セピア色の街
「げっ」
「んだよ」
朝っぱらから嫌なやつに会ってしまった。
蓮華。倉本蓮華。一つ年下の女子高生にして、あのれんちゃんの妹だ。
ということはつまり、こいつも俺のお隣さんってことになり、れんちゃんと同じく幼馴染ってやつになるんだが――。
「あ~、やだやだ。最悪。朝からテンション下がるわ」
「はあ? こっちの台詞だ。なんでこんな時間までいるんだよ」
「今日は朝練、お休みなの。帰宅部のあんたとは違うの」
「はいはい」
「ふんっ」
まあ、こんなやつだ。
見た目も性格もいいれんちゃんとは違って、こいつは外見だけのクソ女だ。何が気に入らないのか、昔から俺につっかかってきては、ギャーギャーギャーギャー、うるさいことこの上ない。
それなのに外面はよく、俺以外にはいい顔しか見せないんだからたまらない。喧嘩をしたところでたしなめられるのは俺の方で、悪者扱いにもすっかり慣れた俺は、もうこいつをスルーするようになっていた。
なのに蓮華ときたら、それさえ気に食わないみたいだ。
「ちょっと。待ちなさいよ。あんたに話があるの」
「ああ?」
「あのVRゲーム、おにぃを誘うの止めてよね」
「なんでだよ」
「勉強する時間が減るでしょ! 家族との時間も減るじゃない。あんなのに熱中するなんて、絶対おかしいわよ」
「そんなの人の勝手だろ」
「違うわよ。いい? ネットで見たけど、VRゲームに割く時間に比例して……」
「あ~、はいはい。はいはい」
耳を塞いで倉本家の前を通り過ぎる。
しかし蓮華はそれを許さず、俺の首根っこをつかまえて、説教を続けようとする。
「だいたいあんたは昔から~!」
「も~、なんなんだよ、お前は~!」
朝っぱらからギャースカギャースカ、もう勘弁して欲しい。
なんでいっつもこうなるんだ。俺はただ、登校しようとしてただけなのに――。
ガチャッ。
「あ」
「ん?」
「おにぃ?」
倉本家の玄関が開いて、れんちゃんが姿を見せた。
よし、いいぞ。兄として責任を持って、こいつをどうにか鎮めてくれ!
「ん~……」
れんちゃんはすたすたとこちらに歩いてくると、
「相変わらず、仲いいね?」
「「違うっ!!!!」」
ちょっと天然ボケ気味な、のほほんとしたれんちゃんの声。
それを思いっきり否定して、俺と蓮華はまたにらみ合った。
最近、受験だ、大学だ、将来だとよく聞くようになった。
先生はもちろん口にする。授業のとき、しょっちゅう話題にしては、俺たちに進路を意識させようとする。
クラスのやつらも話し合ってる。やれ推薦だ、やれ受験だと、耳にする機会が増えた。
朝にあった蓮華だってそうだ。れんちゃんの受験に響くから、ゲームは止めろだの何だのと、結局一歩も引かなかった。
うちの親もなあ……段々と口うるさくなってきてるし、そろそろ本気になれとか言い出したし……。
なんだかなあ。
「それで、貴大はどうするんだ?」
「あん?」
「進路だよ、進路! 進路希望の紙、書いたんだろ?」
「ああ、これなあ」
「って、まだかよ!」
机に手を突っ込んで、ぺらりと紙をつまみ出す。
今、俺がひらひらさせてるこれ。こいつがいわゆる「進路希望調査」ってやつで、生徒はこれを提出しなくちゃいけないらしい。
でもなあ、正直、ピンと来ない。就職か? 進学か? 進学するとしたらどの大学で、学科はどんなものにするのか? 就職の場合の職種は? どんな職業になりたくて、具体的にどんな会社を受けるのか?
