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最後の試練

 733年の時を刻む大国、イースィンド。


 建国以来、一体、どれほどの苦難がこの国を襲っただろう。土地を拓き、懸命に生きた人々は、一体、どれほどの苦労を乗り越えてきたのだろう。


 王立図書館に収められた歴史書は、波乱万丈の歩みを教えてくれる。戦争、飢饉、魔素の枯渇。記録的な規模の『繁殖期』に、強大な魔物の出現。今なお刻まれるイースィンドの歴史には、輝かしい栄光よりも陰鬱な事件が目立った。


 それでも人々が歩き続けたのは、そこが彼らの国だったからだ。


 一つの国に生れ落ち、これを愛し、ここで死ねる。民がそう思えるのが、良い国家なのだと賢人は言った。辛く、苦しく、投げ出したくても、最後は穏やかに逝けるなら、それでいいのだと多くが悟った。


 離れがたきは愛する郷土、守るべきは我らが祖国。たとえ災禍が降りかかろうと、それは決して変わらない。イースィンドという名の故郷ふるさとは、これまで続き、そして、これからも続いていくのだと誰もが思っていた。


 しかし――。


「ちっ……」


 初めてその異変に気がついたのは、一人の若手冒険者だった。


 赤毛のアルティ、首狩りのアルティの異名で知られる彼女は、レベル上げの最中、あからさまな殺気を向けられて舌打ちをした。


「喧嘩売るなら、こそこそ隠れんなよ」


 先ほど、狩ったばかりの大鬼オーガの首を投げ捨て、アルティは森の巨木を鋭くにらんだ。褐色の肌から立ち昇る蒸気は揺らめいて、ルビーのような瞳は剣呑な光を帯びている。


 レベル155の〈ライト・ストライカー〉。疾風迅雷、一撃必殺を身上とする彼女に、自ら挑もうとする輩はいない。いるとすれば理性なき獣か、はたまた、彼女を上回る猛者か――。


『グ、オオオ……』


「……クズ野郎か」


 深い森の奥、巨木の向こうから現れたのは、一体の黒いオーガだった。


『オオオオ……!』


 手をかけた巨木の幹を握り潰し、深い傷跡を残す膂力。どろりと濁った瞳と、ぞろりと生えそろった牙。のっそりとした動きで姿を現し、アルティに殺意を向ける魔物の名は、フォーリン・オーガ。安易なレベルアップを画策し、魔素溜まりに手を出した者の末路だ。


 アルティの侮蔑の表情も止む無しである。人を出し抜こうとして魔物に成り果て、世に仇なす漆黒の悪鬼は、この世で最も忌み嫌われる存在だった。


「どこのどいつか知らねえけど……生きて帰れると思うなよ」


 ナイフを構え、悪鬼を見すえるアルティ。


 豹を思わせるしなやかな体は、悪鬼にとってはご馳走でしかないようだ。ボタボタとよだれを垂らし始めた醜悪な魔物を、アルティは即座に切り捨てようとした。


「【首狩り】……!」


 大地を蹴ったアルティは、一陣の風となって駆けた。悪鬼は一瞬遅れて、腕を振り上げる。だが、間に合わない。彼の動きは、〈ライト・ストライカー〉の前では鈍重過ぎる――。


「もらった!」


 太く、ぶ厚い悪鬼の首を、アルティのナイフが『するり』と切り裂く。


 ――その一瞬。


「くぁっ!?」


 音を立てて飛来した岩石が、アルティのナイフを弾き、地面にめり込んだ。続いて振り下ろされる悪鬼の拳が、地面に大穴を開け、土砂と枯葉を巻き上げた。


 それら全てを巧みなステップで避け、アルティは大きく跳躍し、木の枝をつかむ。油断なく辺りを見回しながら、彼女は体を引き上げて――。


(三体……いや、五体!)


