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聖戦士の枷

 数日後、ゲイリーは草原へと戻ってきていた。


 放牧に向かない魔物の生息域。豊かではあるが危険の多い草原に、いくつかの天幕が並んでいる。そのうちのひとつ、一際大きいものに向かい、ゲイリーは馬を進ませる。


 ここでは奇異の目で見られることもない。ここはベイン一族の野営地。放浪するベイン一族が、しばしの宿と定めた土地だ。


 当然、ここにはベインの者しかいない。天幕のそばに馬を繋いだゲイリーには、親しげな声がかけられた。


「おや、ゲイリー。戻ったかね」


「フンじい」


「首尾はどうだったかな?」


 人のよい顔で微笑む老人。


 白く長いひげを撫でながら、彼はゲイリーに問いかける。


 この老人の名はフン・ベイン。ゲイリーの父方の祖父にして、ベイン一族の相談役だ。


「眷属は強かっただろう。一筋縄ではいかない相手だ」


「はい。寸でのところで逃しました。手傷は負わせましたが、それだけです」


「そうか……」


「未熟でした。猛省しております」


「ああ、よいよい。そう自分を責めるな」


 神妙な顔をするゲイリーに、フンは優しく語りかけた。


「世の中にはどうしようもないことがある。腕が立っても、魔法が使えても、ままならないこともあるのだよ」


「どうしようもないこと」


「我らの一族は、特に、な」


 穏やかな顔だ。悟りを得た聖人のようにも見える。


 しかし、その中に諦めの色を見て――。


 ゲイリーは何も言わずにテントの中へと入っていった。


「ゲイリーか」


 薄暗い天幕の奥、どっしりと構えていたのはダイ・ベインだった。


 筋骨隆々とした大男。豊かな口ひげに手を添えて、ダイはゲイリーをじろりと見る。


「その様子だとしくじったようだな」


「はい」


「及ばなかったか」


「そのようなことはありません」


「そうか」


 交わす言葉は素っ気無く、顔には笑みも怒りもない。


 体つきこそ違うものの、声もよく似たふたりである。それもそのはず、ダイとゲイリー、ふたりは親子である。ダイはベイン家をまとめる長、そしてゲイリーはその跡取り息子だ。


「急げよ。眷族は血を好む」


「分かっています。巫女に会い次第、すぐに立ちます」


「ならいい」


 無事の帰還を祝うことも、茶を勧めることもない。


 必要以上に悔いることも、腰を下ろすこともない。


 ゲイリーがここに立ち寄ったのは報告のためだ。ダイがそれを受けたのも、あくまで事務的なものだった。


 本当に似た者同士な親子である。彼らは最後まで余計な口は利かず、ゲイリーは出て行き、ダイはそれを見送って――。


「待て!」


 ゲイリーの行く手を塞ぐように、天幕の入り口に立つ者がいた。


「まさかお前、取り逃がしたのか? 合成獣を。悪神の眷属を!」


 口早にそう言ってゲイリーに詰め寄ったのは、神経質そうな男だった。


「なぜだ! なぜ倒し切らなかった! お前ならできたはずだ!」


「すみません」


「すみませんではない! 来月にギルド定例会を控えているというのに、私はどんな顔でキリングさんに会えばいいのか……」


 一方的にまくしたて、親指の爪を噛む男。


 彼の名はショウ・ベイン。ダイの弟にして、ゲイリーの叔父に当たる人物だ。


「ベイン家の評価は下がる一方だ。呪われた一族。祟られた一族。ふがいない《聖戦士》。全部ベイン家を指す言葉だ」


 天幕の布を握りながら、ショウは悔しげにそう言った。


「冒険者たちがどんな目で私を見るか知らないだろう。ギルド職員がどんな顔で私に接するか、お前は知らないはずだ」


「ショウ、落ち着け」


「私は! 私はただ、悔しいんだ! 《聖戦士》としての務めを果たせないことが! 甥の代わりに魔物を倒しにいけないことが! 悔しくて、情けなくて……」


 天幕に静けさが戻った。


 重くるしい沈黙だ。ここではどのような言葉も慰めにしかならない。


 そしてそれは、今この場で発していいものではなかった。それが分かっていたからこそ、ゲイリーはショウに何も言い返さず、頭を下げて天幕を出ていった。


「許してやりなさい」


「フンじい」


 長の天幕を出たゲイリーを、フン老人が静かに追った。


「ショウも苦しい立場なのだ。それを分かってやってくれ……」


「はい、分かっています」


 そう、分かっている。


 同じ一族だからこそ、分かりすぎるほどに分かっている。


 生まれ持った《聖戦士》の力。魂に刻まれた悪神の呪い。ゲイリーのように戦えるのは、一族の中でも一握りの者だけだ。他は呪いを抑え込むので精一杯で、とても戦いを生業にすることなどできない。


