絆とは!
閑静な住宅街の中にひっそりと佇む、一軒の小ぢんまりとした店。
ノワゼットという名の喫茶店に、ユミエルと妖精三姉妹の姿があった。
「ここね。わたしの行きつけなの」
得意げなフェアは、内装の趣味の良さも、マスターの清潔な身なりも、店内に漂う紅茶の香りも、すべて自分の手柄であるかのように語る。
「マスターのお菓子はすっごく美味しいんだよ~」
「お茶もいいものがそろっています」
続くピークとニースの言葉に、ユミエルはただうなずくだけだった。
喫茶〈ノワゼット〉がいい店だということは、もちろん彼女も知っていた。何しろ、貴大や知人、友人に連れられて何度も訪れたのだ。お菓子やお茶の美味しさなど、言われるまでもないことだ。
「マスター、いつもの。彼女にも同じものをね」
気取ったフェアが、ツンとすまして指を鳴らした。
カウンターの中で食器を洗っていた壮年の男は、それを受けて、ただにこやかにうなずいた。もちろん、彼もユミエルが常連であることは知っているのだが――それを指摘しては、フェアが赤っ恥をかいてしまう。
だからこそ、沈黙を選んだユミエルとヴィタメール。実に優しい世界であった。
「でさ、最近どうなの?」
注文を終えたフェアが、突然、こう切り出してきた。
マイペースな少女である。肝心な単語が抜け落ちている話に、当たり前であるが、ユミエルはついていけなかった。
「あいつとのことよ、あいつ。タカヒロとかいう、あのニンゲンとの話!」
小首をかしげていたユミエルを、じれったそうにフェアが煽った。甘いものは好きだけど、それ以上におしゃれや『恋バナ』を好む彼女は、先ほどからそのことばかりが気になっていた。
「……ご主人さまとのこと、ですか?」
「そ~そ~」
「同居を始めて、もう三年が経ったのですよね? もちろん、進展があったと思いますが……どうなのでしょうか?」
それぞれ違う個性を持っているように見えて、やはり似たもの姉妹ということなのだろうか。長姉に追従し、ユミエルをせっつき始めるニースとピーク。
向かいから、また、隣からも顔を寄せられて、ユミエルは、
「……おかげさまで、平穏に暮らしております」
感謝を込めて、妖精三姉妹に頭を下げた。
「「「……はああ~……!」」」
期待に目を輝かせていた妖精たち。彼女らは一瞬、固まったかと思うと、ため息を吐きながらテーブルに突っ伏した。
「ちょっと、どういうことなのよ? なんで何も起きてないの?」
「あたしが聞きたいよ~」
「むう、憎からず想い合う二人だと思っていたのですが」
「あの男、枯れてんじゃないの?」
額を突き合わせ、ごにょごにょと何かしら話し合う妖精たち。
彼女らは一体、何が言いたいのだろうか? それがどうにもつかめなくて、ユミエルは黙って彼女らの動向を見守った。
「ねえ、聞きたいんだけどさ。ぶっちゃけ……や、やったの?」
「……やった? 何をですか?」
「だ、だからさあ! その……」
頬を染めたフェアが、ユミエルの耳に何かしらを吹き込んだ。
しばらく話を聞いていたかと思うと、ユミエルは合点がいったとばかりにうなずいて、
「……いえ、ご主人さまとはまだ閨を共にしておりません」
「わ~!?」
「ひえっ!?」
「ああああんたねえ、もうちょっと小さな声で……!」
包み隠さず口にされた言葉に、妖精三姉妹はわたわたと慌て出した。
ませているように見えて、その実、純情な彼女たちは、顔を真っ赤にしながら辺りを見回し、カウンターにも目を向けた。幸いにして、他に客の姿はなく、マスターも店の奥にいた。
誰にも聞かれていなかった――はずだ。妖精三姉妹はほっと肩の力を抜いて、ユミエルをじっとりとにらみつけた。
「あんたも相変わらずねえ」
「ユミエルさん、デリケートな話題は、もう少しオブラートに包んでいただければ……」
「……はあ」
たしなめる言葉に、ユミエルは曖昧に返事をする。
この辺りの機微が、ユミエルにはよく分からない。ご近所の主婦たちは好んでする話題だし、淫魔のイヴェッタは笑顔で貴大との行為を勧めてくる。今は眉を寄せている妖精三姉妹も、話を振ったのはそもそも彼女らだというのに――。
何が恥ずかしくて、何が恥ずかしくないのか。ユミエルにはまだ、難しいことだった。
「それにしても、まだだったのですね」
「わたしたち、会ってからもう一年は経ってるわよね? その間、何もなかったとか……もしかして、あいつのこと、嫌いなの?」
「……いえ、そのようなことは」
