災厄ノ帰還
広大なイースィンドの領土内には、飛び石のように異種族の集落が存在する。
犬獣人の村。猫獣人の森。ドワーフの地下洞穴に、妖精種の隠れ里。
イースィンド文化に染まることなく、さりとて大国と敵対することもなく、ひっそりと生きている異種族たち。彼らの住まう集落は、街から離れ、村々からも遠く位置する場所にあった。
「もうすぐ着くよ、タカヒロ君」
「えっ? もうか? 案外、早いんだな……」
貴大たちがグランフェリアを発ったのは、つい先ほど、小一時間前のことだ。
見送るユミエルやセリエを置いて、貴大とエルゥは竜籠に乗り込み、南東に一直線に飛んできた。
飛竜がつかんだ籠の中で、おしゃべりをしたり、遠くの景色をながめたり、酔ったエルゥがゲロを吐いたり……そうこうしているうちに、あっという間の到着だ。
空を飛んでの移動の速さは、地を行く馬車や竜車の比ではなく、何度か乗ったことのある貴大さえも驚かせるものだった。
「一時間ちょいで着くとか、近いじゃないか。お前があんなに面倒臭がるもんだから、半日ぐらいかかるのかと思った」
「いや、近いからこそかえって億劫でね。それに、森の入り口から歩かなくちゃいけないから、それを思うと体が重くなって……はあ」
「お前、本当にエルフかよ」
まさか、森を歩くことに抵抗感のあるエルフがいるとは思ってもみなかった貴大だ。
彼は、エルゥを未確認生命体を見るような目で見つめながら、飛竜の手綱を軽く握った。
「それで、森の入り口……あの平たい場所に下りればいいのか?」
「そうだよ。エルフというのは、どこか排他的な生き物でね。飛竜を森の中には入れたくない、なんてワガママ言って、村には発着場を作ろうとしないんだよ」
「そういうのはエルフっぽいな」
と、エルゥと会話をしながら、貴大は飛竜を操って森の手前に下りていく。
森の手前、均された地面の上に、貴大たちの乗った籠がゆっくりと着陸する――。
「はいにゃー。そこでストップにゃー」
「どうどう。どうどう」
飛竜が籠から足を離したところで、近くの小屋から猫獣人たちが飛び出してきた。
大きな猫が直立歩行をしているような、愛嬌のある猫獣人たちは、てきぱきと動いて竜籠の拘束を外していく。
翼を畳んだ飛竜も彼女らに連れられて、小屋のそばへと繋がれた。その慣れた動きに、貴大はほうと感嘆の声を上げた。
「ケット・シーか。こんなところにもいるんだな」
「商売だからにゃ」
おそろいのポンチョを着た猫獣人たちは、商売猫とも呼ばれるケット・シーという種族だ。
『猫の王』という名の会長に率いられたケット・シーたちは、全国各地、どこにでも現れて――なんと迷宮の中にまで現れて、商魂たくましく、ポーションや保存食を売りつける。
ここではエルフと提携している彼女らは、こうして客人の乗り物の管理を行っている。
「人通りがないと儲からないだろ」
「そうでもないにゃ。結構、お客さんは来るにゃよ」
「それに、エルフはケット・シーから穀物、塩、香辛料、生活雑貨を仕入れているからね。ここは行商の中継基地も兼ねているのさ」
「そうにゃ」
三人のケット・シーたちは自慢げに笑い、それぞれに肉球のある手を差し出した。
その手に駐車……いや、駐竜管理の代金を乗せて、更にチップも渡したエルゥは、貴大を連れて森の中へと歩き出した。
「またにゃー」
人好きのする声に送られて、貴大は森道を奥へ、奥へと進んでいった。
後ろを気にしながらしばらく歩いて、森道にできた轍に気づいた貴大は、感心したように唸り声を上げる。
「商売熱心だなぁ。まさか、エルフの村にまで行商に来てるなんて」
「王都ではあまり見かけないが、ヒト種以外の集落では、むしろケット・シーの方がポピュラーな存在だね」
「そうなのか?」
「そうだよ。嘆かわしいことだが、今の時代にも差別と偏見、遺恨というものが残っていてね。かつての暴君ネクロウスが、ヒト種至上主義者だったということは知っているだろう? 異種族は全員、家畜か奴隷扱い。コロッセオでは見世物として、強力な魔物と素手で殺し合いをさせられた。その時の恨みつらみが未だに残っていて、ヒト種を忌み嫌う種族は多いね。ただ、これを時代錯誤の怨念と切って捨てるのは間違いで、ヒト種の支配者層にも、未だに他種族を劣等種と断ずる人々がいるのは事実であり……」
「へー」
止めどなく流れ出る薀蓄を、貴大はさらりと受け流した。
歩く図書館のようなエルフとの付き合いも、もう一年は経っている。彼女の扱いも慣れたものであった。
「でもさ。だとすると、俺がエルフの村に行ったらまずいんじゃないか? こういうところだと、ヒト種は嫌われ者なんだろ?」
右から左へと聞き流していたようで、貴大は大事な部分はしっかりと聞いていた。
ヒト種への忌避感。迫害と対立の歴史。それらを加味すると、貴大は招かれざる客ということになるが――。
「大丈夫だよ。エルフはそこまで偏屈じゃない。彼らが嫌うのは不潔な者と無礼な者だけだ。お風呂好きで、貴族ともいい関係を築けているタカヒロ君ならば問題はない」
「そうか」
貴大はほっと安堵の息を吐いた。
村に足を踏み入れた途端、問答無用で矢を放たれる心配はなさそうだ。
エルゥの説明から、貴大は穏便に事が進みそうだと胸をなで下ろして――。
「そこで止まれ、ニンゲンッ!!!!」
「話が違うじゃねえか」
「……あれぇ?」
