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赤ちゃんとエルゥ

 森の精霊。緑の賢者。あるいは長耳ながみみの狩人と呼ばれるエルフは、巷に流れるイメージと変わりのない生活を送っている。


 大樹をくり抜き、幹の周りに階段を作り、枝葉の間に住居を構える。俗にツリーハウスと言われる家々は、森に溶け込むように、自然な形で馴染んでいる。


 そうしたツリーハウスが立ち並ぶ集落には、せせらぎが流れ、リスや森ネズミが時おりちょこちょこと駆けていく。

 

 森を拓いたというよりは、森に寄り添う形で築かれた、静かで穏やかな集落。


 名もなきエルフの村は、今日も平和と静けさに満ちていて――。 


「エルゥが来たぞーっ!!」


「あひぃー!? 子どもをっ! 子どもを隠すんだーっ!!」


「もうおしまいじゃ……我らエルフの安寧は、今まさに、終わろうとしている……」


「神様……エクスゾード様……! 我らの村を守りたまへ……!」


「本当に何をやったんだ?」


「さあ?」 


 エルフの村を訪れた貴大とエルゥの前には、悲哀と無秩序をぶちまけたかのような混沌が広がっていた。


 泣き叫ぶエルフたち。怯える子ども。ぷるぷる震えるお爺ちゃんたちに、神に祈りを捧げるお婆ちゃん。


 それらすべての混乱は、どうやらエルゥがもたらしたらしく、見目麗しいエルフたちは、恐怖に顔を歪めて黒髪のエルフを遠巻きに見ていた。


「おーい、私だ。エルゥだ。ミルルゥの家のエルゥだよー。忘れたのかな?」


「「「忘れるものかあああああっ!!!!」」」


「それなら、そんなに他人行儀にしなくてもいいじゃないか。ねえ、長老?」


「あひぃー!」


 近くにいた白髪の老エルフが、失禁しながら気絶した。


 隣にいた護衛の若者たちも、同時に白目をむいて後ろに倒れた。


 女子おんなこどもは声さえなくし、へなへなと腰砕けに座り込んだ。


「パオオオ! パオオオオオオ!」


「相変わらず大げさな連中だなあ。エルフのくせに、知性というものが感じられない」


 エルゥが近づいただけで、エルフたちは正気をなくし、奇声を上げながらその場をぐるぐると回り出した。


 その異様な光景に、貴大はげんなりとした顔をエルゥに向けながら、彼女にそっと耳打ちをした。


「なあ、お前……もしかして、この森でも『実験』とかしてたのか?」


「うん? ああ、していたよ。十代のころの私は献身的な性格でね。村に貢献しようと、エルフの魔法の発達に心血を注いだものさ」


「おう……なあ、それをさ。村の人たち、怖がってなかったか?」


「ああ、そういえば。なぜか今みたいに悲鳴を上げたり、泣きだしたりしていたね。魔物に植物を寄生させて、内側から突き破るという画期的なスキルを開発したというのに……」


「そんなこったろうと思ったよ……」


 数々の凄惨な実験が、この森の各所で行われていたのだろう。


 エルフたちの心に刻まれたトラウマは深く、それは生来、理性的であるはずのエルフを奇行に走らせていた。


「十年前、里を出ていく時は、みんな私の栄達を泣いて喜んでくれたのに。時の流れは無情なものだね」


「連れて来られた側なのに、なんか、すげー罪悪感が湧いてきた……」


 混乱を極めた広場を抜けて、貴大たちは村の奥へと進んでいった。


 エルゥの通過に合わせて、ツリーハウスの窓がパタパタと音を立てて閉まっていき、それが貴大にいたたまれなさを感じさせた。


「なあ、もう帰ろうぜ。歓迎されていないっぽいぞ」


「タカヒロ君、安心したまえ。まともなエルフも、この村にはいるんだよ」


「まともなエルフゥ? それって、お前みたいなエルフってことか?」


「ははは、そう言われると何だかくすぐったいね。でも、そうなるのかな。少なくとも、先ほどの連中と違って、受け答えはきちんとできる人たちだよ」


「やべえ、逃げてえ」


 貴大の言葉を褒め言葉と勘違いしたのか、エルゥは照れたように笑う。


 対照的に、『たくさんのエルゥ』を頭に思い浮かべた貴大は、苦い顔をして逃げる準備を始めていた。


 何が起きても、すぐにこの場を離脱できるように――。


 残された長老たち……『本当にまともなエルフたち』はかわいそうだったが、心を鈍らせれば我が身が危ない。そう考えた貴大は、一人、エルゥを置き去りにして逃げ出す算段を立てて――。


