孤児院の仕事
わんわんメイドたちの出現に、一種異様な雰囲気に包まれた貴大の家。
居間でテーブルを囲みながら、貴大はゴルディとクルミアから話を聞いているのだが、彼の意識はどうしても散漫になってしまう。
(犬耳と、犬しっぽと、ホワイトブリムと、メイド服と……過剰積載じゃなかろうか)
ただでさえ愛くるしい犬獣人を、なんとメイドにしてみせる。
神の采配か、悪魔の知略か、怖ろしく大胆なコーディネイトに、メイドを見慣れた貴大もたじたじだ。
「それでですね、卒院生のお店でメイド服を作ってもらってきたのですが……タカヒロさん? タカヒロさん」
「あ、ああっ。聞いてる、うん。大丈夫だ」
「ふふふ、そうですか」
両手で口を隠し、いたずらっ子のように笑うゴルディ。メイド服ばかりに気をとられていた貴大は、彼女の不敵な笑みの意味に気がつかず、適当にはいはいと返事をしてしまう。
「じゃあ……いいよ、ってこと?」
「ん? んん? あー、まあ、いいんじゃないか?」
「やった!」
心ここにあらずの貴大に、もじもじとしていたクルミアが、上目づかいで問いかけたのだが――やはり貴大は、これにも首肯を返してしまう。
(似合ってるか、ってこと……だよな?)
貴大の肯定に、パッと花が咲いたような笑顔を見せるクルミア。彼女と同じ格好をしているゴルディも、両手を上げて歓声を上げた。
やはり、クルミアとゴルディは、おそろいのメイド服のお目見えに来たのだ。
だから、ほら、貴大に「いい」と言われて、こんなに喜んでいる。犬耳としっぽ、下ろしたばかりのメイド服を揺らし、少女らしくはしゃいでいる。
彼女らが現れた時は、一体、何が始まるのかと警戒していた貴大も、クルミアたちの屈託のない笑顔に、疑惑と警戒心をゆるめていく。
難しく考える必要などなかったのだ。身構える必要などなかったのだ。
訪問客すなわちトラブル・キャリアーと見てしまうほど、フリーライフの日常は騒がしいものだったが――たまには、今日みたいに微笑ましいイベントがあってもおかしくはない。
年ごろの少女が、新しい服を見せに来る。それだけの時間があってもいいではないか。
年下の親しい友人が、何の思惑もなく遊びに来る。そんな日があってもいいではないか。
どうやら貴大は、自分が思っていた以上に疲れていたようだ。誰も彼もがトラブルの種に見えてしまうほど、心身ともに疲弊していたのだ。
そういったネガティブな思考は、佐山貴大のよくないところである。まず疑ってかかるという対応は、是正しなければならないものであり――。
「……では、来週からよろしくお願いしますね、クルミアさん、ゴルディさん」
「わんっ!」
「任せてください!」
「……ん?」
貴大が神妙な顔でうんうんとうなずいていると、何やら話が先に進んでいた。
来週からよろしくお願いします、とは何なのか。何をよろしくお願いするというのだろうか。
ネガティブシンキングを改善しようと決めたばかりの貴大ではあったが、どうにも嫌な予感が脳裏をよぎり、ついつい、口を挟んでしまった。
「なあ、来週から何があるんだ?」
「「え?」」
「え、えっ?」
愕然としたクルミアとゴルディの表情に、貴大は気圧されてしまった。
「……ご主人さま? 『依頼』を聞いていなかったのですか?」
「へ? い、依頼?」
続くユミエルの言葉に、貴大の声が裏返った。同時に、冷めた視線が貴大に突き刺さる。
「い、依頼って……なに?」
「……クルミアさん、ゴルディさんが、来週の月曜日から一週間、住み込み家政婦としてこの家で働くというものです」
「は!?」
話を聞いていなかったことを遠回しに白状した主人に、ユミエルは淡々と、事務的に依頼の内容を伝える。
このメイドは常に表情を崩さないのだが、この時ばかりは、顔や言葉に呆れが混じっているようだった。
「え? 住み込み家政婦って……何がどうなって、そうなるんだ?」
「……ゴルディさんは、それを説明していたのですよ」
「うっ。す、すまん」
ユミエルに次いで、ゴルディとクルミアにも頭を下げて、貴大はうかがうようにちらりとゴルディに目を向けた。
その視線を受けて、なぜか偉そうな態度になるゴルディに、貴大は反射的にツッコミそうになったが――ここはグッと衝動を抑えて、素直に話を聞き直すことにした。