何人ものエルフに包囲されていることに気づいて、隣のぽんこつエルフの頭を叩いた。
村へと続く道が一つだけ伸びる森の中。
木漏れ日に照らされた、静謐なるエルフの森は――。
その実、殺気と警戒心が渦巻く、一触即発の場と化していた。
「おのれ……!」
「許さん……許さんぞ、ニンゲン……!」
若く美しいエルフたちは、その美貌を醜く歪め、貴大とエルゥを睨みつけている。
つややかな金髪を振り乱し、悪鬼のごとく歯をむく彼らは、森の精霊とはほど遠い存在である。
何が彼らをそうさせたのだろうか。四方八方から矢を向けられた貴大は、冷や汗を垂らしながら両手を上げる。
「えっと……す、すみません。気に障ったのなら、俺、ここから出ていきますけど……」
「この期に及んで、しらばっくれるか!!」
「な、なんか……ごめんなさい」
烈火のごとく怒り狂うエルフに圧されて、貴大は頭を下げた。
なぜ、ここまで自分は怒られているのだろうか。彼には分からなかったが、エルフたちの怒りは本物である。何か、自分には分からない無作法をしてしまったのだろう――貴大は、まずはそのことを確かめることにした。
「あの……俺、何か気に障ることをしましたか? 教えてもらえると、助かるんですけど……」
「何をしたか? 何をしたかだと……!?」
貴大の正面、道を塞ぐように弓を構える男エルフが、ギリギリと音を立てて歯ぎしりをした。
「貴様は自分の罪深さが分かっていない。よりにもよって……よりにもよって……!」
怒りに応じて、弦も弓も千切れんばかりに引き絞られていく。
その剣呑な音を耳にして、貴大はますます首をすくめる。
そして、男エルフは、食いしばった歯の隙間から絞り出すように――いや、溜めていられず、破裂するように怨嗟を吐き出した。
「よりにもよって、あのエルゥを連れて来るなんて!!」
「ごめんなさい! ……え?」
叩きつけられた激怒に、貴大は反射的に頭を下げたのだが――すぐに彼は怪訝そうに顔を上げた。
「エルゥを連れて来たって……俺、連れて来られた側なんだけど……」
「ひいっ!? 動いたっ!」
「こ、こっちを見たぞ!」
貴大の言葉など聞きもせず、エルフたちはエルゥの一挙手一投足にいちいち過敏に反応した。
何か恐ろしい化け物でも見るかのように、若きエルフは顔を青ざめさせていた。
「失敬だな、君たちは。お姉さんが帰ってきたんだよ。少しは歓迎したらどうだい?」
「歓迎などできるものかっ!」
「そ、そうだ! 帰れ! グランフェリアへ帰れっ!」
構えたままの弓を振って、エルフたちはエルゥを追い払おうとする。
そんな同郷の若者たちを見て、エルゥは嘆かわしそうに頭を振った。
「まったく。幼いころの君たちは可愛げがあったのだがね。私に世話をされた恩を忘れたのかい?」
「ひい……っ!」
「む、昔の、世話……!」
「悪魔のお医者さんごっこぉ……!!」
まだ年若いエルフたちは、男も女も顔を蒼白にして、失禁しそうなほどに震えだした。
その情けない姿は、ますますエルゥの不興を買って、黒髪のエルフは呆れて大きく息を吐いた。
「ティルゥ。臆病なのは変わらないね。ゼブゥ。なんて声を上げているんだい。ロールゥ。そんなことでは立派な戦士にはなれないよ」
「あ、あああ……!?」
「か、顔……! 顔と、名前……!」
「覚えている……! みんな、みんな、覚えられている……!」
「それはそうさ。みんな、私の記憶力の良さを忘れたのかな?」
かわいそうなほどにガクガクと震えるエルフたちに、エルゥはにこりと微笑んだ。
それは、エルフたちにとっては、悪魔の嘲笑のようにも見えて――。
「うわっ、ああああああっ!!」
「ま、待って! 置いてかないでっ!」
「もうダメだ! 終わりだっ! 俺たち全員、実験台にされるんだああああっ!!」
とうとう、エルフたちは弓を放り出して、一人残らず逃げ出してしまった。
普段の流麗な動きも忘れ、めちゃくちゃに手足を動かし、命からがら森の奥へと駆けていく。
その後ろ姿を見ながら、貴大は呆然と、エルゥに問いかけていた。
「お前……一体、あの子らに何やったんだ?」
「特に何もしてないのだが……『遊んで』あげたり、『世話』を焼いたり、『鍛えて』あげたりしたんだよ?」
「うん……そうか……」
「むしろ、歓迎されて然るべきだと思うのだがね」
納得いかないとばかりにぷりぷりと怒るエルゥを見つめ、貴大は一人でうなずいていた。
このマッドサイエンティストなエルフが、故郷で何もやらかさなかったわけがない。
こいつならば、同族であろうと、平気で実験台にするだろう――と。
「さっ、気を取り直して行こうか」
「俺、もう帰りたい」
「何言ってるんだい。村はもうすぐそこだよ」
平然と村へ向かおうとするエルゥに引きずられ、貴大は森道を進んでいく。
騒動の予感に頭を悩ませながら、貴大は黒髪エルフに連れられて行く。
逃げ出すには、あまりに遅い状況であった。
エルゥさん、叩けばまだまだ余罪が出てきそうである。
さて、次回、ついにエルゥの家族登場! お楽しみに!
※作中のケット・シーの挿絵は、ウォーキングライフのものを流用しております。ケット・シーはこんな種族でございますにゃ。黒猫獣人のニャディアとは、また違った外見ですのにゃ。
興味がある方は、ウォーキングライフの方も読んでみてください(・ω・)b