「だったら~、お兄ちゃんみたいで~、男としては見れないとか~?」
「……そのようなことはありませんよ。ご主人さまは立派な男性です」
ユミエルの言葉をどう解釈したのか、また頬を染めて黄色い声を上げる妖精たち。彼女らは鼻息を荒くして、貴大とユミエルの生活を想像する。きゃいきゃいとはしゃぐ彼女らを見つめながら、ユミエルはいつも元気なものだと感心していた。
「お待たせしました。チョコナッツケーキと紅茶でございます」
話に一段落ついたのを見計らって、ヴィタメールが注文された品をそっとテーブルに置いた。この時ばかりは妖精三姉妹も口を閉じ、背筋を伸ばしてお行儀よくしている。
「では、ごゆっくり」
しかし、それも数分と持たなかった。ヴィタメールがその場を離れると、妖精たちはわっと歓声を上げ、甘いお菓子にフォークを伸ばす。
「やっぱチョコケーキはこの店ね」
「うんうん~。質のいいチョコレートを使ってるよ~」
「キャラメルコーティングされたナッツも憎いですね」
口いっぱいにチョコナッツケーキを頬張りながら、妖精たちはなおもしゃべり続ける。色気も食い気も人一倍――というよりは、年相応なのだろう。ましてや彼女らは自由気ままな妖精、本能には忠実であった。
「それでさ、話は戻るんだけどさ、仲良くしなきゃダメよ、あんたたち」
紅茶をぐいと飲み干して、フェアはユミエルを指差した。
「……なぜでしょうか?」
「なぜって、そりゃあ」
不仲なつもりはなかったが、殊更仲良くするというのもおかしな話だ。
強引に迫れば貴大が嫌がるということは、これまでの経験からユミエルは知っていた。そのようなことは、なるべく主人にはしたくない。一人の少女としても、また、メイドとしても、ユミエルは首を横に振ろうとしたが、
「ニンゲンのキズナってやつが大事なのよ。特に、今みたいな状況だとね」
「姉さん!」
ピークの鋭い声に、ピタリと動きを止めた。
「その話、部外者には……!」
ピークは険しい顔をして、フェアの肩に手をかけている。ピークも困ったように眉を落とし、ちらちらとユミエルをうかがっていた。そして、肝心のフェアは、迂闊だったとばかりに手で口を押さえていたが、
「いーじゃないの。これぐらいならヘーキよ、ヘーキ。教えてあげない方がどうかしてるわ」
コバエを払うように手を振って、ユミエルに向き合った。
「いい? これからこの街を災厄が襲うわ。それはとっても恐ろしくて、常軌を逸した力なの。きっと嵐みたいに、何もかもをめちゃくちゃにするわ」
フェアのこれほど真剣な表情を、ユミエルは今まで見たことがなかった。彼女の言わんとしていることは分からなかったが、きっと大事な話なのだと一言一句、聞き逃さないようにした。
「その時が来たら、手を離しちゃダメよ。縁やキズナを確かめて、決してそれを疑わないで。そうすればきっと、大丈夫」
心からの忠告であった。今のユミエルには、それが分かった。ただ、あえてぼかして伝えられた話は、やはり理解が出来なかったが――。
「上が傍観者気取りの堅物だから、積極的に助けてあげることはできないけどさ。あんた、頑張りなさいよね」
それきり、フェアは疲れたように後ろに倒れてしまった。背もたれに体重を預ける姉を見ながら、妹たちは「やれやれ」「あ~あ」と呆れた声を漏らしている。
一体、何が問題だったのだろうか。今の話は、聞いてはいけないことだったのだろうか。ユミエルは反芻するように、フェアの話を何度も思い返す。
(街を襲う災厄。嵐のような災い)
まさか。グランフェリアには極限の強さを持つ者が何人もいるのだ。
彼らが対処出来ないことはない。ユミエルはそう信じているが――胸の奥から湧き上がる不安は何だろう。
(絆。ご主人さまとの絆)
妖精は確かにそう言った。絆こそが肝要なのだと。それさえあれば、大丈夫なのだと。
ならば、やはり何の心配もないではないか。この三年、培った絆は本物だとユミエルは思っている。今からどうこうするものではないと、そう思ったのだが、
(……そういえば、最近、二人でいる時間が減っていますね)
そこまで考えて、はたと彼女は気がついた。
貴大が忙しそうに飛び回っているせいもあるが、近ごろ、ゆっくりと話が出来ていないと。そうした時間があったとしても、ルートゥーを始めとする少女たちが間に入っていたのだと。
(……ふむ)
焦燥感ではない。寂寥感でもない。
ただ、自分は貴大の役に立っているのか、必要とされているのか。フェアの話を聞いたユミエルは、そのことがどうにも気になった。




