たちは微動だにしない。むしろ感極まった顔つきで、涙を零している者さえいる。
聖都の中心、「はじまりの間」。ここに集った何百人もの聖職者に、法王はより大きな声で檄を飛ばした。
「今こそ全てを取り戻すのだ! サーバリオの名の下に、全てを、正しく、あるべきところに!」
「全てを」「正しく」「あるべきところに」
「今ここに、私は十字軍の出陣を宣言する!!」
アロウドマティスは再び叫んだ。
雌伏の時を終え、打って出るのだと宣言した。
そしてそれは、東大陸全土を巻き込む戦いの、はじまりを告げる声だった。




