図書館の怪談
新章突入です!
「ふ~……やっぱりここは静かでいいな……」
ここは王都グランフェリアが誇る王立図書館の地下階。成人男性の平均身長をゆうに超えるほどの高さの本棚が立ち並ぶ、「第四持出禁止書閲覧室」。
過去から現在にかけてイースィンド王国が開発してきたスキルについて書かれた本や、各地の遺跡から発見された古文書などの重要性が高い本・羊皮紙・石板が納められているため、許可された者しか立ち入りが許されない。
貴大も、王立学園の臨時講師という身分と、研究者としての側面も持つエリックの保証書がなければ近づくことすらできなかった場所だ。
「最近はアルティがうっとおしいからなあ……」
貴大が公園で昼寝をしていると、足の辺りにアルティが小石や小枝を投げてくる。
【緊急回避5】が発動するまでもなくひょいと避けると、「やはり……!」と険しい顔で睨みつける。
(俺が何をした……)
元々、彼の安眠を妨げるクルミアたちとの遭遇率も高めの場所なのだ。こうして、貴大の安住の地は一つ、また一つと消えていく。
こうなっては、もはや落ち着いて昼寝ができる場所は王立図書館地下階しかない。上級区に位置するこの場所は、アルティやクルミアが容易く入れる場所ではないからだ。
「ふあ~あ……今の時間はフランソワも来ないしな」
今は昼を少し回ったあたりの時間だ。フランソワを始めとする学園の生徒は全員授業中である。
つまり、今や彼の昼寝を邪魔する者はどこにもいないということだ。
薄暗い閲覧室の奥へと移動し、襟元を緩めて、深々とハイバックチェア(持ち込み)に腰を沈める貴大。
ほうっ、と大きなため息を吐く。すると、
「だ、誰ですか……? 誰かそこにいるんですか……!?」
「んあ?」
恐怖に震える声が、本棚の向こうから聞こえてくる。若い女性……いや、女の子の声だ。
「あの……誰か、いるんですか……?」
「いるよ~」
「ひゃあっ!?」
返事をしただけなのに、「ひゃあ」とな? 貴大は釈然としない気持ちのままに更に声を返す。
「どうした~、なんか用か~」
「あわ、あわわ……!」
「泡? 泡がどうしたって?」
どうにも埒があかないので、本棚の向こう側をひょいと覗きこむと……。
「ひああっ!?」
「な、なんだぁ!?」
見れば、王立図書館の司書の制服を着た、まだあどけない少女が腰を抜かしているではないか。
顔を真っ青にし、ブルブルと震えながら貴大から逃げ出そうとするが、どうにもうまくいかない。立とうとしては尻もちをつき、「ああっ!」と情けない声を上げている。
「……いや、ほんとに何?」
見ていられずに手を貸そうとする貴大。だが、少女は「ひっ! やあぁぁ……!」とますます恐怖で顔を歪ませる。
「ほんとに、なんだってんだ……」
二人がまともに会話できるようになったのは、それから十分も経ってからだった。
「で、俺を幽霊だと思ったって?」
「すみません……」
しゅんと項垂れる、司書見習いの少女、セリエ・ポルト。十三歳という若年の女の子が落ち込んでいるなど、どうにも貴大には居心地が悪い。
「ああ、いや、謝らなくていい。しかし、なんでまたオレを幽霊だと思ったんだ?」
そんなに死にそうな面をしているかなぁ……と、秘かに気にし始める貴大。そんな彼に、セリエはこう語り出す。
「あのです……わたしたち司書、あっ、わたしは見習いなんですけどね。あっ、ああ、それはどうでもいいですよね、すみません! ……そ、そのですね、わたしたちの間で、ある噂が流れているんですよ」
「ある噂?」
「地下階には幽霊が出るって……特に、立入禁止区画に見習いが近づけば、連れていかれてしまう、って……実際に、何人も怪しい影を見たって……」
そこまで話すと、ぶるりと大きく震え、きょろきょろと辺りを窺いだすセリエ。まるで小動物のようだ。
「立入禁止区画ねえ……確かに、ここから近いわな」
「そうなんですよ! それに、ここ、第四持出禁止書閲覧室は普段から人も少なくて……」
「うん、知ってる」
第一から第三までの閲覧室に比べて、さほど重要性の高くないものばかりが詰め込まれた部屋だ。当然、訪れる人も少ない。だからこそ、誰にも邪魔されない昼寝スポットとして選んだのだ。
「だから、本をこの部屋に並べてくるよう先輩に言われて来たら、サヤマさんがここにいて、わたし、びっくりしちゃって……」
「なるほどね~……」
「本当に、失礼しました! グランフェリア学園の臨時講師の方にこのようなご無礼を……」
「ああ、いやいや、気にしなくていいよ」
「サヤマさん……」
ほっとして貴大を見上げるセリエ。
「なんて心の広い人だろう」と顔に書いているが、別に貴大は不快になったけど表面には出していないわけではない。本当に気にしてはいないのだ。
十三という年の若さと、見習い司書ゆえの未熟さでそこまで読みとれなかったのだろう。
最後まで勘違いしたまま、嬉しそうな顔で「では、私はこれで」と去っていった。
「なんだかなあ……まあ、いいや。寝よ寝よ」
これで邪魔者はいなくなった。これでゆっくりと昼寝ができる。貴大も嬉しそうな顔で部屋の奥へと引っ込もうとしたところで……。
「先生~? どちらですの? 先生~?」
「っ!?」
学園で授業を受けているはずの、フランソワの声が聞こえた。
「先生~? どちらにいらっしゃいますの~?」
(な、なぜ奴がここに……!?)
