神が与えしチート能力
その日のグランフェリアは大変なにぎわいだった。
何しろ、あの勇者が街にやってきたのだ。神に選ばれた戦士。絶対無敵の人類の守護者。その勇者が悪しき神を倒し、イースィンドにかけられた呪いを解くという。
これには王侯貴族から庶民まで、皆一様に喜んだ。ここ数年、もっと言えばここ数ヶ月、訳の分からない事件が頻発していたのだ。前触れもなしに始まって、いつの間にか終わっている、どうにも気持ちの悪い事件。
それら全ての原因を突き止め、なおかつ、それを断ってくれるというのだから、こんなにありがたいことはない。さすがは勇者、勇者に任せておけば安心だ。なにせ、勇者がしくじったことなど一度もないのだ。時間がかかるケースもあったが、最終的には全ての案件を解決に導いている。その結果を以って、東大陸の民は勇者に全幅の信頼を寄せていた。
「勇者さまあああああああ!!!!」
「頑張ってください! 勇者さまっ!」
「うん、任せてよ」
「きゃああああああああああ!!!!」
「勇者様がこちらを見られたわ!」
「微笑みかけてくれたの!」
「ああっ……」
「ふうっ……」
出立の際、大通りに詰めかけた少女たちがパタパタと倒れていたが――。
まあ、それだけ勇者が信頼されているということだ。男装の麗人めいたアストレアが笑顔を向ける度に、あっちでパタパタ、こっちでドサドサと忙しなかったが、それもよくある光景と言えばよくある光景だった。
さて、その一方で、貴大はというと――。
「寄ってくんなよ」
彼はひとり、人気のない森の中にいた。
グランフェリアから遠く離れた大森林。その少し開けた場所で、彼はもそもそとサンドイッチを食べていた。
「だから寄ってくんなって」
バスケットにたかる羽虫を指で弾きながら、ユミエルお手製の弁当で腹を満たす貴大。当然、周りに人などいない。道を埋め尽くすような観衆も、近くにいるだけで卒倒するような女子もおらず、人っ子ひとり気配が感じられない。
一緒に仕事をするというのに、勇者とは何から何まで正反対だ。きっと勇者は今ごろ、王女から見送りのキスのひとつでも受け取っていることだろう。
「それはそれで煩わしそうだけどな……」
勇者ほどの存在になれば、一挙手一投足がいちいち伝説になりそうだ。「勇者、街を歩く!」とか、「勇者、買い食いをする!」というように、あらゆる行動が大げさに注目されるはずだ。
そのことを考えれば、むしろ同情さえ覚える貴大だった。
「ま、それも含めて勇者なんだろうけどさ」
最後の一かけを口に入れ、咀嚼しながら水筒を取る。
飛んできたバッタを蹴り飛ばし、温かいお茶を一口飲んだところで、
「やあ、お待たせ」
森の奥からアストレアがやってきた。
「おせーぞ」
「ごめんごめん。王女様がやけに熱烈でね」
貴大の予想通り、頬に口紅の後を残しているアストレア。
彼女はハンカチで顔を拭いながら、片手間に剣でツタを払い、貴大の下に近づいてくる。
「それにしても便利だよな、転移魔法ってやつは。こちとら徒歩だってのに」
「仕方ないよ。まさか一緒に転移するわけにもいかないだろう? それとも、そっちの方がよかったとか」
「んなこたないけどさ」
ぼやきながらも腰を上げ、勇者を迎える貴大。
面倒臭がり屋な彼は、半ば本気で勇者のことを羨んでいたのだが――。
「それで? ここからどこに行くんだ?」
「うん、もう少し歩くんだ。こっちだよ」
「へいへい」
きびきびと歩く勇者に続き、貴大はダルそうに森の奥へと進んでいく。
そんな彼を手ごろな獲物と見なしたのか、「口から侵入し、腹を突き破って出てくる虫」だの、「人に種を植えつける植物」だの、「鉄板をも貫く牙を持つ猪」だのが襲いかかってくる。しかし貴大はこれを、
「しっしっ」
と片手で打ち払い、なおもダルそうに勇者の後を追っていった。
この森に住まう魔物のレベルは200ほど。あの《皆殺しキリング》でさえ、入れば生きては出られない魔物の巣だ。
そんな魔境をあくび混じりに歩くとは――。
勇者を羨ましがった貴大だが、彼も大概、どうかしていた。いや、むしろ、
「ていてい」
『グエーーーー!!』
レベルキャップを超えたことにより、更に磨きがかかっているようだった。
