「まんぷく亭」にて
「豚の生姜焼き定食二つ、ミックスフライ定食三つ、豚キムチ丼一つ、注文いただきましたぁ~~~~~!!!!」
「あいよ~~~!!! ……くそっ、どれか1つに注文絞れよめんどくせえ……!」
中級区大通りから一つはずれた通りに位置する「まんぷく亭」の看板娘、カオルの注文に答えた貴大は、誰にも聞こえないような声で一人ごちる。
「がははっ!! な~に言ってやがる! てめえが考えた料理だろ! 自業自得だ!! がはは!」
しっかりと聞かれていたようだ。恨めしそうな顔の貴大の背中をバンバンと叩きながら豪快に笑う巨漢の名はアカツキ。「まんぷく亭」の店主である、ジパング産まれの父を持つハーフの中年だ。筋骨隆々としたその体躯と、繊細な響きをもつ名の齟齬が激しい。
「くそっ……前の店だったらもっと楽ができたのに……」
ガハガハ笑って遠ざかっていく背中を見つめながら、ぼそりと洩らす貴大。
そう、半年前の「まんぷく亭」は、こんなに繁盛はしていなかったのだ。
数ヶ月前、「何でも屋・フリーライフ」の近所に定食屋がオープンした。聞くところによると、ジパングの米の飯を出すらしい。
これには、貴大は狂喜乱舞した。なにせ、日本人の主食である「米」だ。貴大が落ちた場所は「アース」の東大陸西部。地球ではヨーロッパにあたる地方の主食は、当然ながらパンか芋だ。
大ぶりなジャバニカ米をリゾットにして食べさせる店もあったが、どうにもしっくりこない。ジャポニカ米をくれ……! という切実な思いは、貴大の心の底で溜まり続けていた。
そんな折、「ジパングの米を食わせる店ができた」と、小耳にはさんだ。ジパングと言えば、地球でいうところの日本……! ならば、米も当然ジャポニカ米だ!! 貴大は遮二無二駆け出した。
「いらっしゃい!!」
高なる胸を抑え、「まんぷく亭」の扉を開く。物珍しさからか、昼時も過ぎたと言うのにそれなりに客の姿が見える店内。ジパング人らしさが風貌から伺える店主。そして、決定的なのが、厨房の奥に鎮座する羽釜……! これは期待できる……! 椅子に座りながらも、そわそわと落ち着きが無い。
「お客さん、いらっしゃい!注文は決まりました?」
「ぁえっ!? あ、ああ、この……日替わり定食を」
「かしこまりました~」
(いかん、ぼーっとしてた……いや、無理もないか)
夢にまでみた銀シャリだ。はしゃぐなと言う方が無理だ。芳しい米の香りが鼻腔をくすぐる。今なら丼三杯は食える……!
そんな飢えた獣のような目をした貴大の前に、料理が運ばれてくる。五分ほどしか経っていない。素晴らしい早さだ。ブラボー!
「お待たせしました~! こちら、本日の日替わり定食で~す」
「あ、どうも」
軽く会釈をして、備え付けられた箸をビッ! と引き抜く。目の前にはつやつやと輝く白米。更には、一汁三菜揃っている。
素晴らしい! 素晴らしい!! 感動に震える心のまま、まずはお浸しに箸を伸ばす。これでご飯をほうばれば、天国の始まりだ・・・!
「………………ん?」
天国は、始まらなかった。
茹でて冷水にさらして軽く絞ったほうれん草にかかっていた黒い液体は、醤油ではなくバルサミコ酢だ。
「………………え?」
味噌汁だと思っていた茶褐色の汁ものに口をつける。豆のポタージュだ。
「………………はい?」
メインの照り焼きチキンにかぶりつく。これは燻製鳥のオイル焼きだ。
「お、ぉおぉおおぉぉおおぉ……!?」
天国の代わりに始まる混乱の嵐。故郷を偲ばせる米の味と、パンや芋には合うだろうオカズの味が、口の中で不協和音をバラまく。
いや、合わないことはないのだ。米の飯は守備範囲が広い。合わないものを探す方が大変だ。
しかし、日本の味に飢えていた貴大が求めていたのは、こんな「洋風」ですらない、完全な「西洋料理」の味ではない。
醤油だ! 味噌だ! 出汁だ! 特に醤油だ!