 戦士職でありながら、斥候職の身軽さと能力を兼ね備える〈ライト・ストライカー〉。その探索スキル【スキャン・ビュー】を発動したアルティの目には、迫り来る脅威がハッキリと映っていた。


『オオオオオオオオッッッ!!』


『ガアアアアアアアアアッ!!』


 岩石を投げた個体を含め、東西南北からフォーリン・オーガが近づいてくる。まるで包囲網を敷くように接近する悪鬼たちは、木を引き抜き、岩を持ち上げ、声を上げてアルティを威嚇する。


 彼らのレベルは160。一体だけであれば余裕を持って対処出来たのだが、これほどの数がそろうと危険度が跳ね上がる。轟音を立てて集結しつつある悪鬼たちに冷や汗をかいたアルティは、高く口笛を吹いた後、枝から枝へと飛び移っていった。


『アアアアァァァァァアアアアアアッッッ!!』


『ゴォォォォォォォォォォオオオオッッッ!!』


 フォーリン・オーガたちは、木を振り回し、岩石を投げつけ、どうにかアルティを叩き落とそうとする。理性を失い、本能を肥大化させた悪鬼に、周囲への配慮など微塵もない。森を荒らし回り、時には味方にぶつかりながら、悪鬼はアルティを追いかける――。


「くそっ、とんだ厄日だぜ!」


 レベル上げには危険が付きもの、魔物の奇襲に遭うなど日常茶飯事――とはいうものの、これはどこかおかしい。ユニーク・モンスターが一度にこれほど現れるなど、


(繁殖期かよ……!)


 アルティがそう思うのも、無理からぬ事態であった。


『ガアアアッ!』


「っ! ちっ!」


 やがてフォーリン・オーガもアルティの素早さに慣れてきたのか、攻撃の精度が段々と上がっていった。直撃はないものの、ジャケットをかする木や石に舌打ちをしながら、アルティは樹上で大きく飛び退く。すると、先ほどまで足をかけていた木はへし折られ、すぐさま槍のように突き出される。


(――頃合いだな)


 動きのクセがつかまれて、いつか地面に引き摺り下ろされる、その前に。アルティは枝のしなりも利用して、一際大きく跳躍した。


『オオオオオッ!!』


 果たしてそれは、歓喜の声であったのか。


 小刻みな動きではなく、調整の効かない大雑把なジャンプ。予測が用意で、狙いをつける時間もある致命的な滞空。ここぞとばかりに悪鬼たちは手に力を込め、握りしめていたものを力の限り投擲した。それらは風を切って進み、勢いを失い、ふわりと落ち行くアルティへと――。


『ギッ!?』


 自らの勝利を、そして狩りの成功を信じて疑わなかった悪鬼たちは、そろって驚愕の声を上げた。


 獲物の姿が、空中でかき消えた――いや、違う。何者かにかっさらわれたのだ。横手から飛翔した何かがアルティをつかみ、上空へと連れ去った!


「お嬢! なんですかい、ありゃあ!」


「さあな。知らねーよ」


 フォーリン・オーガたちが見上げる先には、翼を広げた飛竜と、それにまたがり手綱を操る男、そして、アルティの姿があった。


「とにかく異常事態だ。帰って親父に知らせるぞ」


「うっす!」


 呆然と空を見上げる悪鬼たちを置き去りにして、飛竜は北の空へと飛んで行ってしまった。高い身体能力を誇るフォーリン・オーガも、こればかりは見送る他なく、ぽかんと口を開けてその場に立ち尽くし、


『……ガ?』


 ドサリ、ドサリと音を立てて落下したもの。いくつもの小さな樽を何の気なしに拾い上げ――直後、彼らは爆炎の中に消えていった。


 ――こうして、前哨戦は終わりを迎えた。


 当人たちがそれと気づかず繰り広げられた戦いは、誰に見られることなく、ひっそりと幕を下ろした。


 だが、これは始まりだ。あの女が言った試練とは、この戦いを持って始まるのだ。


 すぐにも、誰もが、否が応にもそれを知る。


 これまでの不吉な出来事は、これから始まる試練の予兆だったのだと。






 バルトロアは質実剛健たる国家である。


 イースィンドに比肩する歴史を、淡々と積み重ねてきた。貧しい土地を、魔物多き山々を、耐え忍ぶ心で拓いたバルトロア人は、心も体も鉄で出来ていると揶揄される。


 まるで働き蟻か、ゴーレムのようだ。バルトロア人の忍耐、合理、効率を貴ぶ気質は、外国人からは理解されないことが多かった。


 しかし、彼らは誇りに思っている。バルトロア帝国を大国に育て上げた祖先を。それを維持し、着実に発展させている自分たちを。他の誰がどう思おうと、これこそが正しい道なのだと――彼らはみな、信じていた。


