表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
302/375

何でも屋と勇者

 勇者とは、神に選ばれし人類の守護者だ。


 強大な魔物。恐るべき災い。悪なる神々。魔道に堕ちた狂える人間。その一切を排し、万難から人類を守るために勇者は存在する。


 東大陸全土を股にかけ、あらゆる悪を成敗して回っている勇者。そんな英傑と呼べる存在が、なぜか、今、庶民の家の居間でお茶を飲んでいた。


「……おかわりはいかがでしょうか?」


「ありがとう。気の利くお嬢さんだね」


「……いえ」


 上座に腰かけ、まるでこの家の主のようにふるまう女性。


 歳の頃は二十歳くらいだろうか。大人の色香とボーイッシュな笑顔を併せ持つ彼女は、まさに男装の麗人と呼ぶに相応しかった。


「そちらは貴族のお嬢さんかな? すると君はどこかのお姫様というわけだ」


「いいいいえ、そそそんな、私、そんな大それたものじゃ」


「おや? そうなんだ。僕の勘も当てにならないものだね」


 きらりと光る白い歯に、カオルはくらくらと目眩がするようだった。


 フランソワに至っては半ば放心しかけていて、受け答えをすることさえできずにいた。


 唯一、ユミエルだけはいつも通りに見えたが――分かりにくいだけで、彼女も混乱しているのだろう。むやみやたらと居間と台所を行き来しては、定位置を決められず、うろうろとしていた。


「なあ」


「…………」


「おい、フランソワ」


「ふわぁっ!?」


「変な声を出すなよ」


「も、申し訳ありません」


 この余裕のなさは、貴大も始めて見る姿だった。


 あのフランソワが、いつも悠々と構えているご令嬢が、まさかこんなに素っ頓狂な声を上げるとは。勇者とはそれほどの存在だということなのだろう。その価値を知る者ほど、勇者を前にして平常心を保てないようだった。


「それで? なんでまた、うちにお忍びでやってこられたんです?」


 寝物語に「勇者の伝説」を聞いて育つこの世界の住人とは違い、貴大は別世界からやってきたような人間だ。知り合いに混沌龍や聖女を持つ彼にとって、勇者の名はそれほど重いものではない。一定の警戒はしつつも、貴大は単刀直入に問いを投げかけた。


 しかし、


「ふ~ん」


「…………」


「へえ~!」


「…………」


「なるほどねえ」


(なんなの……)


 肝心の勇者は先ほどからずっとこうだ。


 面白そうな顔をして貴大を見ては、何やらうなずき、興味深そうに彼を観察している。


 敵意や害意は感じられないが、こうも無遠慮に見つめられれば面白くないのが人間だ。第一、居心地が悪い。欲しい答えが得られないまま、さりとて無理やり追い出すこともできず、貴大はむずむずと背中がかゆくなるのを感じていた。


「ああ、ごめんね。つい、嬉しくなっちゃって」


 気まずそうな貴大の顔にようやく気がついたのか、勇者アストレアは照れたように笑って言った。


「こんな顔してたんだなー、とか、やっぱ強そうだなー、って」


「いや、訳わかんねえよ。そろそろちゃんと会話をしてくれ」


「ふふふふふ……」


「いや、だからな」


 どうやら勇者は上機嫌のようだが、貴大はまったく面白くなかった。


 事件の香りがする。それもろくでもない類のものが。相手が友好的だからといって、それで穏便に済むわけがないことは貴大も知っていた。


 混沌龍には子作りを迫られ、人工聖女には危うく洗脳されかけた。彼女らと同じ類の人間が、まさかお茶を飲みに来ただけではあるまい。


 貴大のことを知っているようなそぶりを見せているし、これはどうにも、覚悟を決めておいた方が良さそうだ――。


「あっ、ごめんごめん。僕ってダメだなあ。自分のことばっかりで」


 貴大の眉間にしわが寄り始めたのを見て、勇者は素直に頭を下げた。


「ちゃんと用事があって来たんだ。まずはそのことを話さないとね」


 居住まいを正し、真面目な顔をして貴大に向き合うアストレア。


 彼女の真剣な表情を見て、貴大もいよいよ本題なのかと腹をくくった。


 なぜ勇者はフリーライフに来たのか。なぜ彼女は貴大を訪ねてきたのか。その答えを示すべく、アストレアは口を開き――。


「依頼をしに来たんだ」


「依頼?」


「うん。魔物退治のお手伝いをしてもらいたいんだ」


「……え?」


「いや、だから、魔物退治の補助を」


「それだけ?」


「それだけだけど」


 真っ当な依頼だった。


 何の変哲もないお願いだった。


 細かいところをつけば、「それは冒険者向けの依頼だろう」とか、「こんな弱小事務所に来なくていいだろう」といったことを言えなくもなかったが――。


 依頼自体に問題はなかった。魔物退治のお手伝い。冒険者ギルドに行けばいくらでも転がっていそうなものだった。


 しかし、そうなると――。


(なんでそんな依頼を俺に持ってきた?)