「それで? どんな魔物を倒すんだ?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてねえよ。依頼書にも現地集合しか書いてねえし」
「あー、ごめんごめん! うっかりしてたよ」
「ドジっ子な勇者ってまずくねえか?」
「いや、違うんだよ。ほら、僕っていっつも依頼される側だから、何でも屋に依頼なんてしたことなくて……」
人外魔境、《ゼバル樹海》。帰らずの森と呼ばれる地を、仲良く連れ立って歩くふたり。
当然、魔物が襲いかかってくるわけだが、アストレアが剣を振るとどんな魔物も両断され、貴大が急所を突くと魔物はその場で絶命する。これでまともに対峙してくれていたら救いもあるのだが、いずれも「ながら作業」で倒されたのだからたまらない。
ふたりとも相手と話しながら、敵を見ずともサクサク、サクサク――。半自動的に倒される同胞を見ながら、魔境の魔物たちはすっかり縮み上がっていた。
「うん? 敵が出てこなくなったね」
「そりゃなあ」
あれだけ力の差を見せつければ自然とそうなる。
一時間も歩かないうちに魔物らしい魔物は姿を消して、魔境はすっかり普通の森になってしまった。
(しかし、思った以上に)
強烈だった。勇者というのはこれほどなのかと、貴大は内心舌を巻いていた。
(見た感じ、軽く振ってるだけなんだが)
それなのに、魔物は見事に真っ二つにされてしまう。
なんのスキルも使っていない。力加減だって半分にも満たないだろう。
かつて《ブレイブ・フェンサー》の技を見切り、これを倒したことがあるが――正直に言えば比較にもならない。今の貴大でさえ、本気の勇者の剣を避けられるかどうか。分からないところが恐ろしく、同時に、それが勇者なのだと納得もできていた。
「ああ、そうそう。今回の敵なんだけどね」
「あ、ああ」
貴大とは違い、勇者は至ってマイペースなものだ。
何の気負いもなく振り返って言った彼女は、遠くの山を指差して貴大に笑いかけた。
「あれだよ。頑張ってあれを倒そう」
「あれ? ……どれだ?」
目をこらしても木々しか見えない。
望遠スキルを発動してもこれといったものは見つからない。
しいて言えば、鉱山の跡だろうか? 魔物が掘ったものか、はたまたドワーフの手によるものか。朽ちかけた穴がぽつぽつと開いてはいるが――。
「ハハハ、見方が違うよ。もうちょっと広く見て、広く」
「広く?」
前のめりになっていた体を起こし、逆に上体を引いて視野を広げる貴大。
しかし、相変わらず目に入ってくるのは、木々の生い茂った山だけで――。
「って、ま、まさか?」
まさか、今回の標的は――。
あの山に潜んでいる魔物ではなく――。
あの山? あの山を倒そうというのか?
常人が聞けば笑い出しそうな話だが、生憎、貴大は常人ではなかった。
山を倒す。そんな荒唐無稽な話に心当たりがあったし――実は、過去、山に挑んだことさえあった。
山。山の魔物。その名は、忘れられないその名前は――!
『ゴモモモモモモ……』
「やっぱりか~……!」
地響きのような声が聞こえ、鳥が一斉に羽ばたいていった。
遅れて山の麓が持ち上がり、ヌッと巨大な手が空へと突き出た。
「マインゴーレム……!」
それがあの山の名前だった。
貴大が山だと思い込んでいたもの。勇者がまさに指し示したもの。それはれっきとした魔物であり、常軌を逸した化け物でもあった。
『ウルルルル……』
「でけえ……!」
見上げるほどの巨体――。
などという言葉では済みそうもない。
マインゴーレムは、まさに天を貫かんばかりの巨躯を持っていた。
「でかすぎる!」
貴大が悲鳴じみた声を上げたのも、まったく無理のない話である。
全長は三百メートルはあるだろうか? 手足は太く、頭がない。そんな異形の存在が、轟音と土砂を撒き散らしながら立ち上がったのだ。驚くどころの騒ぎではなく、貴大はすっかり及び腰になっていた。
「あれが今回の敵だ! さあ、倒そう!」
「いや、無理無理無理無理! ぜってー無理だから!」
「なんで?」
「あれ、レイドボスだからーーーッ!!!!」
驚きのあまり、つい、ゲーム用語が出てしまった。