「しょうがないですねえ、タカヒロさんは。いいですか? 今回、私とクルミアが来たのは、ミラクル可愛いわんわんメイド姿をお目見えするためではありますが、本題は別にあるのです」
「本題?」
「ええ、本題です。それこそが、先ほど、ユミエルさんが説明してくださったことであり、私たち孤児院の子どもたちの、大事な大事な仕事でもあるのです」
「孤児院の子どもの……仕事?」
それは貴大もよく知っていることだった。
身寄りのない子どもたちを受け入れるとともに、彼らの社会進出の手助けをする役割を持つ孤児院。そこでは、年少組の子どもたちも、年長組の子どもたちも、量の違いこそあるものの、誰もが早くから仕事に励んでいた。
特に、十歳を超えて年長組に入ると、『十五歳の巣立ち』を迎えるために、子どもたちは孤児院の外に出て働くようになる。
多くの職人の子ども、騎士見習い、商人の小間使いと同じように、早い時期から仕事や社会に慣れさせておく。そうすることで、子どもたちは無理なく孤児院を巣立っていけるのだ。
十歳になったクルミアも、大衆食堂〈まんぷく亭〉で給仕や下ごしらえを手伝っている。ゴルディはゴルディで、シスター見習いとして院長先生の仕事を補助し始めた。
そのことを重々承知しているだけに、かえって貴大はゴルディが言わんとしていることが理解できなかった。
「でも、お前ら、別の仕事があっただろ? そっちはどうすんだよ」
「大丈夫です。根回しはとっくの昔に……いえいえ、代わりの人材はきちんと用意しています。タカヒロさんは、そこまで気にされることはないのですよ」
「そ、そうなのか?」
「ええ」
胡散臭いほどににこやかな顔で、ゴルディは首肯した。
彼女の態度からは怪しげな何かが感じられたが、別段、言っていることに妙なところは何もない。
孤児たちは十歳から仕事に出始めること。臨時雇いのような扱いなので、時と場合によっては職が変わること。そういった事情を知っていた貴大は、何とはなしに、話の筋が見え始めていた。
「あー、つまり、こういうことか? 孤児院の仕事として、ハウスメイドをすることにした。そして、その仕事場に知り合いの俺の家を選んだ。そんでもって、『いいですか』って聞いたのは、受け入れてくれますかってことだな?」
「そうです! それが私たちの依頼……ううん、お願いです! そのために、仕事着に着替えて、こうしてお願いに来たわけですよ。何なら働きっぷりも見られますか?」
「いや、何となく知ってるから。別にいい」
クルミアの勤勉さとゴルディの有能さは、カオルやルードスから聞いている。それに孤児院では、二人が家の仕事を手伝う姿を、ちょくちょく見かけることができた。
貴族に仕えるならまだしも、庶民の家でハウスメイドをするには十分な能力が備わっている。こと生活面においては、貴大はクルミアとゴルディを高く評価していた。
「じゃあ、雇って……くれる?」
「あー、いいよ。一週間だけなら、全然構わんぞ」
「わうっ! ありがとー!」
「でも、仕事はきちんとしてもらうからな。こんな時、甘やかすとためにならないってルードスさんも言ってたし。ユミエルに教えてもらって、一人前のメイドになるんだぞ」
「はーい」
元気よく返事をするわんわんメイドたち。
体は大きいものの、まだまだ幼さのあるその姿に、厳しいことを言った貴大もついつい口を緩めてしまう。
(いきなりで驚いたけど……まあ、こんな『お願い』なら可愛いもんだ)
穏やかに微笑みながら、肩の力を抜く貴大。
彼の油断を見て取って、ゴルディは秘かににやりと笑っていた。
「相変わらずちょろいですねー、タカヒロさんは。内側に入り込めば後はどうとでもなるというのに……ふふふ」
翌週の朝、さっそくフリーライフへとやってきたわんわんメイドたちは、ユミエルの指導の下、まずは家の掃除に取りかかっていた。
「一週間? 十分すぎる時間ですよ。寝食をともにし、その中でわんわんメイドの魅力をいかんなく見せつければ、流石のタカヒロさんもしんぼうたまらんっ! になるはず」
フリーライフ二階、貴大の寝室で暗い笑い声を上げながら、ゴルディは明るい未来を思い描く。
何でも屋の若旦那。健気で一途なわんわんメイド。ひょんなことから一つ屋根の下で暮らすようになった二人は、公私に渡ってふれあうことで、心の距離を縮めていく。
やがて近づく別れ! あまりに短すぎる二人の時間! 遠ざかっていく想い人の姿……!