なんて、今考えてもしょうがない気がする。だって俺は――。
「優介はいいよな。もう決まってて。工業系なんだろ?」
「んん? ああ、そうだよ。言ってるだろ~? 俺は将来、VRの研究をしたいって!」
「だよなあ」
いわゆるVRオタクな優介は、趣味が高じて工業系の大学に進むらしい。
まあ、そうなるだろうと思ってた。wikiの編集、VRでの数値調査、VRゲームの自作、VR機器の改造とか――色々やってるもんな。その全部を楽しんでやってるってんだから恐れ入る。好きこそ物の上手なれ、なんて言葉があるけど、優介の場合はまさにそんな感じだった。
「れんちゃんは政治家だって?」
「そうだよ。適性値が高いからね」
「すごいよなあ」
れんちゃんはなんと政治家になるそうだ。
そのためにいい大学に行って、海外にも留学して、名実共にある大人になるらしい。昔からただ者ではないと思ってたけど、やっぱり大物になるんだなあ。蓮華が鼻を高くするのも分かるし、俺をお邪魔虫扱いするのも分かる。
やっぱいいよなあ。決まってるやつって。それに比べて俺なんて――。
「はあ、面倒臭ぇ。やっぱダメだ、考えたくね~」
「おいおい」
進路希望調査の空欄をじっと見て、べたっと机に突っ伏した。
何でも自由に書いていいって、選択肢多すぎだろ。勘弁してくれ、逆にそっちの方が困るんだよ。
「俺も適性値が高いのがあればよかったのに」
分かりきったことをぐだぐだと、いつまでもぶちぶちと文句を垂れる。
だって、しょうがないだろ? 【職業適性値オールC】。こんな数値で、何をどう頑張ればいいってんだよ。
「貴大って適性値オールCなんだろ? 偏りがなくていいじゃないか」
「何でも出来るってことだよね。俺はそっちの方がうらやましいかなあ」
「ポジティブすぎるわ!」
物は考えようとは言うけどさ。Cじゃなあ~……。
A、天職。B、向いてる。C、ぼちぼち。D、向いてない。E、止めとけ。
AIによる職業適性調査、その五段階評価は極めて正確だ。その評価通りにやれば上手くいくし、職探しに困ることもない。
それを信じずにEの職とか選んで、破産するやつもいるからな。AとかBとか、なるべくいい数値の職業から、進路を決めるのが鉄則だとみんな知っている。
でも、俺はオールC。AIから直々に、「何をやってもほどほどにやれるよ」と太鼓判を押された身だ。AもBもなく、DもEもない。逆にすごいと周りは驚くけれど、こんなのすごくも何ともない。
何でも出来る? オールC適性? なんだ、俺に何でも屋にでもなれって言うのか?
何でも屋になって、街の連中の困り事を解決して……いって……。
『……何でも屋』
『……ユミ……エ……』
『……フリー………………ライフ』
「貴大?」
「っ!?」
肩に手を置かれ、ハッと我に返る。
なんだ? なんか今、何かを思い出しそうに……。
「どうしたんだ?」
「ボーっとしてたけど」
「い、いや」
心配そうな顔。問いかけるような視線。
それに何でもない、大丈夫だと、首を横に振ってはみたが――。
(なんか……忘れてる気が……)
そんな気持ちが、いつまで経っても消えなかった。
「げっ」
学校からの帰り道。
珍しいことに、こんな時間に蓮華と遭遇した。
「あん? 部活はどうしたんだ? サボりか」
「違うわよ!! プールの整備で午後もお休みなの!」
「ふ~ん」
まあ、どうでもいい話だ。
相変わらずうるさいし、ここもスルーの一手だな。そう決めた俺は、いっしょにいたれんちゃん、優介の背中を押して、その場からそそくさと――。
「レンゲちゃ~ん! 久しぶり~!」
優介がするりと俺の手から逃れ、喜色満面、蓮華に挨拶をした。
チッ……そうか、こいつ、蓮華にはデレデレだったな。
「元気してた?」
「はい! 上島先輩は勉強の方、順調ですか?」
「そりゃもうバッチリさ! この前なんて、大学にまで行って、AI工学の教授とさ~」
「すごい!」
鼻高々といった調子で、後輩らしい態度の蓮華に自慢をはじめる優介。
こうなると長いぞ。ひょっとすると、蓮華を同行させようとするかもしれない。
せっかく男三人、気がねなくポテトでもつまもうと思ってたのに。そこに蓮華なんて連れていってみろ、台無しどころか、俺だけ不当な扱いを受けかねない。
具体的には、あいつ、俺のポテトだけつまみ食いする。させるか蓮華! てめーは家で焼き芋でも食ってろ!
