恋する……こいつに恋愛感情なんて人間らしいものは備わっていたっけ? エルフ
十二月中旬。北部イースィンドは、底冷えのする日が続いていた。
空は快晴、雨や雪など降ってはいないが、真冬の気温は見た目に反して非常に低く、それが街や人を芯から凍えさせていた。
このような時季は、家にこもってじっとしているに限る。暖炉に火をつけ、あるいは暖房用の魔法具を使用して、背中を丸め、かじかむ手足を温める。
こればかりは、貴族も庶民も変わらない。彼らは、冬の間はなるべく家にこもり、のんびり、まったりと、やがて訪れる春を待ち続けていた。
「くーん……タカヒロー、もっとなでてー」
「あ、ああ」
「ふふっ、クルちゃん、甘えんぼさんね。はい、タカヒロ。お茶」
「あ、うん」
「ユミエル君。すまないが、マカロンのおかわりをくれないかね?」
「我は焼きたてのスコーンがいい。苔桃のジャムをたっぷりと添えてくれ」
「お前ら、自分で動けよ」
さて、何でも屋〈フリーライフ〉にも、今、多くの少女たちが集まっていた。
外に出るなどとんでもないと、暖炉の前に陣取り、あるいは、炬燵の中に手足を突っ込んだ少女たち。
炬燵の中から顔を出し、そのまま貴大に抱きつくクルミア。お茶を運びながら、その姿に微笑むカオル。ちゃんちゃんこ姿のエルゥに、彼女の隣で鷹揚に構えるルートゥー。
暖炉の前に座っていたアルティは、横着なエルフや竜人に難色を示し、メイドは構わずキッチンへと消えていく。すると、入れ替わりで薄桃色のシスターが顔を出し、焼けたばかりのクッキーを大きな皿に盛って運んできた。
今日は週に一度の安息日。気心が知れた者同士が集まって、茶会やホームパーティーを開くことは、そうおかしなことではない。
特に、今は隙間風にも総身が震える十二月だ。何をするにも暖かな家の中で、というのは、当然のことでもあった。
「タカヒロくん、タカヒロくん。クッキーが焼けたよ。はい、どうぞ♪」
「あ、うん。もらう……」
「わうー。おいしー」
「あはは。クルちゃん、雛鳥みたい」
「おっ、桃のジャムがのせられているね。これはいい」
「うむ。病みつきになる味だな」
「はー……よくそんなに甘いもん食えるよな。なんか、見てるだけで胸やけしそうだ」
姦しく、見目麗しい少女たちに囲まれて、年ごろの青年は何を思うのだろうか。
誰もがうらやむハーレムの中心に座して、貴大は、今、どのような気持ちなのだろうか。
きっと、幸せを感じているはず。美女、美少女とふれあう時間に、心が満たされているはず。朴念仁だ、昼行燈だ、立ち枯れした杉の木だと言われている貴大も、この状況には、大満足に違いない。
――しかし、実際の貴大は、心の中で小鹿のように震えていた。
「むむむ」
「うふふ」
貴大が気もそぞろになっている原因は、炬燵を挟み、彼の対面に座っていた。
頭の両側で渦を巻いた金髪。王立学園の制服にも似た仕立てのよい服と、育ちの良さを感じさせる洗練された姿勢。
物言わず、しかし、幸せそうに笑うフランソワ=ド=フェルディナンが、貴大をじっと見つめていた。
「な、なあ」
「はい、何でしょうか、先生」
「い、いや……うん」
わずかに頬を染めたフランソワが、ますます幸せそうに頬を緩め、貴大に返事をする。
裏がなく、何の企みも感じさせないその態度が、かえって恐ろしく感じられ、貴大はまた言葉に詰まってしまった。
「うふふ、おかしな先生」
フランソワは、貴大のぎこちない言動を指摘するでもなく、ただたおやかに微笑んでいる。
あの夜、黒騎士の素顔を見たはずの少女は、何もせず、何も言わず、ただただ、静かに微笑んでいる。
それがどうにも解せなくて、貴大は腹をくくり、フランソワを連れて二階へと向かった。彼女が一体、何を考えているのか知りたくて、二人きりで話を聞こうとした。
――正体を公表するぞと脅されるか、はたまた、国家への助力を申請されるか。
嫌な予感に顔を青ざめさせた貴大は、微笑むフランソワに意を決して質問をぶつけた。
「な、なあ。見たんだろう? 黒騎士の……俺の、顔を」
「はい」
「なのに、何で何も言わないんだ? あの夜も、マヒした俺をうまく隠してくれたみたいだし……俺を、黒騎士を、どうこうしようってつもりはないのか?」
悪名高き『アンダー・ザ・ローズ』の構成員たちが、フェルディナン家親衛隊の手によって、数多く召し捕られた大捕り物。
世間一般ではフェルディナン家の計画だと思われ、大公爵家の名声をますます高めた劇的な夜。
あの日、あの時、貴大はマチスの手によって倒れ、フランソワの前で無防備な姿をさらしてしまった。よりにもよって黒騎士の姿で、黒騎士としての力を見せつけた後で、彼は致命的なミスを犯してしまった。
相手は有力な施政者、フェルディナン家の跡取り娘だ。この機を逃さず、彼女は黒騎士から『うま味』を搾り取るために、ありとあらゆる手を尽くしてくるに違いない。
権力者とはそういうもので、黒騎士の力は彼らにとっても垂涎ものだ。えげつない手を使ってでも、貴大をイースィンドに組み込もうとしてくるはず。
場合によっては、ユミエルを連れての夜逃げも考えなくてはならない。貴大は、そこまで考えていたのだが――。