「白い飯には醤油だろうが……!!」
食いしばった歯の隙間から絞り出すように怨嗟の声を吐き出す貴大。
「うん? ショーユってなんですか?」
耳聡く聞きつける「まんぷく亭」の看板娘。少し話を聴けば、その言葉通り、「醤油」の存在を知らないらしい。味噌も、出汁もだ。
「つまり、この店はジパングの米を出すだけで、料理は他の店と変わらない、と……?」
「そうですよ?」
……貴大の心のどこかで、何かが壊れた。
「ふざっけるなあああああ~~~~~~!!!!」
「きゃあああああ~~~~!!?」
そこからの一週間、貴大は当時のことをよく思い出せない。
アカツキやカオルから話を聴くと、鬼のような形相で厨房へと入り、アカツキをふん捕まえてジパング料理を叩きこみ始めたそうだ。
曰く、「今ある食材でも米の飯がもりもり食えるもんは作れるだろうが!! おら、ミックスフライだ!! タルタルソースで食ってみろぉ!!!」とアカツキの口に揚げたてのミックスフライを詰め込んだ、とのこと。
曰く、「おらぁ!! 料理人スキル【超熟成】と【調味料作成】で作った醤油と味噌とウスターソースだぁ!! こいつを使って料理をしやがれぇ!! レシピも伝授してやるぜぇ!!!」と、カオルの胸の谷間にウスターソースの瓶を差しこんだ、とのこと。
当時の自分はどれだけ飢えていたんだよ……と、頭を抱える貴大。ともあれ、こうして「まんぷく亭」は、米の飯をいかにうまく食べさせるか、をモットーにした日本式の定食屋へと生まれ変わり、開店から一カ月経たないうちにすっかり繁盛店へと姿を変えたのだった。
「そのおかげで、今の苦労があるわけか……確かに自業自得だ……」
常のランチタイムの客+会議所から吐き出される客の群れを捌き終え、ぐったりと机に突っ伏す貴大。時刻は14:00。ラストオーダーも終わり、店も「準備中」となる時間だ。
「ねねね、タカヒロ! 今日のまかないは私がつくったんだ! ほらほら食べてみて!」
同じだけ働いたのに、どこにそんな元気が残ってるのやら。「まんぷく亭」の看板娘が、お盆に飯とおかずを載せて駆け寄ってくる。
疲れて動けなくても、働いた分だけ腹は減る。のろのろと箸に手を伸ばし、皿の中を覗き込む。
「おっ、今日はレバニラか。疲れたからありがたい……おお、なかなかいい出来だ」
「えへっ、そ、そう? おいしい?」
「ああ、うまい。飯がすすむ」
「そっか、よかったぁ。タカヒロってこういう味が好きだもんね!」
うまいうまいと山盛りのレバニラと丼飯を平らげる貴大。それをニコニコと見つめるカオル。更にその二人をニヤニヤと見つめるアカツキ。監視社会か、ここは……もちろんヒエラルキーの最下層は貴大だ。世知辛い。
「ふう……ご馳走さま」
「はい、お粗末さまでした」
昼のまかないを胃に収め、一息つく。このまま昼寝でもしそうにくつろいでいる。カオルはそんな貴大を見てくすりと笑い、食器を厨房へと下げに戻った。
(いやぁ、いっそのこと散歩の依頼はブッチするか……?)
ハロルド夫人は上級区の人間とは言え、所詮は平民だ。貴族王族ではない。依頼を断ったからと言って、牢屋にぶち込んだり体罰を与えたりはしないだろう。一か月も姿を眩ませていれば、あの頭のネジがゆるそうな有閑マダムのことだ、今回のことなど忘れるに違いない。
「そうと決まれば……」
「……そうと決まれば、何です?」
「うぇああっ!!? な、なんでお前がここにっ!!?」
いつの間にか背後に立っていた「何でも屋・フリーライフ」の住み込み使用人。いつもどおりの無表情な顔で、貴大を見下ろしている。
「あ、タカヒロー! ユミィちゃん来てるよー!」
「そういうことは早よ言え!!」
あわわわわ……と震える貴大。ユミィの湖面のように澄んだ瞳は、彼が何を考えているか見通しているかのようだ。
「……そうと決まれば、早速次の仕事へ行くか、ですよね?ご主人さま」
またもやどこからともなく取りだした鞭を、ピシリピシリと床に打ちつける使用人。あれはとても痛いんだ……でも、その痛みはやがて快楽に……ならないならない、あれは痛みだけ。冗談抜きで痛い。マジで。
「も、もちろんだ! 早く行かなきゃ一日が終わるもんな! ははは……」
「……抜き打ちで確認をするので、しっかり労働に励まれますように」
「ハイ……」
監視社会は未だ継続中のようだった。もちろん、監視される側は貴大。ヒエラルキーの最下層だ。世知辛い。
使用人に連行されて次なる仕事へと赴く貴大。背中には、「お仕事、頑張ってね~」というカオルの声。引き留めるどころか、仕事へと駆り立てる激励だ。
貴大の耳には、どこからともなくドナドナが響いてくるのが聞こえた……。