 やはり、謎は尽きないようだった。


「いや、魔物相手なら腕が立つヤツを紹介するけど」


「ダメだよ。相手はレベル250の大物だ。一般人なんて連れていけないよ」


「なおさらダメじゃねえか。俺なんて連れて行っても……」


「いや、適任だと思うよ?」


「だって、君――」


「あの黒騎士でしょ?」


 瞬間、場の空気が凍りついた。


 バレている。見透かされている。この勇者は貴大が黒騎士を演じていたことを知っている。


 すべて承知の上でここに来たのだ。分かった上で、魔物退治を手伝ってくれと言ってきている。


 そこに隠された意図はなんだ? この依頼を受けることで、あるいは受けないことで、どんな事態に発展する? 勇者は何をするつもりだ? 自ら訪ねてきて、いったい、何を――。


「ああ、そんなに警戒しないで! 驚かす気はなかったんだ」


 にらみつける貴大と、彼をかばおうとする少女たち。


 彼らを前にして、むしろ慌てていたのは勇者の方だった。


「依頼だって裏はないよ。断られても、別にどうこうするつもりはない」


「じゃあ、なんで」


「噂の黒騎士を見てみたかったんだ。欲を言えば一緒に戦ってみたかった。こう見えて、僕、君のファンなんだ」


「ファン?」


「うん、そうだよ」


 晴れやかな笑顔で、勇者は嬉しそうに語った。


「あの混沌龍を倒したって噂を聞いたのが初めてだったかな? それ以来、ちょくちょく君の話を聞くようになって……神様も君のことを話していたんだよ? 勇者に匹敵する力を持っているって」


「まあ、先生がそんなに……」


「評価されているね。僕も聞いていて気持ちいいくらいだった」


「タ、タカヒロの正体も神様から聞いたんですか?」


「そうそう。神様は何でも知っているからね。当然、黒騎士の仮面の下も知っていた」


「って、待てよ。じゃあ、あの悪神のことも……!」


「うん、知ってた。僕もあいつを倒すために動いてた」


「じゃあなんで……!」


「倒せなかったんだよ。いや、倒すことはできるんだけど、あいつ、倒しても倒しても復活するだろう? 本当に手を焼いていたんだ」


 常識外れの力を持ち、倒せないものなど何もない。


 そんな魔物の天敵とも呼べる勇者から逃れるために、あの悪神は「滅ぼされない力」を貪欲に求めたのだろうか。


「最終的に封印するか、次元の狭間に追放するか、神の間でも意見が割れていたんだよ」


「……そんなことが」


「そうそう。あったんだけど、ここにいる彼が見事! きれいさっぱり退治してくれてね。いやあ、それを聞いた時は本当に嬉しかった!」


 頬を紅潮させ、少年のように喜ぶアストレア。


「以前から活躍は耳にしていたんだけど、それが決定打になってね。仕事先に住んでいたこともあって、こうしてたまらず会いに来たのさ」


 ファンというのは本当のようだ。


 ここに色紙とペンがあったら、きっと彼女はサインをねだっていたことだろう。


 だとすると、ただ一緒に戦いたかったという依頼にも裏はないということで――。


(ええ~、でも、めんどくせえ~……!)


 人生の節目を越えたばかりで、今は落ち着きたいのが貴大だった。


 欲を言えば温泉にでも行って、疲れを取ってから仕事に臨みたい。


 それなのにこんな大仕事に関わるだなんて――しかも、また、規格外の知り合いが増えそうだなんて――。


 考えるのも嫌になって、貴大は久方ぶりにげっそりとした顔をしていた。


「じゃあ、頼んだよ~!」


 無下に断るのもどうかと思い、また、断って粘着されるのも嫌だった貴大は、依頼を受けはしたものの――。


 正直、行きたくなかった。レベル250の魔物となんて戦いたくなかった。


 いくら限界を超えた力を持ったとはいえ、面倒臭いものは面倒臭い。あんなに不憫に思っていた勇者の責務を、まさか自分が手伝わされるとは! 夢にも思わぬ展開に、貴大はたまらず床を転がり回った。


「嫌だ嫌だ嫌だ! あ~、行きたくな~い!」


「先生、そうおっしゃらず」


「めんどくせー!」


「……久しぶりに見ましたね」


「うーん、駄々っ子だ」


 貴大は知っていた。


 これきりとは言われたものの――。

 

 こうして縁を持てば、それが次の依頼に繋がることを。そして依頼は事件に繋がり、やがて大きな流れに呑みこまれていくことを。


 身を以って知っていたからこそ、貴大は子どものように喚き続けるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