「ああ、ほら、あそこにいるよ。あれが私の実家でもある」


「っ!」


 糸が張り詰めたかのような緊張感。


 貴大は、覚悟を決めて、エルゥが指差す先を見た。


 すると、そこには一際大きなツリーハウスと、十人ほどのエルフがいて――。


「「「おかえり、エルゥ!」」」


「……ん?」


 にこやかに……本当ににこやかに、貴大とエルゥを出迎えていた。


 彼らの目に狂気はなく、さりとて、長老たちのような怯えもない。


 それがどうにも解せないまま、貴大は彼らに招かれて、ツリーハウスの中へと入っていった。







「いやあ、遠いところからわざわざどうも。私がエルゥの父、ゼオルゥです」


「私がエルゥの母、アルゥです。娘の付添い、お疲れさまです」


 そう言ってぺこりと頭を下げる、エルフの夫婦。


 彼らが例の友だちなのかと思った貴大は、思わぬ言葉に一瞬驚いて、慌てて自分も頭を下げた。


「や、これはどうも。グランフェリアで何でも屋をやっている、佐山貴大です」


「まあ、何でも屋さん。護衛の仕事もされるのね」


「エルゥは手がかかる娘ですからね。サヤマさんも大変でしたでしょう」


「いや、まあ、もう慣れました」


「ほーう……」


 エルゥとさほど歳が変わらないように見える、ゼオルゥとアルゥ。


 ウルル夫妻は、貴大の言葉に感心したようにわずかにのけぞって、またニコニコと微笑みだした。


「お言葉から察するに、エルゥとの付き合いは長いのですかな?」


「エルゥとの付き合いですか? ええと……もう一年ぐらいになりますね」


「まあ、一年!?」


「よく心身無事でいられましたね!?」


「なんて言いぐさだい。ふん」


 大木の幹の中、円形にくり抜かれたリビングの中央で、貴大とウルル夫妻、エルゥは円卓を囲んでいた。


 壁際のテーブルには、先ほど、貴大らを出迎えたエルフたちが並んでいる。彼らは興味深そうに貴大を見つめ、その視線を受けた貴大は、居心地悪そうにそわそわとしていた。


「十年ぶりに会った娘に対して、ご挨拶だね」


「貴女が帰って来なかっただけでしょう? お母さん、何度も手紙を送ったのに」


「そんなに会いたかったのなら、王都に来ればよかったのだよ」


「いやだわ、都会だなんて。考えただけでも、目を回してしまいそう」


 十年ぶりの再会だというのに、ずっと暮らしてきた親子のように――いや、姉妹のように言葉を交わすエルゥとアルゥ。


 何百年と生きるエルフにとって、十年というスパンは数ヶ月のようなものだというかのように、二人は気の置けない様子を見せた。


 対して、ゼオルゥは娘よりも貴大に興味が引かれたのか、ハーブティーでのどを湿らせた後、なおも饒舌に話しかけてきた。


「それにしても一年の付き合いですか。それは、仕事上だけの話ですかな?」


「いや、私生活でもちょくちょく会ってますね」


「ほほう!」


「って言っても、エルゥが俺の家に勝手に上り込んで、ふしゃふしゃお菓子を食ってるだけですけど」


「いやはや、それはそれは……」


 何がそんなにうれしいのか、ゼオルゥはほくほくとヱビス顔になって、貴大の話に何度もうなずいている。


 いつの間にか、壁際のエルフたちも興味深そうに貴大の話に耳を傾けており、それに気づいた貴大はまたそわそわと体を揺らし始めた。


「そ、それにしても、エルフってみんな金髪なんですね」


「え?」


「エルゥが黒髪だから、里の人はみんな黒髪なのかと思っていました」


「ああ、そのことですか」


 あからさまに話題を変えられたゼオルゥは、虚を突かれてぽかんとしていたが、すぐに微笑みを取り戻した。


 若々しく見えて、その実、大人の落ち着きをうかがわせる金髪のエルフは、貴大に向かって大きくうなずいて――。


「エルゥは突然変異種なんですよ」


 割と容赦のない言葉を吐いた。


「うわあ、なんか、すげえ納得できる……!」


 突然変異種という言葉が、これほど似合うエルフがいるだろうか。


 眼鏡をかけた黒髪エルフは、いわゆるエルフとは何もかもが異なっている。


 髪の色が違う。虚弱な体質が違う。目の良さが違う。頭のよさを活かす方向性が違う。


 王立図書館の暗い地下室で、枯れ木のような手足を動かしてかさかさと蜘蛛のように動くエルゥを見るたびに、「エルフって何だっけ……」と遠い目をしていた貴大だ。


 ゼオルゥの言葉はすとんと腑に落ちて、彼はエルゥの異常性について、一つの答えを手にしていた。


「生まれた時、驚いたんじゃないんですか? 黒髪のエルフなんて珍しいでしょうし……」


「一時期は真剣に妻の不貞を疑っていました」


「一時期は真剣に妖精の取り替えっ子だと疑っていました」


「ひでえ!」


 この親にして、この子ありといったところか。


 言葉をオブラートに包まないのは、エルフの血筋か、ウルル家の習わしか。


