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恋するわんこ

 晩秋のグランフェリアは、海から吹き寄せる潮風がことのほかこたえる。下級区にもなると、なおさらそうだ。


 大国イースィンドの王都であり、国内最大の港町でもあるグランフェリアは、外郭の半分以上が海に接している。そして、この街は海を背にして、二重、三重の防壁を築いている。


 その防壁によって分けられているのが、下級、中級、上級、王貴の名がつけられた各区画だ。人も、物も、町そのものさえも、等級ごとにきっちり分けられているグランフェリア。この都では、外側に行けば行くほど、暮らしにくくなっていく。


 まず、夏は暑く、冬が寒い。海から来た湿度の高い潮風は、各区画を舐めるようにして街の中を吹き抜けていく。これが暑い日はじっとりと、寒い日はひんやりと体にまとわりついて、人々に不快感を覚えさせることになる。


 区画の等級が高ければ、魔法の力によって潮風を遮断し、代わりに涼風や温風を吹かせることもあるのだが――下級区などは吹きさらしのままだ。


 下級区に割ける魔力や魔法石などないとばかりに、快適な環境は上に、上にと整備され、下はあまり気にかけられることはない。


 外側に行けば行くほどに、つまり、区画の等級が下がるほどに悪くなっていく王都の環境。だが、暮らしにくさに関係のある要素は、他にもまだある。


 それは、人口密度だ。下級区には多くの人々が暮らしているが、それ以上に、グランフェリアを訪れる人の数が多い。王貴区に向かう者ですら、玄関口である下級区を必ず通らなければならないのだ。


 王都の入り口でもある下級区は、連日、多くの旅人、住人たちでごった返している。更に、彼らを狙った商店、屋台が軒を並べ、五つある大通りは、どこも非常に混雑していた。


 おしくらまんじゅうのようにぎゅうぎゅうに建てられた家々と、季節と気温のままに吹きつける潮風。それに何より、いつもうるさい大通りからの声と音!


 場所によっては、これが王都かと言いたくなるほどの暮らしにくさだ。下級区民の悲哀は、推して知るべしである。


「ハシレー!」


「おーう」


 悪いところばかりが目につく、猥雑なるグランフェリア下級区。


 だが、その一角には、貧しいながらも明るく元気に暮らす者たちがいた。


「どりふと! どりふと!」


「どこでそんな言葉を覚えたんだか」


 下級区の北西、にぎやかな繁華街よりは、港町に近い位置にある一軒の孤児院。


 その門前の庭で、黒髪の青年が、歓声を上げる子どもたちに囲まれていた。


「次は! 次はボクも!」


「ああー! ずるいー!」


「タカ! タカー! 乗せて! 乗せてー!」


 先ほどまで、トカゲ獣人の小さな女の子を肩車して、庭を駆け回っていた青年。


 佐山貴大が、大きく土煙を上げてブレーキをかけた時、そこにわっと幼児たちが群がっていった。


「ダメ! マダ、りらノ!」


「一人じめはよくないんだぞー!」


「ママに言いつけるぞ、リラ!」


 貴大の肩の上に立ち、彼の頭に両手としっぽを巻きつけるリラード。


 トカゲのような鱗に覆われたそれらから両目をかばいながら、貴大は苦笑しながらリラードを地面に下ろした。


「アー! アー!?」 


 幼く、まだ分別がつかないリラードは、信じられないとばかりに貴大に非難めいた目を向けて、両手を上げてぴょんぴょんと飛び跳ねる。


 その小さな頭を大きな手で包むように撫でながら、貴大は泣き出しそうな女の子を優しく諭した。


「ダメだぞ、リラード。順番だ、順番」


 貴大とリラード、この場に二人だけならば、結構、様になったかもしれない。 


 まだ若い保父さんが、一人一人にちゃんと向き合い、お話をする図。なかなか微笑ましい光景だ。


 ――他の子どもたちが、我先と貴大の背中を登り始めていなかったら、だが。


「ぐえ、重い重い! 首をしめるのは止めろ!」


 頭に、背中に、腕に、腰に。あらゆる場所に子どもにしがみつかれた貴大は、ふらふらと歩きながら、何とか彼らをはがそうとする。


「りらモ!」


「ぐえーっ!?」


 そこに一度は外したリラードが加わって、貴大はたまらず前のめりに倒れ込んだ。


 顔から地面に落ちた貴大を、しかし、子どもたちは心配することなく、けらけら笑って彼の上で飛び跳ねる。


 幼児とは時に残酷なものである。地に伏したお兄さんを、迷いなく遊び道具にするほどに、情け容赦のないものである。


「こちょこちょ~!」


「ぃひっ!? ひ、ははは! ははは、止めろ、止めろ!」


 踏んだり蹴ったり、わきをくすぐったり、髪の毛を引っ張ったり。


 あんまりにあんまりな扱いに、貴大はのたうち、抵抗するが、それすら遊びに転換して、子どもたちは大きく歓声を上げた。


「このガキども! あんまし調子にのるんじゃねえぞ!!」


「「「きゃーーーっ!! ぁあははははは!!」」」


 理不尽な扱いを受けて、流石の貴大も堪忍袋の緒が切れたのだろうか。


 いや、そうではない。憎まれ口を叩きながらも、彼は子どもたちを乗せたままシャカシャカと地面を這い回り、振り落とされた子どもを脅かすように彼らの周りで円を描いた。


 子どもたちはゲラゲラと笑い転げ、また同じことをしてもらおうと貴大の背に乗ろうとする。しかし、今度はさせじとばかりに貴大は速度を上げて、孤児院の庭を高速で這い回った。