レイドボス。単独では倒すことが難しく、いずれも仲間と力を合わせて倒すような強敵だ。その強さによって必要となる人数は変わるのだが、あのマインゴーレムは、なんと千人まで同時に挑めるようになっていた。
「あいつはヤバすぎる……!」
貴大があれと戦ったのは《Another World Online》時代。大規模レイドボスとして初めて実装されたあのゴーレムは、並み居る強豪プレイヤーを蟻か羽虫のように叩き潰していた。
貴大もその場にいたのだが、山の化身めいたゴーレムが相手では、個人でどうこうできるはずもなかった。爆弾をしかけて小指を吹き飛ばそうとしたところで、はたかれたのか、あるいはギュッと握られたのか。記憶はないが、とにかく貴大は即死判定を受け、戦場の外へと放り出されていた。他の連中も同じように放り出され、クソゲーだ、調整不足だと騒いでいたのを貴大は見ていた。
強さの設定を間違えたのか、あるいは何か攻略法があるのか。それは分からないが、貴大がこの世界に転移してくるまでマインゴーレムは倒されたことがなく、それゆえに貴大にとってはあれは無敵のイメージを持つ魔物だった。
「ちょっと急用を思い出したから……」
「まあまあまあ。すぐ済むから。すぐ済ませるから」
「止めろーっ! 放せーっ! 放してくれーっ!」
「まあまあまあ」
見かけによらない膂力を以って、貴大を巨人の下へと引きずっていく勇者。
その顔には相変わらず危機感というものがなく、それがかえって貴大には恐ろしかった。
「な、なんでよりによってあれなんだ! 他に手ごろな魔物がいっぱいいるだろ!」
「分かりやすい方がいいじゃないか。それに、ほら。成長しすぎているから、今のうちに狩っておかないと」
「知るかーっ! ドラゴンとかで我慢しろ、ドラゴンとかでーっ!」
「ドラゴンなんてありふれてるからなあ。最近は民衆も目が肥えてるんだ」
などと言っているうちに、アストレアと貴大はマインゴーレムの正面に立った。
正面と言っても足元ではなく、ゴーレムがよく見える隣の山の頂上だ。見晴らしのいい岩山の上で、ふたりはマインゴーレムと対峙していた。
『ゴゥ、ゴゴゴゴゴ……』
「あわわわわわ……!?」
寝起きだからかどうなのか、マインゴーレムには目立った動きがない。
ゆっくりと顔を巡らせて、低くこもったうめき声を上げていた。
「よし、チャンスだ! 敵は本調子じゃないぞ! 今のうちに叩くんだ!」
「どうやって!?」
むしろ逃げるための最後のチャンスではないのか。
このまま刺激せずに放置して、またお眠りいただくのが正しい道のような気がする。
「君には君だけの力があるじゃないか? ほら、なんとかエッジっていう」
「【ピリオド・エッジ】?」
「そう、それ」
確かに、悪神さえ消し去ったあの技なら、レイドボスにも通じるかもしれないが――。
(どこからどこまでが体なんだ?)
ゴーレムに貼りついた山肌は分厚く、
(そもそも急所はあるのか?)
その点も心配で、それを体を張って確かめる勇気はなく――つまり、まあ、やっぱり逃げ出してしまいたい貴大だった。
「もう、タカヒロ君は仕方ないなあ。男の子なのに」
「関係ねえよ!」
「うーん。じゃあ、タカヒロ君には撮影係をお願いしよう」
「へ?」
そう言うや否や、録画用の映像水晶が飛んでくる。
それを受け取った貴大は、呆然とした顔でアストレアを見て、
「え? ま、まさか? お前、ひとりで」
「うん。それじゃ、行くよ!」
「待っ……!」
貴大が引き止めるよりも早く、勇者は飛び出していった。
自殺行為だ。とんでもない自殺行為だ。いくら勇者とはいえ、ひとりであれが倒せるものなのか? とてもそうは思えず、貴大は慌てて彼女の後を追おうとした。
止めて、連れ戻して、この森から逃げ出すんだ。それが最善の策であり、そうするしかないと貴大は思い込んでいた。
しかし、勇者アストレアは貴大の心配もどこ吹く風で――。
「マインゴーレム! 意思持つ鉱山よ!」
「お前に罪はない! しかし、その巨体は見過ごせない!」
「お前が歩くだけで大地は轟き、湖に浸かれば洪水が起きる!」
「山のような巨人よ! 術者にも見放された哀れなゴーレムよ!」
「もう眠るがいい! まどろみではなく、深き眠りの底へ――!」
「僕がお前を誘おう!!」
