「憤怒の悪鬼」
『東に中隊規模のゴブリンどもが向かった! 警戒しとけ!』
『なにぃ!? 今からウッドゴーレムの木偶野郎をぶっ壊そうって時に……! おい! 人手を回せ!!』
『こっちも手一杯だっつーの! ったく……おい、ネズミ! ゴブリンどもをかく乱してこい!! おめえは逃げ足しか能がないんだからよ!!』
『あいよー……』
オープンチャンネルの【コール】から貴大に指示が飛ぶ。
ここ、「ドゥ・マリッセ渓谷」において「繁殖期」の魔物の群れとの戦闘が始まって、すでにニ時間が経過していた。貴大は待機要員ではあるが、誰かからの救援指示があれば出ていかざるをえない。
すでに同じように救援指示があって、食人植物の小隊(30程度)と、単体の「クレイジーバード」を倒している。だが、中隊規模(おおよそ200)といったら相当な数だ。ゴブリンと言っても侮れない。なので、貴大の本当のレベルを知らない冒険者たちは、流石に倒してこいとまでは言わなかった。
「別に一分もあれば倒せるけどさ……」
しかし、そのように目立ってしまえば、厄介事を押しつけられるのは目に見えている。「繁殖期」はほどよく動く。これが彼の方針となっていた。
「精々、ゴブリンどもをおちょくって憂さ晴らしでもしてやるか……」
貴大はやれやれと腰を上げると、自分の心にも発破をかけるように勢いよく前線基地を飛び出していった。
「はっはーっ! どうだ、ゴブリンども!」
渋々始めたゴブリン中隊かく乱だが、始めてみると夢中になっていた。
【挑発】を発動しながらモンスターの前に出ると、遮二無二襲いかかってくるのだが、群れをぐるりと一周すると押し合いへし合いの結果、やがてはキレイな円形陣形となっていく。
ゴブリン達がまるで、おしくらまんじゅうをしているようだった。
「ふ~……意外と楽しめたな」
その後は、【挑発】を終了し、群れの中心にギルドから支給された「ポケット爆弾」(手瑠弾のようなもの。【ボム】の魔法が封じ込めてある小さな箱)に投げ入れて、ゴブリン中隊を更なる混乱に陥れ、増援を待った。
「ネズミぃっ! おめえにしては上出来だぁ!! あとはオレたちに任せろ!!」
レベルアップとドロップアイテムへの欲に目をギラつかせた冒険者が二十人ほどやってくる。彼らの平均レベルは120ほど。「ポケット爆弾」で150までその数を減らしたレベル50程度のゴブリンなどには遅れもとらないだろう。
「へいへい、っと……」
任せろと言われたからには、もう前線基地に帰って良いのだろう。さっさとその場を後にする貴大。順調に事が運んでいるようで、今度の「繁殖期」の主力部隊も、もはや残されている数は少ない。
「そろそろ終わりか……うん?」
もうすっかり終わったつもりでいた貴大の耳に、オープンチャンネルの【コール】が聞こえる。この群れを率いるボスでも発見したのだろうか?
『オーガの群れを発見! 数は十! 真っ直ぐに前線基地に向かっている!!』
オーガ。レベル130程度の下等な悪鬼だ。しかし、その三メートルを超える巨体が備える攻撃力・防御力・体力は馬鹿にはできない。それが十揃っているとは、どうやら群れの精鋭部隊らしい。
「どれどれ、っと……」
スキル【ホークアイ】を発動させる。仲間が補足した敵を、自分の視界に映し出すスキルだ。貴大が好む斥候系のジョブにはこういったスキルが多い。
「おお、確かにオーガだな、ありゃ……ん? なんだあの箱」
身の丈を超えるほどの木製の箱を、四体のオーガが担いで歩いている。残りのオーガは、その周辺で警戒に当たっているようだ。
『なんでしょうね、あの箱は?』
『恐らく、ゴブリン・ボマーが作成した爆弾だろう。しかし、やけにでかいな……』
『あれで前線基地をぶっ飛ばそうってんだろうさ。手すきの奴はオーガどもに攻撃を集中させろ! 「ポケット爆弾」や炎の魔法であの爆弾を誘爆させりゃ一撃だ!!』
偵察隊の面々の会話が【コール】を通して聞こえてくる。
(なるほど……今回の群れのボスはゴブリン・ボマーか)
常ならばリッチやゴブリンメイジなどの知性が高い魔物が群れのボスとなるのだが、例外が無いわけではない。知能はやや劣るが、ゴブリン・ボマーやジニアス・オークが群れを率いることも、ないわけではない。