彼の予想に反して、フランソワは驚くほどに何もしてこなかった。何も言わず、黒騎士の正体も広めず、ただ、貴大に穏やかな笑みを向けるのみ。
そこにどのような意図があるのか測り兼ねた貴大は、こうして、本人の口から直接事情を聞くほかなかったというわけだ。
不安に体を硬くする貴大。彼に向かって、大貴族の少女は優しく微笑んで――。
「分かっていますわ。先生、私には分かっていましてよ?」
「……は?」
何やら理解者面をして、うんうんと何度かうなずいていた。
「大丈夫です。先生の正体は、決して口外いたしません。先生はこれまでと同じように生活していただいて構わないのです」
「いや、あの……黒騎士の力をイースィンドのために使えー! とか、言わないのか?」
「うふふ、先生ったら。これまでも先生は、イースィンドのために陰に日向に尽力してくださいました。それをどうして、今さら強制するようなことができましょう」
「んんんん……!?」
「それに、黒騎士をあごで動かすことなど、誰にもできませんわ。それに、私もそのようなことはしたくありません」
「いや、あのな……」
一から十を知ると言われる才媛は、事細かに説明されずとも、すべてを察するだけの知能があった。
ただ、今回ばかりは、色恋にボケてしまっていたのか、それとも貴大の事情が特殊すぎたのか。彼女は、黒騎士のことを――貴大のことを、大いに勘違いしてしまっていた。
「心配はいりません。先生の正体は、私の胸にしまっておきます」
「はあ」
「この事は、私だけの秘密です……いえ、先生と私だけの、秘密」
恋するお嬢様は、胸に手をあて、幸せそうに目を閉じた。
彼女の頭の中には、一体、どのような物語が展開しているのだろう。
そのことを知る由もない貴大は、気もそぞろに返事をしながら、悪いことにはならないようだと、内心、ほっと安堵の息を吐いていた。
場所は再びリビングに戻り、もうすぐ昼になるかという時間帯。
貴大の家に集まった少女たちは、みんなで昼食を作ろうと、キッチンやリビングで所狭しと動き回っていた。
「するするーっと」
「わっ、メリッサちゃん、皮むきうまいね!」
「えへへ」
「お肉……お肉……」
「うわっ!? こら、犬っ子! ぶ厚く切りすぎだ!」
「ユミエルさん、スパイスはどこにありまして?」
「……戸棚の中です」
一軒家なりの広さはあるが、六人も入れば動くこともままならない。
しかし、少女たちの動きは慣れたもので、入れ替わり立ち代わりキッチンの中を移動していた。
ここで彼女らが料理をするのは、一度や二度のことではない。最近の安息日は決まったようにフリーライフに集まって、少女たちは貴大に手料理をふるまっていた。
「お前らは何も作らないのか?」
「我が眠りをさまたげ……たげ……むにゃ……」
「今、いいところだから邪魔しないでくれたまえ」
「マイペースだよなぁ」
昼食が出来上がるのをただ待っている貴大に言えたことではなかったが、ルートゥー、エルゥの横着ぶりは貴大をして苦笑させるものだった。
おやつを食べてお腹がいっぱいになったのか、炬燵を布団代わりに昼寝をしているルートゥー。
背後の本棚から新しい本を抜き出して、黙々と読みふけるエルゥ。
生活能力のない二人が、進んで家事をするわけがない。そう思った貴大は、それ以上追及せずに、またキッチンに目を向けた。
「お肉ー!」
「だーっ! だから、ぶ厚く切りすぎだー!」
「シチューを作るよー」
「おー!」
「あら? お塩はどこかしら?」
「……どうぞ」
にぎやかに、そして楽しそうに料理を作っていく少女たち。
数年前は、貴大だけ……少し前まではユミエルと二人だけだったこの家も、ずいぶんと華やかになった。
広く感じられた三階建ての一軒家も、これだけ集まれば手狭になって、一人でいられる時間がなくなってしまう。どこかを向けば誰かがいて、声を上げれば返事が聞こえる。
他者がいるのが当たり前。自分の時間など取れはしない。そういった生活を、貴大は何より嫌っていたはずなのだが……彼は、自分の中に抵抗感がないことに驚いていた。
(まあ……いいもんだよな、こういうのも)
騒がしい毎日に慣れたのか、貴大の心境に変化があったのか。
彼は満更でもなさそうに微笑んで、動き回る少女たちの姿を見つめていた――。
「……って、んん? エルゥ、なんだそりゃ?」
ゆっくりと視線を巡らせていた貴大は、ふと、対面に座るエルゥのおかしな行動に気がついた。
本棚の横に置かれていた木箱を脇に置いて、その中から何枚かの手紙を取り出すエルゥ。彼女はためらうこともなく封を切り、三つ折りにされた手紙を開いていった。
「何って……手紙だよ」
「それは分かるけど、何でここに手紙があるんだ? わざわざ家から持ってきたのか?」
「まさか。そんなこと、するはずないだろう?」
だとすれば、エルゥが手にしている手紙は何なのだろうか。
不思議に思う貴大に、エルゥは軽く笑って答えてみせた。
「私宛ての手紙は、すべて、この家に届くようにしておいたのさ!」
「ちょっと待て、このクソエルフ」
「あいだだだだだっ!?」
どうだい、名案だろう?
