思わぬ再会
邪なる神は数いれど、悪神ほど性質の悪い神はいない。
彼らが司るのは状態異常。【怒り】、【混乱】、【毒】、【麻痺】、【魅了】。その他、様々な状態異常に合わせて、それぞれ一柱の神がいる。
灼熱の悪神カーリーは、燃える【怒り】を【憤怒】に変えて、人々を闘争の渦へ引き込んでいく。
汚泥の悪神オールド・ワンは、無限の【呪い】を【呪怨】に堕とし、人間の心も魂も汚染する。
つい先日、勇者に討伐されたゲンドゥースなど、地上のあらゆる【毒】を含んだ【猛毒】を撒き散らし、大草原を荒野に変えた。
歴史の陰に現れては、そのたびに悲劇を起こすと言われる悪神たち。彼らに共通するのは、強化された状態異常を操ること、そして、それは通常の手段では治す術がないということだ。
その毒牙にかかったら、自決を選んだ方がいいとまで言われる恐怖の神々。悪神という存在に、いつの時代の人々も悩まされていた。
「悪神は厄介な輩じゃよ。隙を見せるべきではない」
「うん、そうだね。もしも【憤怒】や【狂乱】にかかったら、私でも治すのは難しいよ」
「混沌龍たる我にはそのようなもの、通じはせんが……人間には手に余る害毒だ。気を抜くではないぞ」
「そうだね。気をつけようね、タカヒロくん」
「あ、ああ」
フリーライフの住居部分、そのリビングで、有力者による悪神対策会議が開かれていた。貴大、ルートゥー、メリッサ、老龍。いずれもレベル250という猛者たちは、炬燵を囲んで真剣な表情で話し合っている。
ピリピリと張りつめた空気の中では、さしもの貴大も緊張した様子だ。額に汗を浮かべ、ゴクリと唾を呑み込んでいる。
「一対一でやり合ったら、ドラゴンと悪神、どちらが強いんですか?」
「我だな!」
「状況にもよるが、十中八九、勝てると思うよ」
「頼もしい! ね、タカヒロくん!」
「あ、ああ」
強力な状態異常に頼る分、悪神は純粋な戦闘能力では龍に劣る。
決して油断や増長ではなく、ルートゥーや老龍はやり合って勝てると確信していた。なにせ、長い人生の中で、悪神とは何度か戦ったことがあるのだ。そのすべてに勝利してきた経験者たちの言葉は重い。
だというのに、貴大の表情は硬いままだ。一体、どうしたというのだろうか。心配になったメリッサとルートゥーが、彼の顔をのぞき込むと、
「……だー! べたべたくっつくなーっ!」
「「わーっ!?」」
貴大は両腕を振り上げて、そこに抱きついていた少女たちを振り解いた。
勢いに押されたメリッサとルートゥーは、ころころと畳の上を転がって、ぽすっと音を立てて壁にぶつかった。
「何をするのだ、酷いではないか」
「そうだよ、タカヒロくん。ちょっと痛かったよ」
唇を尖らせた少女たちは、はいはいをしながら元の位置へと戻ってくる。
すなわち、貴大の両隣へと――。
「なんでここなんだよ。両サイドが空いてるだろ」
「都会の寒さが骨身に凍みてな……人肌が恋しいのだ」
「ちゃんと暖房は効いていますぅーっ!」
暖炉にくべられた薪を指差し、貴大はルートゥーを斜向かいへと押しやった。
「仲良きことは美しきかな、って言うよね?」
「過ぎたるは及ばざるがごとしとも言うぞ」
すすす、とすり寄ってくるメリッサをくるりと回転させ、貴大はそっと彼女を遠ざけた。
「むー! けち臭いぞ、タカヒロ!」
「そうだよ。みんなで仲良くしようよ」
「あー、もー!」
少女たちに抱きつかれ、もみくちゃにされる貴大。彼は真剣に悪神について話そうと思ったのに、一体、どうしてこうなるのか。ルートゥーはともかくとして、メリッサはここまで積極的だったか。
いくつもの疑問を浮かべながら、貴大が何とか少女たちを引きはがそうとしていると、老龍が下世話な笑顔で――。
「『ハウトゥー48』が早速役立ちそうじゃの?」
「うるせえジジイ!!」
鋭く放たれた丸い煎餅。それはチャクラムのように飛翔して、カッと高い音を立てて老龍の額に突き刺さった。
貴大たちが悪神について話し合っている一方で、ユミエルはフリーライフの仕事を淡々とこなしていた。
着るごとにくたびれる衣服。毎日、口にする食べ物。月々、持ち家にかかる資産税。そうしたものを賄うためには、労働に勤しみ、対価を得なければならない。
しかし、店主である貴大は別件で忙しそうだ。彼がのっぴきならない事情を抱えているのであれば、自分がその分、頑張るべきだろう。
恩返し、というわけではないが、ユミエルはいつにも増してやる気を見せていた。
「……お届け物です」
「ん? メイドさん? まあ、いいや。サイン、ここでいい?」
「……はい」
郵便屋から回された荷物を、中級区でも入り組んだ地域へと運ぶ。
