求めたもの
最後の戦いは喜びと共に始まった。
探るように丁寧に。壊さないように慎重に。しかし、溢れる歓喜は隠そうともせず、悪神は貴大と刃を交える。
「これはどうかしら? これは? これは? これは?」
黒い霧を剣や槍のように変え、次々と突き出してくる悪神。
その猛攻をナイフ一本で弾いてみせて、逆に貴大は悪神に攻撃を繰り出す。
「ああ! いい! 素晴らしいわ! なんて素敵なことなんでしょう!」
あのルートゥーやメリッサさえ、見ることも出来ない高速の斬撃。
それを踊るようにかわしながら、悪神は幼子のように手を叩いて喜んだ。
「これほどの実になるなんて思わなかった! これほどの力を得るなんて思わなかった!」
「育てた甲斐があった! 見守ってきた甲斐があった!」
「なんて立派に、見事に熟して――」
「こんなに嬉しいことはない」
百面相のように顔の造りを変えながら、なおも喜ぶ悪神。
彼女が笑う度に黒い霧が立ち昇り、吹き払われたはずの【衰弱】が、再び街と貴大にまとわりつこうとしている。
敵は状態異常を巧みに操る悪神。長期戦は不利だと分かってはいるが、レベル差はいかんともしがたく、ステータスも悪神の方が上のようだった。
しかし、ならば――!
「【ブースト】!」
スキルの発動に合わせ、貴大の姿がかき消えた。
「【アサシン・インスティンクト】!」
次のスキルによって、どす黒いオーラが尾を引き始めた。
「【ハイ・ジャンプ】!」
最後に軽い跳躍音が響いたかと思うと――。
「【ダガー・レイン】!!」
即死効果を持つナイフが、悪神目がけて雨のように降り注いだ。
「うふふふふふ……」
その数、威力、どれも以前のものとは別物だ。
貴大はレベルの上限を超えたことにより、以前とは一線を画する力を手に入れていた。
しかし、悪神もまた、限界を超えた者だ。こんなものは通じないとばかりに、笑いながら黒い霧で無数のナイフを弾いていく。
「【サンダー・ブリッツ】!」
「あらぁ♪」
ナイフを囮に放った掌底も、片手であっさりと止められてしまった。
それどころか、ほとばしる電撃をものともせず、悪神は添えた右手で愛おしそうに貴大の手を撫で始める。
「やはりいい。素晴らしい。今の貴方なら、あの混沌龍も単独で倒せるでしょう」
「…………っ!」
伝わる感触、そのおぞましさから、貴大は反射的にその場から離れた。
悪神は動かない。先ほどの猛攻が嘘のように、今度は足を止め、黙って貴大のことを見ている。まるで品定めをしているかのように――。
「本当のところは、私、困っていたのです」
「……何の話だ」
「もちろん、レベルの話ですよ。私のレベルの話です」
「限界を超えたものの、実は私、また壁にぶつかりまして」
「レベル300から上に、どうしても上がれなかったの」
「だけど! 貴方を食べれば、きっとまた、壁を超えられるわ!」
「品質は上々。最高のお肉ね」
「魂をしゃぶるだけじゃ」
「正直、物足りなかったの」
そう言って舌なめずりをした悪神は、今度は野獣のように貴大に飛びかかった。
まるで彼の肉を毟り取り、そのまま食べてしまいそうな荒々しい攻撃。それをナイフでさばきながら、貴大はグランフェリアの大通りを駆ける。
「ねえ! もういいでしょう!」
「食べさせて! 我慢が出来ないの!」
「私とひとつになりましょう?」
「申し分ないわ! これまで食べた誰よりも!」
「貴方は輝いて見える……!」
悪神としての本性を露わにし、ぼたぼたとよだれを垂らすM.C。
蠢く顔は口が裂け、牙がむき出しになり、正視に堪えないものとなっていく。
それでも貴大は待っていた。悪神の動きを見て、ただひたすら機会を待つ。
(この技なら……!)
斥候職。特に〈アサシン〉に欠かせない技。
レベルキャップ解放により強化された暗殺技ならば、きっと、今の悪神さえも――!