と、誇らしげに胸を張る駄エルフの頭をわしづかみにして、貴大はエルゥの耳にねじ込むように文句を言った。
「なあ……ここは俺の家だって分かってるよな……?」
「で、でも! 週に何度も通ってるから、ここに届けてもらった方が効率がよくて……!」
「俺は許可を出してねえーっ!!」
「あひぃーっ!?」
笹穂型の耳をビリビリと震わせる大音声に、エルゥは畳の上でビクンビクンと震えた。
痩せぎすな女が虫のように跳ね回る感触が気持ち悪かったのか、貴大は顔をしかめて手を放しながらも、エルゥを非難めいた目で見るのを止めなかった。
「やけに郵便局員が家に来ると思ったら……お前の仕業だったのかよ」
「ううう……頭が痛い。頭が痛いよう」
「自業自得だ」
他の少女たちが苦笑しながら見つめる中、エルゥは涙目で頭を抱える。
彼女が持っていた手紙はくしゃくしゃになって、炬燵の上にはらりと落ちた。
「ん? エルフの森?」
何の気なしに落ちた手紙に目をやった貴大は、そこに記されていた住所を意外に思った。
国内の研究機関からの手紙とばかりに思っていたものは、『エルフの森 西の大樹』から送られたものであり、送り主の名前は『アルゥ・ミル・ウルル』と、エルゥによく似たものだった。
「もしかして、実家からの手紙か?」
「もしかしなくてもそうだよ。あいたた……最近、帰ってこいって催促が多くてね。私宛ての手紙は、そればかりだ」
エルゥの言葉通り、木箱に入っていた手紙はエルフの森から送られたものばかりだった。
貴大が炬燵に落ちた手紙を広げると、これまたエルゥの言葉通り、『たまには帰ってこい』との旨が記されている。
「実家にはどれぐらい帰ってないんだ?」
「さあ……森を出て、もう十年は経ったかな。どうでもいいことだから、あまりよく覚えていないな」
「どうでもいいって……実家だろ? たまには帰ってやれよ」
「いやあ、あそこで学ぶことはもう何もないからね。それに甘いお菓子もないし、図書館もない。私にとってメリットがないのだよ」
「メリットで考えることでもないだろ……」
とは言いながらも、貴大はエルゥらしいと考えていた。
この黒髪のエルフは唯我独尊を地で行く存在であり、人に言われて動くような女ではない。
親孝行をするような性格でもなく、律儀に里帰りをするような人柄でもなかった。
下手をすると、親が死ぬまで故郷には帰らないのではなかろうか――。
そう考えていただけに、貴大にとって、次のエルゥの言葉はとても意外なものだった。
「ただ、友人に子どもが産まれたらしくてね。そろそろ里帰りしようかと思っている」
「ふうん。そうなのか」
図書館の魔女。血も涙もインクに変えたと言われるエルゥにも、友情というものは残されていたのか。
面倒臭そうに息を吐きながらも、友人を想って苦笑するエルゥを見て、貴大は感心したように目を開いて――。
「と、いうわけで、また護衛を頼むよ」
「……は?」
「いやあ、道中は物騒でね。ぞろぞろ護衛を連れて行くのも手間がかかるからね。その点、タカヒロ君なら安心だ」
「……え?」
ぽん、と肩に置かれた手。
その言葉と、肩にかかる重みは、何やら覚えがあるもので――。
「くそっ、またこのパターンかっ!?」
これは仕事の依頼だっ!!
気づいた時にはすでに遅く、貴大の退路には仕事の鬼、ユミエルが立ち塞がっていた。
「……まいどどうも」
「ユミィ! お前はどっちの味方なんだ!」
「……お客さまの味方です」
「くそったれぇーっ!!」
策士エルゥは眼鏡を光らせ、不敵に微笑んでいた。
不覚を取った貴大は、頭を抱えて立ち上がった。
そして、少女たちは、そんな彼を微笑ましげに見つめていた。
エルゥは恋とか愛とかよりも、『繁殖』だとか、『配合』だとかの言葉の方が似合うような……。
ともあれ、仕事は仕事です。次回、貴大はエルゥの故郷に行くよ!
地獄はこれからだ……。