高低差があり、路地が多い道を行き、とある一軒家に木箱を届けたユミエルは、受け取りのサインを確認した後、次の仕事場へと向かった。
(あと三件。期限に余裕はありますが……早めに済ませた方がいいですね)
メモ帳をエプロンのポケットにしまったユミエルは、ちらりと空を見やり、歩調を早めた。
急げば今日中に二件、いや、全部片付けられるかもしれない。なるべく手を空けておいた方が、明日の依頼も受けやすくなる。ユミエルは効率的なルートを頭に思い描き、ごみごみとした住宅街を抜け、
「きゃっ!?」
そこで、出会い頭に誰かとぶつかってしまった。
「……申し訳ありません」
先を急いだばかりに事故を起こすなど、まさに失態だ。
ユミエルは無表情ながらも焦りを感じ、尻餅をついた少女に心配そうに手を差し伸べた。
「あんたねえ、どこに目ぇついてんの……って、あれ? ユミエル?」
「……?」
年のころは十六、十七歳ほどだろうか。
髪の毛にウェーブがかかった、やや吊り目の少女は、ぶつかった相手がユミエルだということに気がついて、気安げに笑いかけてきた。
「奇遇ね。なに、仕事中? あんたも大変よね」
親しげな態度をされるも――ユミエルは、少女に見覚えがなかった。
ユミエルは自分の容姿が特徴的だということを知っている。水色の髪、少し尖った耳、白い肌と小さな体。幻想的とも、気持ちが悪いとも言われる外見は、見間違われることがないと思っていたのだが、
「ねえ、せっかくだからさ。ちょっとお茶しない? ねえ、いいでしょ?」
軽そうな少女は、明らかにユミエルをユミエルだと認識している。
(取引先のお嬢さまでしょうか?)
いや、彼女もユミエルに負けず劣らず個性的な少女だ。
特にミルクティーのような色の髪など、一度見たら忘れられそうにないものであり――。
「……もしかして、フェアさんですか?」
まさか、そのようなはずがないと思いながらも、ユミエルには他に心当たりがなかった。
気の強そうな顔。どこか幻想的な愛らしさ。そして、特徴的な髪の毛の色。体のサイズや細部こそ違うが、彼女は妖精三姉妹の長女、フェアなのではあるまいか。
「あんた、もしかして気づいてなかったの?」
呆れたような少女の顔。どうやら、間違いなかったようだ。
「……申し訳ありません」
「まあ、この姿で会うのは初めてだからね。仕方ないって言えば、そうなのかも」
素直な謝罪を受けて、少女は――人間に化けているフェアは、誤魔化すようにツンとそっぽを向いた。
「姉さんー! 姉さん、逸れないでください!」
「そうだよ~。せかせか歩かないで~」
思わぬところでの、思わぬ人との再会。
ユミエルが内心驚いていると、やはりというべきか、妖精三姉妹の次女と三女もやってきた。
「まったくもう、お菓子は逃げませんよ……って、あら?」
「ユミィちゃん~? あ、ユミィちゃんだ~」
眼鏡をかけた理知的な少女と、幼さが残る柔らかな雰囲気の少女。
フェアと同じく人間の大きさになってはいるが、彼女らは間違いなく、次女ピークと三女ニースだった。
「どうしてユミエルさんがここに?」
「フェア姉が呼んだの~?」
「違うわよ。今、ここでばったり出会ってね。あたしも驚いてたところなの」
人間大になっても、三姉妹の姦しさは変わらない。いや、むしろ、増したというべきか、彼女らは合流した途端にわいわいと騒ぎ出す。
「久しぶり~。元気だった~?」
「その節はお世話になりました」
「ちょっと! 押さないでよ!」
ユミエルの前で、騒々しくじゃれ合う妖精三姉妹。それを無表情に見つめながら、ユミエルは懐かしさを感じていた。
思えば彼女らには世話になったものだ。貴大との関係に悩んでいた時はアドバイスをもらい、その他の悩みも聞いてもらった。あれはもう、一年も前の話だろうか。
(少し不義理でしたね)
忙しさにかまけてフェアリーズ・ガーデンからは足が遠ざかっていたが、ここで会ったのも何かの縁だ。フェアが言うように、お茶を飲みに行き、そこで旧交を温めるのも悪くはない。
「……みなさん、これからどちらに?」
「ああ、それそれ! これからさぁ、お菓子が美味しい喫茶店に行くところだったのよ。もちろん、あんたも来るわよね?」
「ちょっと、姉さん! ユミエルさんにも都合があるのですよ!」
「でも~、美味しいものはいっしょに食べたいな~」
やいのやいのと話し合う妖精三姉妹の勢いに、ユミエルは少しだけ目を見開いた。そして、こういう人たちだったなと、やはり懐かしく思いながら、
「……大丈夫です。是非、ご一緒させてください」
と、こくりとうなずいた。
(貴大が段々、ヒモみたいに思えてきたぞ……)
彼の名誉のためにも、悪神討伐は急務である。




