表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
311/375

頂上決戦

 アストレアはご機嫌だった。


 外套で体を覆っていたが、隠し切れない喜びが溢れ出していた。


「こっんどっは、どっこに、いっこうっかな~?」


 スキップをしている。歌まで歌っている。踊るように石畳の街を進んでいる。


 最近、よく見かけるようになった怪人物だ。それを避けて、中級区の住人たちはこそこそと通りの端に寄っていった。


「海がいいかな、山がいいかな」


 フードの下で、むふふと笑う勇者様。


 それはつまり、「海に行ってクラーケンを刺身にする」か、「山に行ってタイタンを蹴り飛ばすか」かという話なのだが――。


「ふふっ♪」


 まあ、勇者にとってはピクニックと変わらない。


 仕事ではあるのだけれど、友達と行くとなれば話は別だ。あんなに嫌だった勇者の仕事が、嬉しくて楽しくてワクワクする旅行に変わる。


 やはり友達はいいものだ。それも、秘密を共有できる友となれば格別だ。


「ふふふふふっ♪」


 笑い声が抑えきれないのも仕方のないことだ。


 アストレアは勇者になってからというもの、友達らしい友達を作ったことがなかった。


 相手は自分を色眼鏡で見るし、自分の方もそれが当然のことだと考えていた。自分はどうしたって勇者であるし、それは変えられようがないと思っていたので、いつも勇者らしく振舞おうとしていた。だから尊敬や配慮は得られたが、友情というものにはとんと無縁なアストレアだった。


 そこに貴大という友達ができたものだから、彼女は自分でも分かるくらいに彼にべったりとなった。仕事が捗るということもあり、ついつい、こうしてグランフェリアにやってきては、依頼を入れて佐山貴大を連れ回す。


(迷惑かな?)


 と、我慢することはあったが、それも三日も持たない。


 勇者アストレアは失われた十年、灰色だった青春を取り戻すように、今日も今日とてフリーライフを訪れていた。


「来たよー♪」


 事務所の扉を機嫌よく開け、外套を脱いで笑顔を見せるアストレア。


 勝手知ったる何とやらというやつだ。迎える方も慣れたもので、貴大は驚きもせずに勇者様を出迎えて――。


「……って、あれ?」


 リビングならまだしも、事務所に貴大、ユミエル以外の姿があるのは珍しい。


 貴大の両腕にしがみつく、白と黒の女の子。彼女たちはなぜか勇者をにらみつけ、その警戒心を隠そうともしていない。


「……うん?」


 アストレアは思わず首をひねった。


 こうもあからさまに敵意を向けられるのも、随分と久しぶりな気がする。


 そんなところに新鮮味を覚えながら、勇者様はやっぱり、訝しげな顔をするのであった。






 フリーライフの事務所、そこに置かれた応接用の椅子に腰かけ、アストレアは上機嫌な顔をしていた。


「……粗茶ですが」


「ああ、ありがとう。ユミエルちゃんは本当に気が利くね」


「……そんなことは」


 紅茶とクッキーを運んできたメイドに礼を言い、ティーカップを口に運ぶ勇者。甘い香りに目を細めつつ、彼女は「う~ん」と声を漏らす。


「安らぐなあ。思えばゆっくり紅茶を飲むなんていつ以来だろう」


 温かなお茶を一口、二口。


 ほっと息をついたアストレアは、ここでようやく正面に向き合った。


「…………」


「うううぅ……」


「がるるるる……!」


 向かいの席には貴大と、ルートゥーとメリッサの三人。


 少女ふたりにそれぞれ右腕、左腕にしがみつかれた貴大は、何とも言えない顔でアストレアを見ている。


「ふーむ」


 ティーカップを持ったままで、アストレアはしばし沈黙。


 何やら考えていたかと思うと、にこやかな表情で彼女は、


「両手に花とは羨ましいなあ」


「もうちょっと言うべきことがあるだろうが!」


 さすがの貴大も声を上げた。


 混沌龍に威嚇され、人工聖女に涙目で見られ、なぜそうも平然としていられるのか。勇者だからか、それとも本人の性格なのか。まだつかみ切れていない貴大は、ため息混じりに頭を押さえた。


「場所代わってくれない? とか?」


「そうじゃなくてだな……」


 言葉は通じるけど会話ができない。


 深刻なディスコミュニケーションに陥って、さてどうしたものかと貴大が思ったときに――。


「帰れ帰れっ! 勇者は帰れ!」


 ルートゥーが怒声を上げた。


 怒りで髪を逆立てて、金色の瞳をギラギラと光らせている混沌龍は、歯をむき出しにしてなおも続ける。


「事あるごとにタカヒロを連れ回しおって! いったい何様のつもりだ!」


「うーん、困ったな」


「困ったのはこちらの方だ! あの鬱陶しい悪神がいなくなって、やっとのんびりできると思ったら……なんなのだ貴様は! 我とタカヒロの時間を奪いおって! 喧嘩を売っているのか!」