 そして、それを面白がった子どもたちが、自然と鬼ごっこを始めて――実に平和な光景であった。


 貴大が下級区の孤児院、ブライト孤児院に関わるようになって、早くも一年が過ぎていた。


 最初の頃から、子どもの扱いがうまかった貴大だが、最近はそれに磨きがかかっている。子どもたちも子どもたちの方で、そんな『面白いお兄さん』に大いに懐き、貴大が孤児院に来るたびに、彼の後ろをついて回った。


「みんなー。おやつができたわよー」


「「「わーーー!!」」」


 今、姿を見せた孤児院の院長。少し前に司祭となった妙齢の女性、ルードス=ブライトも、貴大のことは好ましく思っていた。


「タカヒロさんも、よければどうぞ」


「あ……」


 他の何でも屋の誰よりも、子どもたちと親しげに接してくれる貴大。


 亜人種だから、捨て子だからと色眼鏡で見ない彼に、ルードスはこの一年で、すっかり信頼を置いていた。


「み、見てたんですか……」


「ええ、最初から。ふふっ」


 気まずそうに立ち上がり、視線を逸らしながら、パンパンと土埃を払う貴大。


 彼に濡らしたハンカチを渡しながら、ルードスはくすくすと口元に手を当てて笑い声を漏らしていた。


「あー、ちょっと水場で汚れを落としてから行きます。汚して帰ると、ユミエルがうるさいんで」


「そうですか。では、お待ちしていますね」


 黒いズボンと、藍色のタートルネックのセーターにこびりついた土をはたきながら、貴大が言った。


 その言葉にうなずいたルードスは、司祭になってからも愛用しているシスター服を揺らしながら、孤児院の中へと入っていった。


「変なところを見られたな」


 先ほどまで、ゴキブリかムカデのように地面を這いずり回っていた自分の姿を思い出して、貴大は気恥ずかしそうに頬をかいた。


「まあ、年長組のやつらに見られてないから、まだマシか」


 貴大と遊んでいたのは、全員が十歳未満の年少組の子どもたちだ。


 時々、貴大をからかう年長組、十歳以上の子どもたちは、今は外に働きに出ている。社会に出ていく前の練習のような簡単な仕事だが、サボったり、勝手に休んだりは院長先生が許さない。