「ぐあああああっ!?」
逆転の機会を探る貴大。
しかし、彼がそれを見つけるよりも早く、悪神の手が貴大をとらえた。
「捕まえた……!」
「ぐううう……っ!」
伸ばした右手で貴大の首を絞め、そのまま民家の壁に叩きつける悪神。
苦しむ獲物を嗜虐的な目で見つめ、彼女はまた、口が裂けるような笑みを浮かべた。
「せっかくのお肉ですもの。美味しくいただきたいわ」
「ひき肉にしてハンバーグにしましょう。私、あれが好きよ」
「薄く削いでスープに浮かべましょう。食感が素敵なの」
「あばらの肉を炭火で焼くのもいいわ」
「丸焼きにしてもいいわ」
「茹でてもいい」
「でも」
「だけど」
「「「やっぱり、生で」」」
赤く、大きな口を広げ、獲物の頭にかぶりつく。
ボリン、ボリンと音を立て、骨を割り、中に隠れた脳みそをすする。
最高の食事だ。これまでになかった充足感がある。やはり魂だけではなく、肉体を食べなければ――。
「…………?」
違和感があった。
食感が、味が、手の内にある獲物の体が、段々と薄くなっていく。幻のように輪郭が歪み、やがて蜃気楼のように消えていく。
「これは……!」
覚えがあった。
これはまさか、あの青年が得意とする、
「そう、分身だ」
「………………!!」
驚愕と共に振り返った悪神。その胸に深々とナイフが突き刺さる。
「かっ……!?」
冷たい刃を通して伝わる、暗くよどんだ死の気配。
それは悪神の心臓から全身へと広がり、彼女の体から力を奪っていく。
「終わりだ。もうお前は助からない」
刺したナイフに力を込めて、ぐるりとえぐる貴大。
「この世から失せろ、悪神」
彼はそれだけ言い捨てて、情け容赦なくナイフを引き抜いた。
「…………っ!!」
悪神はとうとう膝をついた。
傷口からはタールのような血が溢れ出し、それはもう止められなかった。抑えた手の隙間から流れ落ちて、石畳を黒く、黒く、汚していく。
「ああ、あ」
悪神の顔からは血の気が失せて、生気さえも消えていた。
致命傷だ。ここからどう足掻こうと、悪神は死ぬ。それは動かしようのない事実だった。
「私、死ぬのね」
「ああ」
「この体が無くなってしまう」
「そうだ」
弱々しい悪神のつぶやきに、短く答える貴大。
その素っ気無い姿を見て、悪神は儚く微笑むと、
「だけど、私はいなくならない」
不穏な言葉。
悪神は血にまみれたまま、にたりと笑った。
「私は死なない。死んでも死なない。私はずっと私のままなの」
「私を殺しても私は別の私になって生き続けるわ」
「私じゃない私が新しい体になってくれるの」
「つまり、私の魂は不滅」
「この体を失うのは惜しいけれど――」
「ちょうどいい体が、そこにある」
そう言って、悪神が見たのは――。
ふたりを追ってきたルートゥーと――。
そして、メリッサだった。
「…………え?」
戸惑うメリッサに悪神は、
「メリッサ・コルテーゼ。貴女も私。私の体」
「悪神の因子を持つ者。私が作った私の予備」
「世界中にいる私じゃない私の一人。私の体」
「貴女の体に乗り移り、私は新しい私になる」
「私は貴女になって、貴女の顔で」
「貴大くんを食べるわ」
笑いながら手を伸ばす悪神。
その言葉と真意に気づき、メリッサは自分の体を抱いて後ずさった。
「やだ……! やだ……!!」
「…………っ!!」
涙ぐんで首を横に振るメリッサに、ルートゥーは迷いを見せた。
ここで殺してあげた方が、いっそ幸せなのかもしれない。そう思って振り上げた右手を――彼女は振り下ろせずにいた。
そして悪神は、そんなことなど分かっていたとばかりに、悠々と自分の体から抜け出して――。
「本当にそうか?」
「…………どういうことかしら?」
悪神とメリッサの間に立ち塞がったのは、貴大だった。
彼は怒るでもなく、慌てるでもなく、淡々と悪神に問いかける。
「本当に、そんなことが出来るのか?」
「………………」
その態度を不審に思った悪神は、言われるまでもなく、今の体を脱ぎ捨てようとした。
魂だけの状態となり、誰にも触れられないまま、メリッサの体に――。
「どういうこと」
出来ない。なれない。新しい自分になれない。