「しっ! しっ! ほら、さっさと帰れよ。俺たちゃ、これから駅前まで行くんだよ」
「残念でした~! わたしも駅前まで行くの」
「はあ? なんでだよ」
「参考書買いに行くの! バカヒロとは違って、わたし、真面目なんだから」
「真面目~? うんこのキーホルダー集めてるやつが何言ってんだよ」
「あれは趣味なんだからいいでしょ!!」
くそっ、失敗した!
下手におちょくってしまったせいか、蓮華はギャンギャンと俺に噛み付き始めた。こうなると面倒なんだよなあ、こいつ。さて、どうしたものか――。
「やっぱり仲いいよねえ、ふたり」
「「違うっ!!」」
またハモってしまった……憎々しげな蓮華と舌打ちし合い、俺たちはふいっとそっぽを向いた。
「ふたりとも飽きずによくやるなあ」
「仲いいよなあ。うらやましい」
「ちげーよ。馬鹿なこと言うな」
「そうですよぅ! なんでわたしがバカヒロなんかと!」
ビシビシ! ゲシゲシ!
突っついたり、軽く蹴ったり、ゆるい応酬を交わしつつ、俺と蓮華は駅に向かって進んでいった。
なんか結局、いっしょに行動するらしい。四人に増えた俺たちは、国道沿いの大きな歩道を揃って歩く。
「しかし、レンゲちゃんももうすぐ二年生か~! 早いもんだねえ」
「そういう先輩はもうすぐ三年生ですよ?」
「実感ないなあ。なんか年々、時間の進みが早く感じる」
「ぼやぼやしてると、あっという間に大人になってそうだね」
歩きながら、蓮華たちは取り留めのないことを話している。
ああ、やだやだ。適性検査、進路希望調査、三年になって、次は大人か。
考えたくもないな。出来ればずっと、学生でいたい。今の状態がずっと続けばいいのに――。
『……いけませんよ、ご主人さま』
『……誰も子どものままではいられません』
『……大人になって、世のため人のため、働くものです』
はいはい。分かってるって。耳が腐るほど聞いたわ。
働きゃいいんだろ、働きゃ。俺だって成長したんだ。それぐらい分かってるし、最近は言われなくても働いてるだろ?
『……その通りです』
『……ご立派ですよ』
『……ですが』
大丈夫。分かってる。
何をすればいいのか、何をしちゃくちゃいけないのか、本当はもう分かってる。
だって俺はもう じゃなくて
この 風景も もう 過去の
(………………えっ?)
……………………。
……………………。
……………………。
「おい、どうしたんだ?」
「具合でも悪いのか?」
優介とれんちゃんが問いかけてくる。
やはり問いかけるような顔で、どうしたのかと聞いてくる。
それに俺は「何でもないよ」と返し、今度こそ、俺たちは駅前の繁華街へと向かった。
その途中、夕焼けに染まる街を振り返り見る。都会とも田舎とも言えない、中途半端なベッドタウン。俺が生まれ、育った街。たった一つの俺の故郷。
「……うん」
やっぱり俺、この街が好きだ。この街と、こいつらと、この日常が何だかんだで好きだ。
退屈で、面倒で、煩わしくて、いいことばかりじゃないけれど。
こんな毎日が、いつまでも続けばいいなと――。
心から。そう、心からそう思えた。