 躾の行き届いた年長組は、今日は夕方になるまで帰ってこない。それを知っているからこそ、貴大はほっと安堵の息を吐いたのだが――。


「……にゃー」


「まだ目撃者がいたか……」


 庭の木の上から、すとんと軽い音を立てて下りてきた一人の少女がいた。


 つやつやとした黒髪と、黒曜石のように輝く猫目。つんと立った猫耳と、ゆらりと動く猫のしっぽ。


 スカートとシャツ、パーカーなど、動きやすい組み合わせを好む猫獣人の九歳児は、貴大をちらりと見た後、ふいと目を逸らし、孤児院の方へと歩いていく。


「聞いてたと思うけど、おやつができたらしいぞ。お前も食堂に行け」


 いつもすました顔のニャディアは、貴大の言葉を聞いているのか、いないのか、彼から少し離れた場所を通り過ぎていく。


「早く行かないと、なくなるぞー」


 やはり返事はない。ニャディアは貴大を見ようともせず、マイペースにすたすたと歩いていく。


 愛想の欠片も感じられない、いつも通りのニャディアの態度に、小さなため息を吐く貴大。


 そんな彼をちらりと見て、ふいっとニャディアは孤児院の中へと姿を消した。






 貴大が孤児院に仕事に来た日の夜のこと。


 貴大が家に帰るのと入れ替わりに、働きに出ていた年長組の少年、少女たちが帰ってきて、ブライト孤児院はますます賑やかになった。


「ミミルお姉ちゃん、おかえりー」


「うん、ただいまー!」


「ねえねえ、今日は何を作ったの!?」


「おう、今日はな、机を作ったんだぜ! しかも一人で!」


 年少組の子どもたちが、特に懐いているお兄さん、お姉さんに抱きついていく。


 年長組の子どもたちが、小っちゃい子たちを受け止めて、にっこりと明るい笑顔を見せる。


 そのちびっ子集団の中にあって、にょっきりと飛び抜けて高い背を誇っているのが、犬獣人のクルミアだ。


「クルミア姉ちゃん!」


「ネエチャ! オネーチャン!」


「ただいま、みんな!」


 ベビーブロンドの短いくせっ毛。垂れた犬耳。ふさふさとしたしっぽと、それに何より、大きな体。


 大型犬、ゴールデンレトリバーのような特徴を持つ犬獣人の少女は、体の大きさに反して、まだ十歳である。


 しかし、その包容力は体に負けないものがあり、どの子にも優しく大らかに接するクルミアは、孤児院の中でも一番の人気者だった。


「ぺろぺろ」


「きゃっ、わぷっ」


「わんわんっ!」


「ギャー! クスグッターイ!」


 ……ただし、犬獣人特有の『ぺろぺろスキンシップ』だけは、苦手とする子も多かったが――。


 それを差し引いても、クルミアは孤児院の子どもたちの中心的な人物だった。彼女の周りには、自然と子どもたちが集まっていた。


「今日の~、ご飯は~、なにかな~?」


「クルミアは食いしん坊だなぁ」


「だって、ご飯、美味しいよ?」


「だけどさ。そんなことじゃ、『よめのもらいてがない』ぞ~?」


「わう?」


 みんなでぞろぞろと食堂に移動する途中、上機嫌で即興の歌を歌っていたクルミアを、同じ年長組のケビンがからかった。


 大人っぽさを気にするケビンは、今日、仕事場で聞いた言葉でクルミアを笑った。実はケビンも言葉の意味は知らなかったのだが、仕事場の男女のやり取りから、何となく『女性をからかう言葉』ということは理解できた。


 それで、早速、その『大人っぽい言葉』でクルミアをおちょくったのだが――肝心のクルミアはきょとんとした顔をするばかりで、どうにも張り合いがない。


 ケビンは、つまらなそうな顔をして、すぐに別の子どもとおしゃべりを始めた。


「よめの……もらいて? ってなんだろ?」


 残されたクルミアは、何となく、その言葉が気になってしまった。


 どこかで聞いたことがあるような、ないような、どうにも気になる『よめ』や『もらいて』という言葉。


 不思議と心に引っかかる単語に、困ってしまったクルミアは、頼りになる相棒に声をかけた。


「ねえねえ、ゴルディ。よめのもらいて、ってなあに?」


「嫁の貰い手?」


 クルミアと同じように、ちびっ子に服のすそをつかまれた女性。


 クルミアとうり二つで、しかし、クルミアよりは大人っぽく見える髪の長い犬獣人。


 最近、犬から犬獣人に転生した、衝撃的な人生を歩んでいる女性の名は、ゴルディ=ブライト。今も昔も子どもたちを見守ってきた、ブライト孤児院のお姉さんである。


「嫁の貰い手って……嫁の貰い手のことですよね? それがどうかしましたか?」


 やはりクルミアによく似た声で、不思議そうに問い返すゴルディ。


 クルミアはもどかしそうにそわそわしながら、彼女に向かって再度、問いかけた。


「意味を教えて! 意味が知りたいの」


「ああ、そういうことでしたか」


 体は大きいが、クルミアはまだまだ子どもである。当然、知らない言葉の方が多いし、難しい言い回しは苦手だった。


 こういった時、頼りになるのはいつも大人だ。それはルードスであり、貴大であり、そして、いつもクルミアのそばにいたゴルディだった。


「嫁の貰い手というのはですね、お婿さんのことですよ。それで、嫁というのは、お嫁さんのことです」


「およめさん!」


 少し誇らしげに、ピンと人差し指を立てて説明をするゴルディ。彼女は、クルミアが上げた大声に、途端に得意げな表情を崩し、呆けた顔でクルミアを見つめた。


「お嫁さんがどうかしたんですか?」 


「あのね、さっきケビンにね、食べてばかりだと、よめのもらいてがない、って言われたの。それって、およめさんになれないってことだよね? どうしよう……」


「ははあ、そういうことでしたか」


 廊下に立ち止まり、話し込む二人を置いて、ちびっ子たちは先に食堂へ行ってしまった。


 魔法石の薄明りが照らすブライト孤児院の廊下には、不安そうなクルミアと、納得顔のゴルディだけが残された。


「クルミアはお嫁さんになりたいんですか?」


「うん……なりたい……」


「へぇ~……それは、誰の?」


「わぅ……それは……」


 合点のいったゴルディは、今度はにやにや顔でクルミアを問い詰める。


 答えを知っているはずなのに、それをクルミアの口から言わせようと、いじわるそうに妹分の顔をのぞきこんだ。


「いやはや、クルミアもお年頃ですね。お姉ちゃんは何やら感慨深いものがありますよ」


「くーん……」


 腕を組んだゴルディは、うんうんとうなずいていた。


 対するクルミアは、顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにしっぽを足の間に挟み込んだ。


「よーし、じゃあ、お姉ちゃんに任せなさい! 幸せ家族計画、発動ですよー!」


「ゴルディ!?」


 びっくりして、耳もしっぽもぴーんと逆立たせるクルミア。


 彼女の前で、ゴルディは自信満々に、どんと胸を叩いていた。







キリングといい、ゴルディといい、フリーライフのヒロインたちは、まずは身内をどうにかするべきなのでは……。


でも、もしかすると、ゴルディの幸せ家族計画はうまくいくかもしれません。クルミア編、残り三話をこうご期待!

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