勇者、来たる
ここから後日談です。
まずは勇者来訪編、お楽しみください。
イースィンド王国は呪われた国である。
混沌龍の襲来から続く災厄、それはひとえに呪いによるものである。
神の怒りに触れたのか、はたまた討伐された龍の怨念が渦巻いているのか。それは定かではないが、あの国、あの都は、もはや人の住める場所ではない。
近づくなかれ。立ち入るなかれ。イースィンド王国を包む暗雲は、未だ、晴れてはいないのだから――。
「なんて噂を聞いたんだがな」
自宅の居間でボリボリとクッキーをかじりながら、貴大は言った。
「あ、私もそれっぽいの聞いたことある」
向かいの席で同じようにクッキーをかじりながら、カオルはそううなづいた。
「……皆さん、不安なのでしょうね。だからこそ、それらしい答えをつけたがるのです」
お茶を運んできたユミエルは、涼しい顔で自身の推測をつぶやいた。
彼らが話しているのは、ここ最近のイースィンド王国に対する評価だ。根拠のない噂話と言ってもいい。龍に襲われたり、ゾンビ病が蔓延したり、犯罪組織が事件を起こしたり、極めつけには悪神に都を落とされかけたり――。
とち狂った隣国の王子が、軍を率いて侵攻してきた、なんて話もある。こちらは寸でのところで身内に止められたそうだが、だからと言って問題がないわけではなかった。
「まあ」
「なんにせよ」
「……一件落着とはいきませんでしたね」
全ての元凶を倒し、ハッピーエンドを迎えたはずなのだが――。
物事はなべて事後処理の方が厄介なものなのだ。悪神を倒したところですっきりしたのは一部の人間だけで、国内外の人々は、むしろイースィンド王国に対する危機感を強めていた。
「どーなっちゃうんだろうねー、グランフェリアは」
「内陸の方に都を移すとかいう話も出てたぞ?」
「えー? せっかく愛着も湧いてきたのに。ユミィちゃんだって嫌だよね?」
「……はい」
呪われた土地を捨て、心機一転、やり直す。
荒唐無稽な話だが、それを冗談と切り捨てられないことが、どうやらグランフェリアの現状を示しているようだった。
「あら、そう悲観的になることはありませんわ」
「どういうことだ?」
ここでフランソワが話に混ざった。
花摘みを終えて居間に戻ってきた彼女は、楚々と微笑みながら貴大の隣の席に座る。
「実は我が国に勇者が来ることになりまして」
「勇者?」
「はい。その方に諸悪の根源を断っていただくことになりましたの」
「ふ~ん……ん?」
興味深い話に相槌を打っていた貴大は、違和感を覚えて動きを止めた。
諸悪の根源? それは自分が倒したはず。わずか数日前の話だ。ナイフを突き立てた感触も、未だ生々しく残っている。
なのにその勇者とやらは、いったい、何を倒すというのだろうか――。
「うふふ、違いますのよ?」
首を傾げる貴大たちに、フランソワは悪戯っ子のように笑ってみせた。
「勇者が云々というのは、言わばデモンストレーションのようなものでして」
「ってことは」
「はい。勇者に手ごろな魔物を討っていただいて、それを以って『事態は終息した。王国を包む暗雲は晴れたのだ』と大々的に宣伝するつもりです」
「うわあ……」
まさか勇者を政治利用するだなんて――。
しかし、考えてみればその方がいいのかもしれない。今さら貴大が出て行って、一連の事件のことを説明したところで、余計に事態を混乱させるだけだ。悪神は倒した、もう安心だなんて言ったところで、誰も信じてはくれないだろう。
ここで重要なのはネームバリューの方で、「あの勇者が安心だと言ってくれた」。そちらの方がはるかに効果的で、しかも確実な手段なのだ。
どんな魔物も倒してのけて、噂では魔王さえも退けたと言われる勇者。尋常ならざる力を持ち、現在進行形で各地に伝説を刻んでいる者にかかれば、曖昧模糊とした悪評、不安など、一吹きにしてしまえるはずだった。
「じゃあ、これで安心だな。あいつに任せりゃ大丈夫だろ」
「あいつ? タカヒロ、勇者さんを見たことあるの?」
「昔、冒険者時代にな。レベル250のユニークモンスターを一刀両断してたぞ。あの時ぁ、軽く引いたわ」
「そ、そりゃねえ」
今の貴大なら同じようなことができるが、当時はまだ超常的な力を持たなかった貴大である。
腰が抜けるほどに驚いたし、何日もずっと目に焼きついた景色が離れなかった。あとであれが勇者だと知った時は腑に落ちる思いがしたが、それでも尋常ならざる力だったことには違いなく、「勇者にだけは目をつけられるまい」と心に誓ったものである。
貴大をしてそこまで肝胆を寒からしめる勇者。
一般人が勇者に対して抱く畏怖、敬意は貴大の比ではなく、勇者が大丈夫だと言えば大丈夫だと、誰もが確信するほどだった。
「やれやれ。これでやっと肩の荷が下りたな」
「……どうしてでしょう? ご主人さまは被害者だったはずでは」
「いや、俺が住んでるから狙われたわけだろ? だから、なんか責任感じててな」
などと言いながら、ほっと安堵した様子を見せる貴大。
その言葉通り、彼は今度の今度こそ、自身にまつわる事件が終わるのだと考えていたのだが――。
カラン、コロン。
ここで、来客を告げるベルが鳴った。
「……お客さまでしょうか?」
「ああ、いいよ。俺が出てくる」
お茶のおかわりを淹れるため、台所に入りかけていたユミエル。
彼女を手で制して、貴大は率先して席を立った。
「どうせ依頼の予約程度だろ。ちゃっちゃと済ませて戻ってくるよ」
今日は日曜日、世間一般では安息日とされる日だ。
普段は依頼さえも入らないはずなのだが、今だけは話が別だ。悪神に襲われた王都では、未だに本調子ではない者が多い。その代わりとなるのが何でも屋であり、ここのところ、フリーライフはすっかり商売繁盛だった。
カオルやフランソワも依頼の予約ついでに顔を出したのだ。貴大は、またその手の類かと思い込んで、軽い調子で事務所の方に移っていった。
カラン、コロン。
「あー、はいはい。今開けますよ、っと」
ペタペタとサンダルを鳴らし、事務所を横切る貴大。
彼が何の気なしにドアノブに手をかけ、扉を開いて見たモノは――。
「……やあ」
「……え?」
「こんにちは。いや、僕にとっては、はじめまして、かな?」
純白のマント。艶やかな黒髪。
整った顔立ち。そして、腰に下げた聖剣――。
間違いない。勇者だ。勇者アストレアが、貴大の目の前に立っていた。