 それでも一族に貢献しようと、ショウはこれまで頑張ってきた。


 冒険者ギルドに頭を下げ、条件の良い仕事をもらってきた。領主や貴族と交渉し、一時、腰を落ち着けられる土地を探してきた。呪われた《聖戦士》だと馬鹿にされながら、それでも一族のために尽くしてきたのだ。


 そのショウが身内を前に弱音を漏らしたところで、いったい、誰が責められようか。


 少なくともゲイリーにはできなかった。たとえ殴られようとも、それを甘んじて受けるだけの心持ちでいた。それでショウの気が軽くなるのなら、喜んで頬を差し出すつもりだった。


 だが、そのようなことをしても、何の解決にもなりはしない。それが分かっていたからこそ、ショウも、ゲイリーも、ダイもフンも――。


 みんな、何も言わなかったのだ。


(ああ……)


 空が暗い。


 どんよりと渦を巻く曇り空は、まるでベインの現状を映しているかのようだ。


 かつてはベイン一族も聖都に居を構えていたと聞く。それが悪神の呪いにより追放され、寄る辺なき放浪生活を始めることとなった。


 憎き悪神を見つけ出し、これを討伐して呪いを解く旅。しかし流浪は十年、二十年と続き、百年経った今でも悪神は倒せずにいる。


 長老格であるフンでさえ、旅の中で育ち、旅の中で老いたのだ。在りし日の栄光はもはや影も形もなく、ベイン一族の野営地には、ただただ疲れと諦めに包まれていた。


(開祖カイ・ベイン。貴方が築いた栄光を、取り戻すことはできるのでしょうか)


 曇り空に問うても答えは返ってこない。


 しかしゲイリーは見上げることを止めず、ただ黙って雲の向こう、そこにあるはずの太陽を見ていた。


「……さて」


 時間にして一、二分。


 立ち止まっていたゲイリーは、再び天幕の間を歩き出した。


 目指すは巫女のいる場所だ。特徴的な織りの天幕を目指し、ゲイリーはまっすぐに歩を進める。


 そして目的の天幕の前に着いたとき――ゲイリーは優しげな声で問いかけた。


「ナン。いるかい?」


 柔らかな声だった。


 親譲りの厳格な戦士、ゲイリー・ベインのものとは思えない。


 しかしゲイリーは再び口を開くと、やはり優しく、柔らかく声をかける。


「ナン。私だ。ゲイリーだ」


「兄さま?」


 返ってきたのは、細く、可憐な声だった。


「戻られていたのですね」


 声の調子が嬉しげに弾む。


 そこまで確認し、ようやくゲイリーは入り口の布をめくった。


「兄さま」


 天幕の奥、布を重ねたベッドにいたのは色白な少女だった。


 長く伸ばした髪は絹糸のようで、細い腕は病的なまでに白い。しかし、笑うと可愛らしい少女であり、その笑顔は今、ゲイリーに向けられていた。


「すみません、このような姿で」


「ああ、いいんだ。横になっていろ」


「そのようなことは……」


 ベッドから身を起こし、寝巻きの上にストールを羽織る少女。


 ゲイリーを兄と慕う少女の名は、ナン・ベイン。ゲイリーの従妹であり、将来を誓った相手でもある。


「お茶を煎れますね」


 この少女、病弱な割には押しが強い。


 寝かせようとするゲイリーの手を避け、かまどで湯を沸かし始める。


 二十歳のゲイリーより三つも下だというのに、彼女は許婚の言うことを聞こうともしない。聞かずに世話をしたがるのだから、結婚したらどうなるのか、今からゲイリーは心配だった。