「だというのに……」


 異変が始まってから三日。イースィンドとバルトロアを隔てる『リーチカ峠』に、ドロテアの姿はあった。


「なぜ、このような真似を」


 この目で見るまで、彼女は信じられなかった。まさか自国の兵士が、まさか彼らを率いる者が、迷いなくイースィンドの領土を侵そうとするなど。


 まさしく暴挙である。ドロテアは綺麗事で政治を語るつもりはなかったが、今回の件はどう考えても一線を越えている。


 よりにもよって、『魔物が大発生している国家』を侵攻するなど――弱みにつけ込むやり方は、恨みを生じ、禍根を残す。たとえ成果が出たとして、国家間のタブーを破ってしまえば、バルトロアの信用は失墜する。


 目先の利益を得るために、百年続く汚名を国家に刻むつもりか。隊列を成し、平原から峠に迫る軍団を見つめながら、ドロテアは噛みしめた歯をキリリと鳴らした。


「姫様。間違いありません。あれは我が国の第三軍です」


「見れば分かるわ。見間違えようがない……」


「姫様……」


 側近を務める少女、エレオノーラが痛ましげな顔でドロテアを見る。きつく目を閉じた王女は、風に乗って届く軍靴のリズムを、噛みしめるように聞いて――。


「レオンハルト。【コール】に応答は?」


「……ありません。全員が回線を閉じ、行軍しております」


「本国はなんと?」


「不測の事態であると。どうやら第三軍の独断専行のようです。現在、彼らを止めるために第二軍が動いています」


「それだけが救いね……」


 安堵の息のような、ため息のような、どっちつかずの息を吐いて、ドロテアは振り返った。峠道には騎士と従者、それぞれ十名ほど控えていた。彼らの顔を見回しながら、ドロテアは冷徹に告げる。


「どうしてこうなったのか、第三軍が何を考えているのか、確認するための時間はない。事情を聞き出すための労力を、彼らに裂こうとも思わない。事ここに至った以上、彼らは国賊のそしりを受けて討伐されても仕方がない」


 薄青の瞳から情けを消して、ドロテアは遠く背後の第三軍を語った。氷のような冷たさで、同胞を排除せよと配下に伝えた。しかし、それはイースィンドのためではなく、自国のためであり――。


「私は戦争を否定しない。他国の領土を切り取ることも、刃を交えることも否定しない。しかし、それは今ではない。この度の進軍は、大義もなく、必要性もなく、実利も薄い」


 あくまで合理的に、効率的に戦争を語るドロテア。


 ――そうだ、これこそがバルトロアだ。規律と規範で動く鉄の国だ。それを最も弁えているのが、我らの目の前にいる第三王女だ!


 騎士や従者は信じられた。何が正しい行いなのか、大義はどちらにあるのか、確信することが出来た。彼らは自らの主君を見つめ、ただ、その手が下りるのを待った。


「第三軍を止めなさい。一歩たりともイースィンドの地を踏ませるな」


 推定一万人の大軍と、片や数十人の小集団。まともにぶつかりあえば、打ち合うことさえ出来ずに蹴散らされるだろう。


 だが、彼らには切り札があった。最強騎士の称号を持つ鋼の男、ジークムント=フォン・カウフマンが、槍を捧げて立っていた。


「カウフマン」


「はっ!」


「イースィンドのためではなく、我らが祖国のために……行きなさい」


「――御意!」


 後の世の人々は、この戦いをどう記すだろう。


『リーチカ峠の防衛戦』。一万の軍団に立ち向かった騎士を、あるいは指差し、嗤うだろうか。


 だが、最強騎士に敗北はない。主君が命じるのであれば、一片たりともイースィンドへは通さない。


「かかってこい」


 身の丈を超える長槍を構え、カウフマンは獰猛な笑みを見せた。


「一人残らず、性根を叩き直してやる」


 山道に殺到し、峠を越えんと迫るバルトロアの兵士たち。彼らは蟻のようにカウフマンへと群がっていった。






 大発生する魔物たち。


 越境せんと迫るバルトロア帝国第三軍。


 女が始まりを告げ、三日のうちに事態は大きく変動している。


 だが、まだ終わらない。まだ始まったばかりだ。


 最後の試練は、彼の青年にこそ降りかかる――。



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