人気が少ない地下階では、声はよく響く。まだ遠くにはいるようだが、段々こちらに近づいているようだ。
「先生~? タカヒロ先生~?」
(ど、どうする……!? 【インビジブル】で逃げるか……!?)
いや、地下階からの出口の重厚な扉は、職員によって開閉が制御されている。顔を出さねば開けてもらえない。その際のチェック(本を持ちだしていないか)でまごまごしていれば、フランソワが戻ってくるかもしれない。
「先生? ここですの?」
(ひいっ!? 来た!!)
どうやら、貴大がいる第四持出禁止書閲覧室に入ってきたようだ。声が間近に聞こえてくる。
最早、迷っている暇はない。
(【インビジブル】……!)
小声でスキルの発動を宣言すると同時に透けていく体。
(早く! 早く消えろ……!)
ひたすらに念じる貴大。もう、足音すらもはっきりと聞こえる。
直後に、フランソワが顔を覗かせた。
「先生? あら? 椅子だけ? ここにもいらっしゃいませんね」
嘆息してから歩き去っていく公爵令嬢。
(あっぶねえ~……!!!!)
間一髪だった。貴大の体が消え去ったと同時に、フランソワは現れたのだ。ドッドッドッドッと心臓が早鐘を打つ音がする。
(た、助かった……が……)
「先生ったら、どちらに行かれたのでしょうか? 創立記念日の午後からの休みに図書館にきてみれば、先生が来ているというから探しているのに……特訓をお願いしようと思ったのですが……」
ぶつぶつと呟きながら、未だうろうろと歩きまわるフランソワ。このままでは、【インビジブル】の効果が切れてしまう。
(【隠蔽5】でごまかすか……? いや、こんな狭いところで使えば、バレるかも……)
【隠蔽】スキルは、身を隠す場所が無いところで、他者がある距離まで近づけば効果を無くしてしまう。広々とした通路がなく、部屋も本棚で仕切られているとあっては、逃げ続けても咄嗟にばれてしまうかもしれない。
どちらにせよ、地下階から出るには一度姿を職員に見せないといけないのだ。フランソワのことだ、「先生がいらしたら教えてくださる?」と言い含めてあるに違いない。最早、脱出不可能だ。
(どうする……どうする……!?)
追い詰められた魚が巣穴の奥へ奥へと逃げ込むように、貴大も行くあてのないままに第四持出禁止書閲覧室から出て、地下階の奥へと向かう。【インビジブル】は残り三十秒を切った。それでも、あてどなくさ迷う貴大。
そんな貴大の目の前に、「立入禁止区画」の立て看板が現れる。
看板の両脇には、警護のためと思われる男が二人、声も交わさずに控えている。その通路の奥は、左へと曲がっていて伺うことができない。
(これだっ!!!!)
一も二もなく駆けだす貴大。立入禁止区画ならフランソワも追ってはこれまいと考えての行動である。
上級スキル【シャドウウォーク】すら発動させ、足音だけではなく「物が動いている」ということすら警備員に感知させずに一気に走りぬける。
(セーフ!!!!)
滑り込むように曲がり角の向こうへと身を隠すことができた。と、同時に、【インビジブル】の効果が切れる。
(ふ~……何とかなったな……)
ギリギリのところで事なきを得た貴大。
しかし、新たな問題点も浮上する。
(さて、どうやって戻ろう……)
帰る時の心配だ。【インビジブル】は短時間で連続使用はできないのだ。迷宮ではないので、【脱出】も使えない。すぐには帰れないだろう。
(はてさて……うん?)