 あけっぴろげに話すウルル夫妻を嫌そうに見つめながら、エルゥはふんと鼻息を吐いた。


「まったく、父さんたちは変わらないね。この両親に育てられて、よくグレなかったものだよ」


「分かりやすくグレた方が良かったんじゃないのか……?」


 ちびちびとハーブティーをすすりながら、貴大はウルル親子を見つめていた。


「それで、クルルゥはどこだい? 彼女の子どもを見るために、私は里に帰ってきたのだがね」


 話に一段落がついたところで、エルゥが本題を切り出した。


 クルルゥの――エルゥの友人の子ども。エルゥとともにグランフェリアに出てきて、結婚を機に森へと帰ってきたクルルゥは、つい先日、可愛らしい赤子を生んでいた。


 その子を親友のエルゥに一目見せたいと、クルルゥもエルゥに手紙を送っていたのだ。


 どちらかと言えば、その手紙をきっかけにエルゥは重たい腰を上げたわけで……積もる親子の話など、彼女にとっては割とどうでもいいことだった。


「ああ、あの子は狩りに出かけてて……」


『……エルゥ? エルゥが来てるの? ええーっ! わー、懐かしいー!』


「帰ってきたみたいだね」


 ツリーハウスの外から、にぎやかな声が聞こえてきた。


 それはドタバタとした足音に変わり、すぐさま家の中へと近づいてきた。


 そして、足音の主は、蹴破るようにドアを開いて、家の中へと入ってきて――。


「きゃーっ! エルゥ! 久しぶりー!!」


 予想以上に騒々しい声を上げた。


「あんた、生きてたの!? ちっとも手紙を返してくれないから、餓死か孤独死したのかと思ってたよー!」


「便りがないのは元気な証と言うだろう」


「ええ!? またあんたは小難しいこと言ってー! 変わってないわねー!」


「君も相変わらずだね。親になったら、少しは落ち着くと思ったんだが」


「子どもを生んだら静かになるって、どういう理屈よ! あはは!」


 毛皮の防寒具を着て、弓と子どもを背中に担いだボーイッシュなエルフは、突撃するようにエルゥに近づき、その手を取って上下に振った。


 その勢いを慣れた様子で受け止めたエルゥは、珍しく素直に微笑みながら、旧友との再会を喜んでいた。 


「それが例の子どもかい? 小さなものだね」


「すぐに大きくなるって! おっぱいぐびぐび飲んでるんだから!」


 やはりクルルゥの子どもということか、赤子は騒々しい母親の背中ですやすやと眠っていた。


 その頬をつんつんとつつきながら、エルゥは興味深そうに眼鏡を光らせていた。


「実験台に使っちゃやーよ?」


「そんなことはしないさ」


「あんたは前科があるからねー。あっはは!」


 からからと笑いながら、クルルゥはエルゥのおでこをピシッと叩いた。


 その気安さが如実に二人の関係を物語っており、貴大は何やら意外なような気がしていた。


「エルゥ、友だちがいたんだな」


「うん? そう言ったじゃないか」


 そうは言うものの、エルゥは図書館の魔女と恐れられた女である。


 ともに都会に出てきたとはいえ、これほどエルゥと親しい人間がいるとは思いもしなかった貴大だ。


 彼らは壁際に並ぶエルフたちにも目を向けながら、クルルゥの顔をしげしげと見つめていた。


「あれ? この人、誰? エルフじゃないよね?」


「サヤマタカヒロさんといって、エルゥが連れて来た護衛の人だよ」


「ええっ!? エ、エルゥが連れて来たの!?」


 ゼオルゥの言葉に、クルルゥは大きくのけぞって驚いた。


「あんた、いつの間に恋人ができたの!?」


「ブフゥーッ!?」


 そして、貴大はクルルゥの言葉に、口に含んでいたお茶を盛大に吹き出した。


「いやー、あのエルゥに恋人ができるなんてー……感無量ってこのことだわね」


「げほっ、げほげほっ! い、いや、違っ……げほっ!」


「違うよ、クルルゥ。タカヒロ君は私のビジネスパートナーだ。恋愛対象ではないね」


「え? そうなの? ええー……?」


 貴大とエルゥ、二人にそろって否定され、しかし、釈然としないクルルゥ。


 あけすけのないエルフは、思ったことをすぐに口にして、なおもエルゥたちに食いかかる。


「でも、あんた、実家に男を連れて来るなんて、よっぽどのことよ?」


「そうなのかい?」


「そうよぉ!」


「そうかなぁ……」


 首を傾げるエルゥと、身を乗り出して大声を上げるクルルゥ。

 

 ……そして、こそこそとその場を逃げ出そうとする貴大。


 若い三人を見つめながら、ゼオルゥとアルゥはギラリと目を光らせていた。






ラブのないまま、第三話終了!


残り一話……貴大は逃げ切れるのか?


趣旨が違うような気もしますが、次回もお楽しみに!

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