「そういうわけじゃないんだけれど」


 心当たりがないこともないため、少し気まずそうにするアストレア。


 それが逆に癇に障ったのか、ますますルートゥーは怒気を強めていく。


「やはり勇者などろくでもないな! いつもいつも我ら混沌龍の邪魔をして……! タカヒロ! いますぐこやつを追い出すのだ!」


「いや、落ち着けよ。ってか、知り合いなのか? お前ら」


「ああ! こいつはな、とんでもない悪人なのだ! ちょっと村のひとつやふたつを焼き払っただけで、すぐに飛んできて尻尾をちょん切っていくし……」


「そりゃ飛んでくるわ」


 邪悪なドラゴンの襲来だ。


 そこで出動しなければ勇者ではないし、むしろよく尻尾だけで済んだというか――。


「まあ、どれも邪教徒だったり、密猟者だったりの拠点だったからね。だからって魔の山が騒がしくなったら、勇者としては世の安寧のために出張らなきゃいけないわけで」


「うるさーい! そんな事情、知ったことか!」


「僕としても不本意だったんだけどな。上の方が、ね?」


「黙れペテン師め! このいんちき能力者ーっ!」


 どうやらルートゥーは心の底から勇者を嫌っているようだ。


 お灸をすえられたことがそんなに堪えたのか、それとも勇者の「絶対勝つ」能力が嫌いなのか、何なのか――。


 とにかく勇者がここにいること自体、我慢ならないことらしい。不倶戴天の敵を前にして、ルートゥーは今にも噛みつかんばかりの表情だった。


「ううぅ……」


 さて、対照的に怯えた様子を見せているのはメリッサだった。


「タカヒロくん、逃げよう、逃げようよ……」


 薄桃色の修道服を着た聖女様。


 いつもマイペースな彼女は今、しきりに貴大の腕を引いていた。


「どうしたんだ? なんでそんなに怖がってんだよ?」


「だって……」


 メリッサの表情は晴れない。


 その言葉も要領を得ず、彼女は勇者のことばかり気にしている。


「どうしたのかな? 僕の顔、そんなに怖いかなあ」


「ぴゃああっ!?」


「おや……」


 勇者が気さくに笑いかけると、メリッサは貴大の背中に回った。


 その顔は青ざめて、体はガタガタと震えていた。


「いや、本当にどうしたんだよ? 何かあったのか?」


「だって……」


「だって?」


「わたし、悪い子だから……」


「悪い子?」


 さて、何かしでかしただろうか。


 ふらりと家に来ては騒動を起こされ、突拍子のないことでまた引っかき回されるなど、もう慣れっこな貴大なのだが――。


「ほら……人工聖女のことで……」


「あ、あ~」


 大司祭ゼルゼノンの計画により、人工的に生み出された聖女、メリッサ。


 彼女は命じられるがままにその力を振るい、時には誰かの命を奪うこともあった。その行動だけを見れば悪と言えるが、しかし、彼女もまた被害者であり、そもそも更に黒幕がいたわけだ。


 悪神の掌の上で転がされていた大司祭。その老人に人形のように操られていた聖女。それを勇者が裁くというのなら、貴大としてはメリッサを庇わずにはいられない。


 しかし、問題の勇者様は、話を聞いてもきょとんとしているだけで――。


「え? なに? そんなこと心配していたの?」


 敵意はない。剣の柄に手をかけるようなこともしない。


 アストレアはただからからと笑い、不安げなメリッサを優しく撫でる。


「そう怖がらなくてもいいよ。君は一線を越えなかった。よほどのことをしでかさない限り、僕は君を殺すようなことはしないよ」


「勇者さん……」


「そもそも、僕自身、君を殺したくないしね。むしろ仲良くしたいよ。こんなに可愛いお尻をした子とは、ね?」


「ひゃんっ!?」


「おいぃ!?」


 優しいタッチがメリッサのお尻に伸びた。


 ぷりんとした小ぶりなヒップを、勇者様は愛おしそうに撫で回す。


 そんなことをしたものだから、メリッサは声にならない声を上げ、顔色なぞ青を通り越して蒼白となり、とうとう貴大の背中に隠れて出てこなくなった。子ウサギのように臆病な聖女様、その震えを背中に感じ、貴大はまたもやため息をつく。