視線を上げると、通路の奥にいくつかの扉が見える。恐らくは、重要性の高い書物が収められた部屋だろう。「関係者以外立入禁止」と書かれたプレートがドアに張り付き、その上、頑丈そうな南京錠がぶら下がっている。
(ほほぅ……なんか興味沸いてきた)
見るなと言われたら逆に見たくなるのが人間だ。成り行きとはいえ、普段は入れない場所に来てしまった彼の好奇心が刺激される。
(まあ、【隠蔽5】を発動させとけば、ちょっとやそっとじゃ見つからないだろう)
どうせ時間が空くなら、自らの好奇心を満たすのも悪くはない。そう結論付けた貴大は、手近なドアのカギを【鍵開け】で解除しにかかった……。
「う~ん……読めん!」
十畳ほどの小さな部屋に入って数分……貴大は、既に好奇心を萎えさせていた。日常会話や本の読解は【翻訳】スキルで何とかなっているのだが、今、机の上にバサリと放り投げた羊皮紙の文字はさっぱり理解できなかったからだ。
「【古代語解読】なんてマイナーなスキル、俺は持ってねえぞ……」
おそらく古代語で書かれた羊皮紙を睨んでも、分からないものは分からない。諦めて顔を上げるも、周りは似たような文字で書かれた書物や石板ばかりだ。それ以外に目を引くものは何もなく、面白くもなんともない。
「次の部屋に行くかな……」
やれやれとダルそうに腰を上げる貴大。そんな彼の耳に、何かが聞こえてくる。
(……?)
レベルによって強化された肉体の聴覚でも、はっきりとした音としては認識できないが、何か……聞こえる。
(なんだ……?)
段々と大きくなってくる。近づいているのだろうか。だが、足音には聞こえない。
(どちらかというと、何かを引きずるような音……)
そうだ、そういった類の音だ。ずるり、ずるりと何かを引きずる音がこの部屋に近づいてくる。
ふと、先ほど出会った少女の声が甦る。
「地下階には幽霊が出る」、「特に立入禁止区画」……ぞっ、と貴大の背筋が震える。
ここは件の地下階、立入禁止区画。人の往来が頻繁にあるような場所ではない。では、あれは何だろう。足音ではなく、まるで「リビング・デッド」が足を引きずって歩いているようなあの音は……?
(幽霊……!?)
ホラー大国・日本出身であり、暇つぶしについつい観てしまうテレビのロードショーでよく訓練された貴大は、どうしても「呪怨」や「リング」を連想してしまう。
髪の長い女がゆっくりと廊下を歩いている……顔は髪で隠れて見えない……目指すはこの部屋だ。ずるり、ずるりと、ゆっくり、だが確実に近づいてくる。やがて辿り着いた女は、扉を長く伸びた爪で引っかきだし……。
瞬時に、このようなシーンすら考え出してしまう。自らが生み出した妄想に、ますます背筋を寒くする。レベル250の強者であっても、怖いものは怖いのだ。
深夜、自宅の階段を上り下りする時ですら、「もし、後ろの暗闇から見知らぬ女が駆け下りてきたらどうしよう」、「足首を誰かに掴まれるんじゃないか」と唐突に思いつき、足早に移動を済ませてしまう、根は小心者の貴大だ。
薄暗く人気がない地下室では、そのようなことを考えるなという方が不可能に近い。ホラー大国・日本の刷り込み教育、ここに極まれりだ。
(って、やっぱりこの部屋の前で止まった!?)
ずる、と一際大きく音が聞こえたと思ったら、扉の擦りガラスの先に黒髪の女の影が映る。
「おや……カギが開いている……誰がいるのが……?」
「誰かいるのか」の部分がしわがれて聞こえ、ますます背筋を凍らせる貴大。油断すると、おしょんしょんちびりそうである。
ガチャ。
ドアノブが回り。
ギイィ。
樫の木でできた重たい扉が音を立てて開いていく。
そして、そこに現れたのは……。
「だれだぁ……?」
しわがれた声と共に、腰まで伸びたボサボサの黒髪を後ろで雑にくくった長身の女が貴大の前に姿を見せる。
女は、薄汚れたズボンとシャツに白衣を引っかけている。先ほどのずるずると何かを引きずるような音は、ぶかぶかの白衣が床に擦れる音だったのだろう。
髪と同様にまっ黒いフレームの眼鏡の奥から、隈の濃い目が貴大を怪訝そうに見ている。
貴大がイメージした女幽霊そのままだ。
「出たぁ!?」
「なにが……?」
「ゆ、幽霊……!」
「は? 私が? 冗談はよしたまえ。私は生きた人間だよ」
「………………へっ?」
「出会いがしらに人を幽霊呼ばわゲフッ、ゲホッ! ……久しぶりに声を出ずと喉にぐるな」
始めに聞こえた声がしわがれていたのはこのためだったのだろう。
貴大は拍子抜けして大きく息を吐いた。
「なんだ、驚かすなよ……てっきり、俺はあんたが司書の間で噂になっている幽霊だとばかり……」
「うん? 司書の間で噂になっている幽霊? それなら私だよ」
「えっ」
「私だ、それは」
真っ当な人間には見えない幽鬼のような女性が放つ「幽霊宣言」。
貴大の思考は再び真っ白に染まった。
???「セリエが新ヒロインだと思った? 残念、私だよ!!」