突き出た崖の先端に立ち、堂々たる口上を述べたアストレア。
彼女は聖剣を抜き放つと、マインゴーレムに向かって飛びかかっていった。
「いざ――ッ!」
「よせーーーーっ!!」
貴大は寸でのところで間に合わなかった。
彼女のマントをつかみかけたところで、勇者は崖を飛び立っていた。
極度の緊張感から、あらゆる動きがスローモーションに見えた。剣を振り上げる勇者。彼女に合わせて動き出すゴーレム。
ああ、ダメだ。このままではいけない。山を剣で切り裂いたところで何になる。マインゴーレムにとってはかすり傷にもなりはしない。逆にマインゴーレムの一撃は、どれも致命的な質量を持って勇者を襲うだろう。
それなのに、ああ、もう間に合わない。
勇者の一撃は、マインゴーレムの腕をとらえ――。
すぱっ! といい音を立ててこれを両断した。
「………………は?」
「てやー!」
ボーイッシュなかけ声と共に、マインゴーレムを斬りつけていく勇者アストレア。
彼女が何かを斬る度に、まるで冗談のように該当部分は切断されていく。マインゴーレムの手が、足が、胴体が、巨大な包丁で切り分けられたかのようになっていく。
『ガ、ガア、ア!』
残った手で勇者を捕らえ、これを握り潰そうとするマインゴーレム。
しかし、
「甘いっ!」
なんと転移魔法で束縛を脱し、逆にゴーレムの指を切り裂いていく。
『ウゴ、ア、オ……!』
(そうか、これがマインゴーレムの攻略法だったんだ……)
そんなわけがない。
そんなわけがないのだが、そう思えるほど鮮やかに、かつ効率的に、マインゴーレムは解体されていった。
そして、恐るべき巨人、鉱山の化身たるマインゴーレムは――。
『ガ、ア、ァ』
最後にそれだけ言い残し、崩れ落ちていった。
「ふうっ」
少しだけ額に汗をかき、それが憎いほど似合う勇者様は――。
「どう? 上手く撮れたかな?」
恐るべきことに、余力を十二分に残していた。
「これで任務完了。証拠に鉱石をいくつか持って帰ろう」
などと、散らばった鉱石を選別する様からは、強敵と戦った余韻だとか、達成感といったものは微塵も感じられない。ここで追加でマインゴーレムが数体出てきたところで、彼女は涼しい顔をしてこれを倒すだろう。これが数十体に増えたところで結果は同じ、逆レイドボス戦のような様相を呈するはずだ。
つまり、まあ、彼女はなんというか――。
「チートだ! チートだ!」
貴大をしてそう言わざる得ない存在だった。
「チートってなんだい?」
「規格外の力みたいなもんだよ……」
「へー、そんな単語があるんだねー」
まるで数値をいじったかのようなでたらめな力。
それを発揮していた本人は、至って平然としたものだった。彼女にとっては当たり前の力なのだろう。今さら驚くようなことでもないというわけだ。
「ったく、なんでそんなに強いんだよ」
「そりゃもう、勇者はこの地域のバランサーだからね」
「バランサー?」
「うん、そう。『強すぎる魔物』だったり、『異常なもの』だったり、『野心を暴走させた人間』だったり……とにかく、そういったものを排除するのが勇者の仕事。そうやって人間界のバランスを取るんだ」
「なんでまた、そんなことを……」
「神様は安定が大好きだからね。急激な変化とか、不確定要素を嫌うんだ」
あはは、と笑いながら鉱石を拾うアストレア。
彼女はひとしきり良さそうなものを見繕うと、それを布袋にしまって息をついた。
「ふうっ」
「ん? それだけでいいのか?」
「それだけって、結構な貴重品だよ? ふふっ、タカヒロ君も大概ズレてるなあ」
笑いながら袋の口を縛り、手袋についた埃を払うアストレア。
彼女は何の気なしにふとつぶやいて、
「ところでさ」
「なんだ?」
「さっきのバランサーの話だけど」
勇者の役割だとか、使命といった話に戻るようだ。
アストレアは少し真面目な顔をしたかと思うと、
「タカヒロ君、ちょっと特殊な立場の人だよね?」
「ああ。まあ、そうなるな」
「自分が不確定要素だと思ったことはないのかな?」
「え……」
気がつけば、アストレアは剣を抜いていた。
その切っ先を貴大に向け、彼女は再び口を開き、
「言ってる意味、分かるかな?」
貴大の背中を、冷たい汗が一筋伝っていった。