「お前、ほんと止めろよな」


「ごめんごめん。つい手が伸びちゃったよ。僕、メリッサちゃんみたいな子のお尻に弱いんだ」


「お前の背後に、一瞬、スケベ親父が見えたぞ……」


 バイセクシャルの気がある勇者にツッコミを入れ、貴大はメリッサを落ち着かせようとした。


 しかし、そろそろ我慢の限界だったらしい。メリッサのみならず、ルートゥーも声を荒げ、その感情を爆発させた。


「ええい、もう問答は終わりだ! さあ、出ていくがいい!」


「そ、そうだー! 勇者なんて出ていけー!」


「そんなあ。僕は君たちとも仲良くしたいのに」


「お断りだ! 勇者は魔王とでも戯れていろ!」


「いや、あの子とは仕事仲間っていうか……」


「もういやだ! 逃げよう、タカヒロくん! こんな人と一緒にいたら、うっかり微塵切りにされちゃうよ!」


「君は勇者を何だと思っているのかな?」


 ワーワーギャーギャーと騒がしいことこの上ない。


 出ていけ、逃げよう、仲良くなろうに殺される。勇者、混沌龍、人工聖女の三人は、声の調子もバラバラ、内容についてもちぐはぐだ。とにかく相手を排斥しようと、あるいは縁を深めて仲良くなろうと、喧々諤々止まる様子もない。


「そもそもタカヒロは我のものだ! 勝手に持っていくでない!」


「いや、僕は彼を監視するという仕事があるんだよ。もちろん、それだけじゃないけれど」


「わたしからタカヒロくんを取らないで!」


「タカヒロは渡さん!」


「そこをなんとか」


「ダメーーーーーッ!」


 いつの間にやら話は貴大のことになり、彼は誰のものかと言い争われている。


 とんだプレイボーイぶりだが、事情はそれほど楽観的なものではない。なにせ、彼女らはいずれも尋常ならざる力の持ち主だ。今は口だけで済んでいるが、もしも手が出ようものなら、辺り一面焦土に変わる――。


(いやいやいやいや)


 不吉な未来図にゾッとした貴大は、すぐにも彼女らを止めようとした。


(でも、どうやって?)


 白熱した言い争いは、それこそつつけば破裂しそうな風船だ。


 下手に触れば爆発必至、しかし放っておいても収まるようなことはない。


 ここで鶴の一声、「止めないか!」の言葉だけで、彼女らを鎮められれば良かったのだが――そこは佐山貴大、甲斐性無しの男である。どうにも活路が見出せず、彼はなるようになれ、なるようになるさの精神で流されようとしていた。


「こうなったら勝負だ! 勝負だ!」


「貴大君をかけての勝負だね?」


「ま、負けないんだから!」


 貴大の予想通り、三人は行きつくところまで行っていた。


 勝負。なんの勝負をするというのか。少なくともじゃんけんではないのだろうなあと思いつつ、貴大はいよいよ腰を上げかけて――。


「……お待ちください」


「ユミィ?」


 ルートゥーが拳を振り上げた、まさにその瞬間。


 今まで事務所のすみで控えていたユミエルが、静かな、しかしよく通る声を上げた。


「なんだ、メイド? 今、我らは忙しいぞ」


 ぎろりとユミエルをにらむルートゥー。


 しかしユミエルはそれをさらりと受け流し、滔々と自分の考えを述べる。


「……喧嘩はいけません。しかし、決着がつかねば角が立ったままでしょう」


「ああ、そうだ」


「……でしたら、暴力に頼らない勝負をされてはいかがでしょう?」


「勝負?」


「……はい。いつぞやの肉料理対決のように、平和的に勝敗を決められてはいかがかと」


「う~ん……でも、そんなこと言われても……」


「腹案はあるのかな?」


「……はい」


 そう言うと、ユミエルは足元を指さした。


 そこに何があるというのだろうか。言い争いも止まり、注目が集まったのを確認し、ユミエルは満を持して「腹案」を口にした。


「……ここの仕事のお手伝いです」


「手伝い? フリーライフの?」


「……はい。それぞれ一日ずつご主人さまについていただき、補佐していただければと」


「おお!」


「……よりご主人さまの助けになった方が優勝です」


「なあるほど。求めてばかりではなく、与えなければならない。ユミエルちゃんはこう言いたいわけだ」


「…………」


 肯定はなかった。しかし否定もなかった。


 そっと目を閉じたのがうなずきのようなものだ。どちらかと言えば無口なユミエルは、そうした仕草で答えることが多い。それを知っている少女たちは、なるほどそうかと先ほどの提案について話し始めた。


「ようし、それなら勝負だ! よりタカヒロに尽くせたもの! それが勝者だ!」


「ま、負けないよ! わたしだって聖職者だもん! ご奉仕だってできるよ!」


「やあ、これは面白そうだ。つまりこれに勝てば、貴大君と付き合えるわけだ」


「いやいやそれはいかん。精々、休日にふたりきりになるくらいでだな……」


「失敬、性急だったね。では、話を整理すると……」


 泣いた烏がなんとやら、勝負について条件を詰めていく少女たち。


 その横で佇んでいるユミエルと、何やら遠い目をしている貴大。


(俺ぁ、うんともすんとも言ってないんだけどなあ……)


 しかし他に妙案があるわけでもない。


 貴大は例によって例のごとく、今回も少女たちの勝負に巻き込まれるのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