『離れたくないっ!』
そして二人は、自分の中に芽生えた愛を自覚して、固く、熱い抱擁を交わした。
鳴り響くベルの音。祝福を授ける、真っ白なチャペル。誓いの言葉は甘く切なく、差し出された指輪は光り輝く。
「はーれるや♪ はーれるや♪」
讃美歌を口ずさみながら、ゴルディはパタパタとはたきで貴大の部屋のほこりを落としていった。
彼女の胸に不安はない。ただ絶対的な確信があった。
ルードスが提案した『結婚生活体験』という案を、ゴルディがドラマティックに脚色したパーフェクト・プラン。
ルードスは、『結婚生活体験』だけで貴大とクルミアが結ばれるとは思ってはいなかったが、二人の距離を縮めるにはとても有効な策だった。
それをゴルディが改良したのだ。効果が増大こそすれ、失敗などあろうはずもない。
少なくともゴルディはそう信じ、もう結果は決まっているとばかりに上機嫌になっていた。
「それにしても、タカヒロさんの部屋に入ったのは初めてですね。へえー、これがタカヒロさんの……せっかくなので、マーキングしておきましょう。くしくし」
「……シーツにしわをつけるとは何事ですか」
「きゃいんきゃいん! ああー! 許してください許してください! ショウガは苦手なんですー!」
浮かれたまま、ベッドのシーツに頬や耳をこすりつけるゴルディ。
調子に乗っていた彼女は、やはりというかなんというか、仕事には厳しいユミエルにおしおきされて、ショウガのスライスを額に貼り付けられて泡をふいていた。
「うんしょ、よいしょ」
さて、お調子者のわんこが失態をさらす一方で、もう一人のわんこは一生懸命、真面目に働いていた。
「階段が、多いなー」
二階の浴室で手もみ洗いした衣服や下着を、クルミアが大きなかごに入れて階段を上がっていく。
家主に似て縦に長い貴大の家では、頻繁に階段を使った移動があり、急こう配の階段はなかなかこたえるものがあった。
「んしょ」
洗濯かごを胸に抱えて、三階の上、屋根裏部屋へと上がってきたクルミア。
この家は少し特殊な構造となっていて、グランフェリアでは珍しく、平たい屋上がある家だった。
半分は屋上、半分は屋根裏部屋。これまた特殊な構造になっている『四階』で、クルミアはかごを抱え直し、屋上へと続くドアを開けた。
「わー……」
火照った頬を、涼やかな風がするりと撫でた。
フリーライフの屋上から見える風景に、クルミアは思わず動きを止めて、感嘆の声を漏らす。
「グランフェリアって、こんなだったんだー……」
背丈や屋根の色をそろえられた家屋。広がる人工的な平原の先には、林のように塔が乱立し、ぽっかりと開けた場所には、巨岩のような建築物があった。
遠く、崖の上から見下ろしてくるのは、王都が誇る白亜の城だ。要塞として優れたグランフェリア城は、それ以上に、美しさをもって褒め称えられ、多くの者たちに畏怖と感動を与えていた。
「わぅー……」
ずっとグランフェリアで暮らしながら、見たこともなかった王都の景色に、クルミアは心を奪われていた。
完全に仕事の手を止めて、屋上の手すりに両手をかけて、緩慢な動きで辺りを見回すクルミア。
広くはあるが、二階までしかない孤児院では、こっそり屋根に上ってもこのような景色は見られなかった。自分の住む街が、こんなに素敵なものだったなんて、クルミアは思ってもみなかった。
「わんっ!」
何だかうれしくなってしまい、クルミアは羽が生えたような軽やかさで、洗濯物を干して回った。
赤い屋根の平原で、犬獣人の少女は踊るようにメイドの仕事に励んでいた。
すると、そこに一つの影が現れて――。
「おう、頑張ってるな」
「タカヒロ!」
屋根から屋根へと跳んできて、屋上から帰宅した貴大。
羽のある種族や、身軽な猫獣人のようなことをする青年を、クルミアは明るい笑顔で出迎えて、彼の腕に抱きついた。
「ねえねえ、すごいね! 景色がいいね、ここ!」
「ん? そうか? まあ、そうかもな」
言われて初めて気がついたのか、ぐるりと辺りを見回した貴大は、クルミアの言葉にうなずいた。
「メイドさんのお仕事が終わっても、時々、ここに来ていい?」
「ああ、いいぞ。それぐらいなら好きにしてくれ」
「やった!」
恋心から来る照れや、年ごろの少女特有の気まぐれな遠慮は、グランフェリアの景色がもたらした興奮によってどこかに飛んでいったのだろう。
クルミアは目を輝かせ、この感動を分かち合おうと言わんばかりに、貴大をぎゅうぎゅうと抱きしめた。
他愛のないことで喜ぶ少女を微笑ましげに見つめながら、貴大は洗濯かごをひょいと持ち上げて、クルミアを連れて階下へと向かう。
「タカヒロ、もうお仕事終わったの?」
「いんや、まだだ。ちょっと道具を取りに帰っただけだ。クルミアはどうだ? 仕事には慣れたか?」
「まだお洗濯しかしてないよー」
「ははは、そうか。聞くにはまだ早かったな」
和気あいあいと話をしながら、一階の事務所へと歩いていく貴大とクルミア。
二人の姿を見かけたゴルディは、グッと胸の前で拳を握って喜んで――。
そして、彼女の背後。自分の部屋から出てきたルートゥーが、仲睦まじい二人の姿を、思案気に見つめていた。
うーん……妖精種とわんわんで、メイドがだぶってしまった。
なるほど……フリーライフは貴大とユミエルで十分なんだな。
そんなメイドインフレが起こりそうなクルミア編! 残り一話は、甘々な雰囲気になる……かも?
次回もお楽しみに!