「それで、兄さま。今日はどうされたのですか?」


「お前に仕事を頼みに来た。逃した魔物を探して欲しい」


「そうですか……」


 ゲイリーに茶碗を渡しながら、ナンは少しさびしそうな顔をした。


 しかし、すぐにも表情を引き締めて、彼女はゲイリーの前に座った。


「分かりました。すぐに取りかかります。触媒となるものはありますか?」


「ああ。合成獣の腕だ。切り落としたものを持ってきた」


「これなら容易に追えます」


 布で巻かれた合成獣の腕。


 それを天幕内の祭壇に置き、ナンは何事かつぶやき始めた。


「天の巡り。星々の動き。地脈の流れ。空に吹く風」


「大いなる循環、繋がりを辿り、我、彼のものに触れん」


「【天眼】、ヘイルダム……!」


 ささやくごとに、ナンの体が光を帯びていく。


 聖なる光。黄金の輝き。《巫女》の力。ナン・ベインの神通力――。


「さあ、《聖戦士》よ。ここに」


「はっ」


「貴方に神の目を授けます」


 神の光に包まれた《巫女》は、かしずく《聖戦士》の額に触れた。


 指先でなぞるように紋様を描き、それはゲイリーの額に吸い込まれていく。


 するとゲイリーの脳裏に、ここではないどこかの光景が広がった。険しい山の中腹、その洞穴の奥に、手負いの獣が潜んでいる。


「ここは……ッ」


 拡大した感覚に目眩を覚え、ゲイリーは床に倒れそうになる。


 それをナンがそっと支え、未だふらつくゲイリーをゆっくりとその場に座らせた。


「すまない」


「いえ、わたしの方こそ、未熟で……」


 申し訳なさそうにするナン。


 すでにその体には神のごとき光はなく、いつもの彼女に戻っている。


「この体が丈夫なら、もっと上手く使えるのに……」


「それは仕方のないことだ。ナンのせいじゃない」


「兄さま……」


 ゲイリーはいつも優しい。


 いつもナンのことを気遣ってくれる。


 しかし、


「いえ、わたしがもっと優秀な《巫女》だったら、ケツくんのことも」


「ナン」


 遮る声。ゲイリーはナンの肩をつかみ、言った。


「あいつのことは、もう忘れろ」


「…………はい」


 そのままゲイリーはナンを抱き上げ、彼女をベッドに運んでいった。


 力を使えば消耗する。消耗すれば呪いの力が顔を出す。それを防ぐために、ナンには安静にしてもらわなければならない。


「兄さま」


 ゲイリーの去り際、ナンはベッドの中でか細い声を上げた。


「いつまで続くのでしょうか? この苦しみも、この切なさも……」


 ゲイリーは答えられなかった。


 答えようとはしたが、結局、何も言えずに天幕を出ていった。


 ゲイリーはまた、曇り空を見上げた。後ろからは、きゅるるるると、すすり泣くような音が聞こえてきていた――。






『ガアアアアアッ!!』


「………………」


『アァァァァァァアア!!!!』


 幕切れはあっけないものだった。


【ソウル・バインド】で魔物を縛り上げ、有無を言わさず剣を突き立てる。


 人食いの魔物は断末魔の叫びを上げ、それきり、魔素となって風に運ばれていった。


「……終わったか」


 実に味気ない幕引きだった。


《巫女》の千里眼の力を借りて、標的の寝込みを襲ってこれを斬る。


 確実性を重視したやり方だ。少なくとも、戦いが長引かないよう、十分に配慮した戦法である。


 だからこそ、ゲイリーはそれが虚しかった。《聖戦士》たる者が寝込みを襲うなど、あってはならないことではないか。


 魔物が相手ならば構わないという意見もある。結果がすべてだと、叔父のショウも言っている。


 しかし、これでいいのだろうか。《聖戦士》とはこのようなものなのだろうか。


 仕事の後はいつも虚しい。ゲイリーは剣についた血を拭うこともせず、洞窟の入り口でただ夜空を見上げていて――。


『ギィィィィィィィ!!』


「っ!?」


 振り向いた瞬間、そこには倒したはずの合成獣がいた。


(いや、違う!)


 斬ったはずの腕が生えている。顔の形も先ほどのものとは異なる。


 つまり、これは別個体なのだ。合成獣はもう一体いた。


『ガアッ!!』


「くっ……!」


 肉食獣のものに似た、大きな腕を振り下ろす合成獣。


 間に合わない。剣での防御が、ほんの一瞬、間に合わない。


 このままでは頭が潰されてしまう。それが分かっていながら、体だけがついていかない。


(駄目か……!)


 せめて致命傷は免れよう。


 ゲイリーは上体を反らし、必死に合成獣の攻撃をかわそうとしたが――。


『グィ』


 合成獣は――。


 引きつったような声を上げ、その動きを止めていた。


「……!?」


 素早く距離を取り、剣を構えるゲイリー。


 しかし相手に反応はなく、それどころか、合成獣の顔にさえ困惑が浮かんでいた。


『ァ、ィ』


 動こうと必死になって、しかし、それが果たせない。


 これは――【ソウル・バインド】?


(いや……違う!)


 雲が晴れ、月明かりに照らされたことで、ゲイリーはそれを見ることができた。


 合成獣に絡みつく蛇。煙をまとった黒蛇は、合成獣を縛り上げ、これを渾身の力で絞めつけている。


 いや、そのように生易しいものではない。黒蛇はますます力を込めていき、それに合わせ、合成獣の体は――。


『ィ、ィァァァァァアアア!!』


「…………っ」


 悲痛なまでの叫び声を上げ、合成獣はバラバラに引き裂かれた。


 肉片がボトボトと音を立てて地面に落ちる。血は滝のように山肌を伝っていった。


 その凄惨な光景の中心で、満足そうにとぐろを巻く蛇。煙をまとったその黒蛇に、ゲイリーは油断なく剣先を向けた。


(これは)


 この世ならざるものだ。


 生き物でもなく魔物でもない。もっとおぞましいものの片鱗だ。


 ベイン家に宿る呪いにも似た力を感じる。つまり、それは、それは――。


「よう、兄貴ィ」


 戦慄を覚えるゲイリーに、愉快そうに声をかける者がいた。


「お前は……!」


「ハァ……♪」


 赤い髪。赤い瞳。


 月明かりの下で不気味に笑う、その赤い少年は――。


「ケツ……!」


 ゲイリーの弟、ケツ・ベイン。


 血塗られたケツ・ベインと呼ばれる罪人だった。

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