守るべき秘密
知られてはならないことがある。
誰にも明かせないことがある。
それは常識外れのレベルだったり、愛らしい竜人少女の正体だったり――未だ尾を引く正月太りだったり、胸の奥に秘めた恋心だったり。
大小それぞれ、誰もがみんな秘密を抱えて生きている。辛いことも悩めることも、仮面を被って隠している。
社会生活を営むとはそういうことだ。裸のままでは街を歩けないように、みんながみんな、秘密を覆い隠して生きている。そうすることで、人は見知らぬ他人とも手を取り合えるのだ。
だが、もしも――もしも、その仮面をはがされた時、人はどうなってしまうのだろうか? 心の奥底の柔かな部分を強引に暴かれた時、人は何を思うのだろうか?
とある少女は恐怖に身を縮こまらせ、そして、とある青年は――。
「違うんだ」
一月下旬のグランフェリア。粉雪が舞い、体の芯から凍えそうな日のこと。佐山貴大は『ハウトゥー48』なる本を手にしたメイドと向かい合い、ただ首を横に振っていた。
「それはだな、老龍さんに押しつけられた本で……今日にも暖炉にくべて燃やそうと思っていたんだ」
「……そうですか」
いつものように、貴大の部屋を掃除していたのだろう。左手に箒を持っていたユミエルは、妙に薄い本をめくるでもなく、空いた右手でそれを貴大に差し出した。
「……ご主人さまの私物に手をつけて、申し訳ありませんでした。以後、気をつけます」
それだけを言い残し、去っていくユミエル。残されたのは顔を赤くしたり青くしたりしている貴大と、扇情的な女性が表紙に描かれた『ハウトゥー48』。
「違うんだ」
やっとの思いで口にした言葉は、やはり現実を否定するものだった。
確かに違う。貴大は何も嘘は言っていない。淫猥な指南書は奥手な貴大を心配して老龍が持ってきたものだし、それを余計なお世話だと思って燃やそうとしたのも本当のことだ。
ただ、行動が遅かったというか、タイミングが悪かったというか――部屋のすみに放り投げていたエロ本を、ユミエルに見られたのは痛恨のミスだった。
「ああああ……!」
妙な気恥ずかしさを感じ、ベッドに倒れ込んで足をバタバタと動かす貴大。
秘密を暴かれることは、こんなにも辛いことなのだ。朴念仁で通っている貴大にとってもそうだし、まして繊細な彼女にとってはなおさらそうだ。
――そう、彼女。秘密を抱えた一人の少女。彼女は貴大にさえも明かしていない過去がある。
知られてはならない。暴かれてはならない。そのためなら、彼女は――。
グランフェリア市民によって、早くも『竜姫御殿』と名付けられたルートゥーの新居。中級区には似つかわしくない大邸宅は、当然のように施政者に目をつけられて、早くも査察団が入っていた。
「むおっ……!? こ、この壺は!」
「むうう……! この曲線が、また……!」
「ひっ!? こ、こここ、このドアノブ、竜金ですの!?」
上級区の土地も買えない成金が、何やら中級区で粋がっているようだ。
そう高をくくって竜姫御殿を訪れた役人たちは、煌びやかな内装に目を見張り、無造作に飾られた調度品に腰を抜かさんばかりに驚いていた。
庶民ならば圧倒されるだけで済んでいただろうが、曲がりなりにも彼らは貴族である。それなりに目が肥えている彼らだからこそ、この家が大貴族の館にも匹敵する価値と気品を備えていると理解し、絨毯を踏むのにも恐れをなしている。
「なぜ、中級区にこのような邸宅が……!?」
十人ほどの貴族の男女、そのうちの一人が漏らした言葉が、彼らの総意であった。
「あら、体の大きさに合わせて、あえて小さなドラゴンブラッドを……なかなか趣味がよろしいですわね」
「うむうむ、そうであろう」
「この屋敷にも言えることですが、豪華絢爛であるのに下卑たところを感じさせない。貴金属や宝飾の使い方が上手ですわ」
「そうであろう、そうであろう! わははっ、話が分かる者との会話は楽しいな!」
査察団員が凍りついている一方で、代表としてルートゥー邸を訪れたフランソワは、ゆったりとくつろいだ姿を見せていた。
「それにしてもルートゥーさんがこれほどの金満家とは知りませんでしたわ。服装からある程度のことは察していましたが……」
「ふふん、貧乏な龍、吝嗇家な龍など笑い話にもならんからな。貯めるだけ貯めて、使う時には惜しみなく使うのだ」
「なるほど、竜人には豪儀な方が多いと聞いていましたが、噂通りのようですわね」
貴大を通じての知己ということで『竜人が建てた怪しげな屋敷の調査』に立候補したフランソワ。自分がいれば、査察にかこつけて難癖をつけ、金品を巻き上げるといった輩も出ないだろう。そう考えていた彼女は、応接間で歓待を受けながら、その必要もなかったと安堵していた。