死に瀕しているというのに、新しい体に移れない。
必死に力を使おうとしても、ただただ虚しく、消えていくだけ。
「【ポゼッション】! 【リンカーネーション】!」
「【リバース】! 【リセット】!」
「【イモータル】……!」
どれもレベル上限を超えて習得したスキルだ。
レベル300に至るまでに覚えた、「死なないための」スキル。
自分に不老不死をもたらしてくれるはずのそれらは、元からなかったかのように力なく、反応がない。
悪神の胸からは、今もなお、血が流れ出している――。
「何をしたぁぁぁぁぁァァァァアァッ!?」
悪鬼のごとき形相を見せ、貴大に食いかかる悪神。
しかし貴大は落ち着き払った態度で、彼女にこう告げる。
「お前が死なないことを願ったように、俺もレベル上限を超えた時、ひとつだけ願ったんだ」
「何を……!?」
「お前を殺すことを。お前を消し去ることを」
「何を……!」
「【ピリオド・エッジ】。お前はもう終わりだ」
「貴様ァァァァァァァッ!!」
もはや悪神に余裕はなかった。
余裕のある態度は消え失せて、黒い霧を、醜い触手を、全身から貴大に向かって激しく伸ばす。
しかし貴大はそれをよけ、屋根に飛び乗り、なおも続ける。
「代わりの体がどれだけあろうが、元の体がどれだけリポップしようが、お前はこれで終わりだ。俺たちにちょっかいをかけてきたM.C! お前だけがこの世界から消える!」
「許さない! 認めない! そんなこと、許されるはずがない!」
「ぐだぐだ言ってねえで、さっさと死ね!」
貴大を追い、蝙蝠のような翼を生やして飛び上がる悪神。
彼女は勢いのままに上昇し、太陽を塞ぐように体を広げる。そこから泥が滴るように、触手や黒い粘液が降ってきて――。
「はあああああああっ!!!!」
街中に降り注ごうとしていたそれらを、貴大は無数の【ミラージュ・エッジ】で消し飛ばす。
その隙を狙って大蛇のような触手が、貴大を丸呑みにしようと迫り来るが――。
「…………!」
悪神から漏れ出た魔素が、大剣の、あるいは杖の形となって貴大を守る。
あたかもそこに誰かがいるように、悪神の攻撃から貴大を守ってくれる。
「貴様ラアアアァァァァァァッ!!!!」
断末魔にも似た叫び声を上げる悪神。
おぞましき生き物。多くの者の人生を狂わせ、文字通り食い物にしてきた偽神に、貴大は、
「これで……ケリだ!」
一際高く跳び上がり、今度こそ悪神にピリオドを打った。
青い空が見えた。
悪神の消滅、その余波を受けて吹き払われたのか、グランフェリア一帯は青空が広がっていた。
その澄み渡った空、降り注ぐ魔素の煌きを見つめながら、貴大は心の中でつぶやいた。
(終わったよ……れんちゃん、優介)
すべての元凶である悪神は倒した。約束通り、きっちりとケリをつけた。
自分たちの人生を歪めた悪神は、もうこの世にいないのだ。それはつまり、平和が戻ってきたということと――長い別れを意味した。
「あ……」
悪神の体内にあった魂が解放され、天へと昇っていった。
そしていくつかはあの荒野、世界間の穴がある場所へ向かっていく。
きっと元の世界、元の体に戻るのだろう。その中には貴大の友人もいるはずだった。
(またな)
ゆるゆると手を振り、また空を見上げる。
自分はあのように帰れない。魂だけではなく、体もこちらに来てしまった。向こうの世界には、もう戻るべき体がない。
奇しくも二年前、自分だけが帰れなかった――そう思い込んでいた状況と重なった。
しかし、今はあの時のような絶望はない。なぜなら、今度は自分で決めた道だからだ。
あの二人は向こうの世界で、貴大はこの世界で生きていくことを選んだ。それが大人になった三人が、それぞれ出した答えだった。
(いつか、また)
さみしくないわけではない。未練がないわけでもない。
しかし、それらすべてを呑み込んで、貴大はこれから、この道を歩く。
いつかまた会える日を想い、この世界で生きていく。
〈アース〉。剣と魔法の不思議な世界。まるでゲームのような、しかし、どこまでもリアルな世界。
そのリアルな空の下、遠くを見ていた貴大は――。
最後に小さく笑うと、待つ人がいる家に向かって歩き出した。




