平凡な少年
「ほら、もう起きないと遅刻するよ!」
乱暴にドアを開ける音。耳に障るやかましい声。
寝不足の人間にはつらい騒音に、どうしようもなく苛立ってくる。
「っせーな、部屋に入ってくんな!」
「あんたが一人で起きられたらそうするけど?」
「チッ……」
ああ言えばこう言うとはこのことだ。いつもいつも似たようなことを言いやがって……人ができないと分かっていて言うから、なお悪質だ。余計な世話を焼くし、部屋に入るなと言っても聞かないし、母親ほど鬱陶しいヤツはいない。
「じゃあ、母さん行くからね? 朝ごはん、ちゃんと食べなさいよ?」
「分かってるって!」
苛立ちから、つい怒鳴り声を上げてしまう。それに合わせて眠気が去り、それを確認した母さんは、にやりと笑って去って行った。
何から何まで思惑通りってのが気に食わないが――起きないと遅刻するってのは本当だ。スマホを見ると、もうすぐ八時になろうとしている。このまま二度寝したい気分だが、そろそろ動かなくちゃいけない。
でも、やっぱりだるい……。
「また野菜炒めかよ……」
制服に着替えて居間に行くと、テーブルの上には父さんと母さんの『お残し』があった。大皿に盛られた野菜炒め、その残りに手をつけながら、俺は切実に思う。
「たまにはいいもん食わせろっての」
米と野菜炒め、米と野菜炒め、米と野菜炒め。ローテーションでさえない我が家の食卓は、実に貧相である。あるのは肉が豚肉かソーセージかの違いだけだ。
「あーあ」
たまらず、冷蔵庫から漬物や鮭フレークを取り出してご飯に乗せる。それでも満たされないフラストレーションは、自分では当然のものだと思っている。
「途中でパンでも買うかな……」
ため息といっしょに漏れる独り言。代わり映えのしない朝飯に文句を言いながら、時計を見てはあわてて立ち上がる毎日。
これが俺の――佐山貴大の日常だ。
事件はない。イベントもない。穏やかな日々と言えば聞こえはいいが、代わりに刺激や驚きもない。毎日毎日、決まった時間に学校に行って、つまらない授業を受けて、部活もせずに帰ってくる。
多分、これがずっと続くんだ。大学に入っても変わらない。大人になったら学校が会社に代わるだけで、死ぬまでずっとこの生活が続く。
優介は人生をクソゲーだと言っていたけれど、本当にその通りだと思う。せめて夢中になれる何かが見つかればよかったが、自分から探すだけの積極性が俺にはなかった。
「はあ……」
玄関で靴を履いていると、自然とため息が漏れる。
伸ばした手にはブレザーの黒。足元にはズボンの黒。鬱々とする色は、まだまだ付き合わなくちゃいけないものだ。
「本当に、何なんだろうな」
授業の意味のなさには、本当に嫌気がする。漢文だの物理だの、俺の人生には何の役にも立たないと思う。それでも学ばなくちゃいけない不条理に、ため息が増えるのも仕方のないことだ。
「あんなの覚えなくても働けるだろ……」
本当にそう思う。だって、現に俺の知り合いは学校なんて通っちゃいない。それでも立派に働いているのだから偉いもんだ。
「なあ、ユミィ?」
振り返って、そこに立つ少女に――。
――少女に――そこに、いるはずの――。
――――――――――――――――――。
――――――――――――――――誰に?
「……ん?」
今、何を考えていたんだろう? それともボーっとしてたのか。
よく分からないが、きっと寝不足のせいだと思う。どうせ一時間目は古文だ。そこで少し眠っておこう。
「んじゃ、行ってきます」
いつもの癖で誰もいない家に声をかける。
それから玄関のカギをかけて、学校に向かって出発して――。
その間、ずっと、俺は誰かに見送られているような気がしていた。