今回のゴブリン・ボマーは、自らのスキルで生み出せる爆弾を一つにまとめたのだろう。それで前線基地を吹き飛ばして、形勢の逆転を図る。少しは頭が回るようだ。冒険者の面々はみながそう判断した。もちろん、貴大もだ。
前線基地を吹き飛ばされまいとする冒険者たち。爆弾をどうにか届けようとするオーガたち。だが、終盤となって群れのボス討伐に向けてキリング率いる主力部隊が出払っているために、前線基地にはろくな戦力が残されていない。じりじりと狭まる両者の距離。
だが、そこに援軍が現れる。
「待たせたな! あんな奴ら、オレたちに任せろ!!」
アルティ率いる小隊が、オーガ出現の報を受けて戻ってきたのだ。
勢いを取り戻した冒険者たちは、すんでのところでオーガたちの足止めに成功する。
そのまま順調にオーガを一体、また一体と倒していくアルティたち。もはや、オーガは爆弾をかかえる四体しか残されていなかった。
「ようし……離れろ! 「ポケット爆弾」で誘爆させるぞ!」
アルティの指示により、距離をとる冒険者たち。充分に離れた後、今だ重そうに爆弾を抱えるオーガたちに向かって、一斉に「ポケット爆弾」を投げつけた。
「「「ゴガアアア~~~~!!!!」」」
爆風と衝撃により、息も絶え絶えなオーガたち。もはや、自身よりも大きい爆弾は取り落としている。
いや……。
「……? 爆弾じゃ、ないのか……?」
あれだけの爆風と炎の中、爆弾と思われた箱は外装が崩れただけだった。中には、奇妙な繭のようなものが見える。
「あれは……スリープ・ワームの「眠りの繭」? なんでんなもんが……?」
「眠りの繭」。それは、レベル90の虫型モンスターが吐き出す糸によって形成される繭だ。閉じ込められた者は、強制的に「眠り3」の状態となり、何もできなくなってしまう。
とはいえ、刃にも炎にも弱く、他の者がいれば容易く救助可能ではあるが。
問題は、なぜオーガたちがそんなものを運んでいるのか、だった。
「中に……何がいるんだ……?」
地面へと落とされた繭には炎が移り、徐々に中身が露わとなっていく。そして、現れたのは……。
「まずい……! まずいぞ、あれは……!!」
貴大の体が、「繁殖期」の魔物軍団の掃討が開始されてから初めて、緊張によりピン、と強張る。
【ホークアイ】によって視界にはっきりと映る巨体。
体に絡みつく「眠りの繭」を鼻紙でも破くかのように引きちぎり、アルティたちの前に姿を現したそれは、赤黒く染まった肌を持つレベル200のユニークモンスター、「憤怒の悪鬼」であった……。
ユニークモンスター。それは、フィールドで出会う魔物の中で群を抜いて強力なものの総称である。
高くてレベル130程度のフィールドモンスターだが、時折、何らかの条件が重なったり、突然変異を起こしたりして爆発的な進化を遂げる。結果として、およそ200前後のレベルと、それに見合ったステータスを備えた怪異が誕生するのだ。
「憤怒の悪鬼」もユニークモンスターの一つであり、元は人間であった魔物だ。
強さを求めるあまり、高密度の魔素溜りに身を投じて身の容量を超えるほどの魔素を吸い込んでしまった人間の多くは「フォーリン・オーガ」と呼ばれる悪鬼と化す。この時点で、普通のオーガに比べて格段の強さを誇っている。
「憤怒の悪鬼」は、そこから更に「憤怒の神・カーリー」に目をつけられた者の末路だ。
祝福という名の呪いが与えられた「フォーリン・オーガ」は、通常の手段では解くことができないレベル5の状態異常「怒り5」に陥る。
「怒り5」は、攻撃力が50%上昇する代わりに、マグマのように噴き上がる怒りによって見境が無くなり、敵味方なく攻撃してしまうという恐ろしい状態異常だ。
現に、戒めから解き放たれた「憤怒の悪鬼」は、最も近くにいる存在である自らを運んでいたオーガたちを瞬殺した。
爆発するように魔素に還元され、「憤怒の悪鬼」に吸収されるオーガたち。渦巻く魔素の粒子の中、「憤怒の悪鬼」は冒険者たちを怒りに燃え盛る目でギラリと睨みつけた。
………………
…………
……
(な、なんでこんな時に「憤怒の悪鬼」が……!?)