「せっかくだ、東洋のお茶も振る舞おう。おい、シャド子! シャド子A!」
「はい、ただいま」
圧倒的な財力、大胆不敵な女主人。そして、隙を見せない使用人たち。
少し頭が働く者ならば、半端な気持ちで手を出せば、火傷では済まないと分かる布陣だ。仮に愚鈍な輩が実力行使に出たとしても、返り討ちにされるだけだ。
(なるほど、強者の知り合いはまた強者、ということですか)
以前からただ者ではないと思っていたが、やはりただ者ではなかった。
ルートゥーという少女は、貴大(黒騎士)に釣り合うだけの力の持ち主なのだ。そのことを確認できただけでも、今日の査察は成功だったと言える。
ただ、さしものフランソワも、ルートゥーがイースィンドを震撼させたカオスドラゴンだとは気づけなかったが――。
それを悟っていれば、今ごろこうしてお茶など飲んでいない。きっと恐慌状態に陥って、這いずりながら家に逃げ帰るだろう。事実は何も変わらないものの、そうならないということは――秘密は秘密のままの方が、かえっていい場合もあるということだ。
「ところで、先生はいつまで臥せっておいでなのでしょう? 昨日は遅かったのでしょうか?」
「さあ? 逃げ込むようにここに来て、ずっと寝転がったままだ。我にも訳が分からん」
話に一段落ついたところで、フランソワとルートゥーは顔を部屋のすみに向けた。彼女らの視線の先には、ふかふかのソファーがあって、そこには黒髪の青年がぐったりとうつ伏せになっている。
「どうかしたのか? メイドと喧嘩でもしたか?」
席を離れたルートゥーが、ぴょこんとソファーに飛び乗ると、貴大は胡乱な動きで顔を上げた。
「いや、そうじゃないけど……はあ」
のっそりと体を起こしたかと思うと、肩を落としてため息を吐く貴大。家族同然の少女にエロ本を見られた――生まれて初めての経験は、彼をアンニュイな気分にさせていた。
「人生、悩みって尽きないもんだな」
「分かりますわ、先生。そのお悩み、よく分かります」
「は?」
落ち込む貴大を見て何を察したのだろうか。訳知り顔のフランソワは、うんうんとうなずきながら王都の現状を語り始める。
「ここ一年、物騒な事件や怪奇現象の多発、犯罪組織の活性化など、グランフェリアからきな臭さが抜けません。先生もさぞお忙しいことと存じます。その辛労は、きっと常人の比ではないでしょう」
黒騎士の正体が貴大だと知ってから、この少女は度々、このような態度を取る。「私だけは知っております」とでも言うように、暖かな目で貴大を見つめるフランソワ。そのくせ、てんで的外れなことを言う彼女に、貴大はいつも首を傾げていた。
ただ、今回はあながち貴大の悩みと関係のないことではなかった。エロ本云々ではなく、彼にとっての最大の悩み事。すなわち、数々の事件の裏を暗躍する悪神のことだ。
「なあ、やっぱりおかしなことなのか? グランフェリアでこんなに事件が起こるのって」
「そうですわね。10万都市である以上、人々の諍いや問題が起きるのは仕方がないことなのですが……そういった『起こり得ること』とは性質の違う事件が多発しているのは、やはり奇妙なことです」
先祖代々、グランフェリアで暮らしているフランソワにとっても、ここ一年の流れは無視できないことだったようだ。
混沌龍の来襲、バイオハザードの発生、犯罪組織の大々的な動き、ヴォールスの復活――まるで何かの予兆のように折り重なっていく事件は、いやがおうにも不安を感じさせた。
「ふふん。何が来ても、タカヒロと我がいれば無敵なのだ」
そう言って、後ろから貴大に抱きついてくるルートゥーこそ、王都を騒がせた一人なのだが――。
そこにはツッコまず、貴大はフランソワと話を続けた。
「そういえば、フランソワの家って独自の情報網を持ってたよな? 何か新しい情報とかあるか?」
「そうですわね……表だった動きはありませんが、今朝がた、教会が不審な動きを見せているとの情報が入ってきました」
「教会?」
ユニークモンスターが暴れたとか、大魔法使いの亡霊が蘇ったとか、そういった話を予想していた貴大は、虚を衝かれたように固まった。
「そういえば、最近、メリッサを見ないな」
思い当たることがあった。
あの人工聖女は――貴大やルートゥーに匹敵するレベルの持ち主は、一体、どこで何をしているのか。
悪神と直接繋がるような話ではなかったが、どうにも気になった貴大は、早速、調査に取りかかることにした。
お待たせしました! 準備が整いましたので、ここから最終話までノンストップ更新です。
まずは人工聖女メリッサ編、お楽しみに(・ω・)b