オレ達が爆弾だと思っていた箱から、恐ろしい威圧感を放つ鬼が現れた。
「憤怒の悪鬼」。レベル200のうえに「怒り5」までついたユニークモンスターだ。
魔物に見慣れたオレですら硬直せざるをえない。格が圧倒的に違いすぎる。こんなもん、本当なら高レベルの親父たちが10人は集まらなくちゃ倒せない。オレの小隊と、前線基地に残った予備兵じゃ束になっても敵わないだろう。
「う、うわあああああああ~~~~~~!?!?」
前線基地として積み上げた土嚢の影やテントから、70~90程度の低レベルの冒険者たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
背中ががら空きになって、冷たい風が背筋を撫でるような感覚に身震いする。いつもなら、情けない! 魔物から逃げ出すなんてそれでも冒険者か! と怒鳴り散らすところだが、今回ばかりは仕方がないだろう。
なにせ、あの巨腕がかすっただけでも命が絶たれる恐れがあるのだ。【物理軽減】の装備で固めたオレですら、直撃すれば死は免れない。いつもは頼りになる仲間たちも、今や小鹿のようにプルプルと震えている。
「ゴガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」
「「「ヒッ!!!」」」
これが噂に聞く【怒りの咆哮】か……! 戦意がボキリと折れる音が聞こえる。もはや、相棒である「疾風の短剣」を握る手にも力が入らない。今にも取り落としそうだ。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!」
ずしり、ずしりとこちらへ歩み寄ってくる「憤怒の悪鬼」。未だ距離はあるものの、とても大きく見える。まるであの大きな口に飲みこまれたかのようだ。
「あひっ、ひっ、ひぇぁぁああああああ~~~~~!?!?」
「えっ!?」
トムソンが奇声を上げながら逃げ出した。
「お、おれも、おれもっ……!」
「やってられるかよ! 畜生っ!」
堰を切ったかのように逃げ出す小隊の仲間たち。ば、バカ、なにやってんだ!!
「お、お嬢っ!? 逃げましょう!! オレたちも逃げましょう!!!」
副隊長のリックが情けない声を上げてオレの腕を引っ張る。
「何言ってんだ!! 奴を通したら、この後ろには無防備な村しかねえんだぞ!? 親父たちが帰ってくるまでオレたちが止めるしかねえだろうが!!」
「なら、村の奴らも一緒に逃げましょう! ねっ? そうしましょうよ!?」
「んなことしたら、オレたちを追いかけて来て、逃げ足の遅いガキやジジババどもからあいつにぶっ殺されるだろうが!! それに、前線基地に置いてかれた負傷した奴らはどうすんだ!! オレたちゃ、残って戦うしかねえんだよ!!」
そんなことも分かんねえの(ゴガン!!)っ!?
「憤怒の悪鬼」は、もはや目前まで迫って来ていた
「うわあ、あああ、きた、きたきたきたぁっ!? もう駄目だ、逃げます、オレも逃げます!!」
「あっ、リック!?」
とうとうリックまで逃げ出した。普段はタカヒロとかいうだらしがない男を「ネズミ」と蔑む冒険者たちは、全員ネズミのように逃げ出した。気がつけば、ここに残っているのはオレだけだ。
「オオオオオオオオオオ!!!!」
山のように盛り上がった筋肉から蒸気を立ち上らせ、オレに狙いを定める「憤怒の悪鬼」。怖い。恐ろしい。オレも逃げてしまいたい。
だが、それは許されない。オレは、名誉ある「スカーレット」の頭目の一人娘……勇敢さをもって是とする冒険者の鑑とならなければいけない存在だ。
それが、モンスターが怖くて、怪我人や戦う力の無い者たちを放り出して逃げたとあっては、冒険者の権威は地に落ちるだろう。
何より、身を持って冒険者の生き様を教えてくれた親父や、輝ける戦歴を遺して未だ尊敬を集めるご先祖様に申し訳が立たない。
「やるしか……ねえ、か」
未だ震える手で「気つけポーション」(体の震えや強張り、朦朧となった意識を無理やり正常に保つ超苦すっぱいポーション)をポシェットから引き抜き、一気に飲み干す。
(うぐっ! マズい……!!!!)
脳天を突き抜けて、天まで飛んでいきそうな苦味と酸味……だが、おかげで震えは収まった。「疾風の短剣」も、いつも通り握れる。動かせる。
「ゴオアアアアアアアアアア!!!!」
「急かすなよ……くそっ」
こちらが一息つく間もなく、「憤怒の悪鬼」が腕を振り上げる。
集中……! 集中しろ!
「くおおおおお!!!! 【見切り】!!」
「ガアアッ!!!!!!!!」
ゴゴオォォン!!!!
大地を穿ち、土砂を巻き上げる一撃。その衝撃に、オレも吹き飛ばされる。
だが、直撃はもらっちゃあいない。
「軽装戦士」となって覚えた【緊急回避2】と【見切り】の回避系スキルに専念し、更には【素早さ上昇】が込められた「疾風の短剣」を装備している状態ならば、こんな鈍重な魔物の攻撃など直撃をもらうことは無い。
しかし……。
「ぐっ、くっ……やっぱ、無理かな……」
直撃をもらわずとも、拳が着弾した際の余波だけで体が痺れるような痛みが走る。【物理軽減】の効果をもつ「百年樹の胸当て」を身につけていてこのダメージ……流石はレベル200のモンスター、伊達じゃあない。
「うぐっ、でもよ……逃げらんねえよ……」
そうだ。ここで逃げることはできない。自らの矜持のため、後ろで怯える人たちのため。
とっておきの「ハイポーション」を一飲みし、「憤怒の悪鬼」を見据える。
「かかってこいよ……オレはまだ生きてるぜ……」
「ゴアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
「憤怒の悪鬼」が、再び拳を振り上げた。