第五話-9「これからも、末永くよろしく」
全てを光華で塗り潰したハクスイは、羽ばたきながら、ゆっくりと地上に降り立つ。ベオラの姿はもうなく、虹になったか、あるいは姿をくらましてしまったのかは定かではなかった。
だが、勝ったのだ。ハクスイは、大悪魔に。
ルルノノは瞳を潤ませた。まさか本当に、あの悪魔を消し去ってしまうだなんて。
辺りはすっかり静かになり、夕日の差し込む中学校のグラウンドで、ハクスイはルルノノに手を伸ばした。
「さあ、帰ろうぜ、ルノ、ヴィエ」
空を割り、暗雲を晴らし、虹を作り出す男は、口元を引き締めて、伊達男の笑みを浮かべた。
「みんなが待つ、俺たちのフィノーノに」
ルルノノと手と手が触れ合ったそのとき、ルルノノの身体を犯していた冥混沌は少しずつ光の粒となり、消えてゆくのだった。暖かな想いと力がなだれ込む中、ルルノノはどうしていいのかわからず、涙を流した。
「にーさん……にーさん……あたし、こんなあたしが幸せになんて、なっちゃいけないんだって思って……だから、だからね、言えなかったけど、あたしずっと、努力しているにーさんのことが、カッコイイな、って思っていたんだ……来てくれて嬉しかったのに、本当に嬉しかったのに……でも、あたしは自分を許せなくて……」
「バカ野郎」
ルルノノの手を握りながら、ハクスイはもう片方の手で彼女の髪をくしゃくしゃに撫でる。
「お前を助けた女神アマテラだって、そんなことを望んでいたわけないだろ。勝手に思いつめているんじゃねえよ」
「うん、にーさん、そう、だね……アマテラさま、言ってたよ……好きな男の子でも見つけて、幸せになりなさい、って、さ……」
「ああ」
ハクスイはヴィエにもまた、手を伸ばす。
「帰るぜ、ヴィエ」
「……うん、わかっているの」
その手を繋いだヴィエもまた、泣きじゃくるルルノノの頭を撫でた。
「るーちゃん、機奨光はみんなを幸せにすることができる力だけどね、そこにはきっと、自分も含まれていたのよ……だから、きっと、ね」
「うん……そうだと思う、ヴィエちゃん……ヴィエちゃんも、ありがとう」
落涙しながら顔をあげたルルノノは、濡れた瞳でハクスイたちを見つめる。その目には金色の輝きと、そしてハクスイの力の証である虹の光が宿って、水晶のように煌いていた。
「あたし……好きだよ、ヴィエちゃんも……だから、ヴィエちゃんのことも、傷つけたくなくて、だから……」
「うん……るーちゃん……」
こうしてルルノノは機奨光を手にし、ハクスイは再び魔天の男へと戻ってゆく。誰かの心に、その虹のような彩りを残して。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
危うく天ツ雲を墜落させるところだった事件『フィノーノの黒い日』の顛末は、後にフィノーノに“偶然駐留していた”女神アマテラの口から語られることとなった。八年前の悪魔の大襲来に発端があり、さらに言うならば、古代に悪魔へと堕ちた元大天使の名が挙げられていた。
そうして彼女は、集った記者たちにこうも語っていた。
『私がずっと表にも出ないで、子供も握らなかった理由はね、しばらくの間見守っていたかったからなのさ』
朝のニュースに写ったアマテラの姿は、病院務めの天使アマドとはまったく違っていた。虹色の衣をまとったその神々しさは、まさに女神といった風情だ。
「こりゃあ……わかんねえよな」
パンをかじりながら、ハクスイは頬杖をついてテレビを眺めている。なんというか、あの時の自分と同じように、顔つきまで変わっているような気がする。
『私の子供はね、ずっと重い病気と戦っていたから、そばにいてあげたかったんだけど……でも、もう大丈夫ってこともわかったからさ。え? 子供の名前? はは、なにを言っているのさ、きみたちは。誰がというわけじゃなくて、このフィノーノに住む天使みんなが私の子供たちだよ。当たり前じゃないか』
そこでチャイムが鳴った。ハクスイは玄関に向かう。
「お、おはよう、にーさん!」
「おはようなの、ハクスイ」
扉を開けると、ふたりの美少女が鞄を提げて並んでいた。ルルノノは頬を赤らめて、ヴィエはわずかに顔色を暗くして。
「おう、今準備終わるからさ、ちょっと待っててくれるか。ルノはわざわざ遠くから悪いな」
「だ、大丈夫だよ! だって……あたしたちほら、いちおう、付き合っているらしいし……かのじょとして……と、とうぜんだよ……!」
「あ、ああ、そうだな」
ハクスイは後頭部をかく。自分が言い出したこととは言え、気恥ずかしくてたまらなかった。機奨光が人並みになった今では、思い出して悶えることもあるぐらいだ。
ルルノノはしばらくの間は彩光使を休むようだったが、彼女の体調はもう回復していた。ハクスイが与えた機奨光が体に馴染んだのだろう。以前の彼女と今の彼女に変化は見られない。
余談だが、無断で機奨光を使用していたことと、病院に大きな穴を開けた件で六ヶ月の減給を食らったユメは、今もひとり下界で残業し、人間たちを応援しているらしい。
かたやヴィエは、表面上だけは平静を装っていた。
「早くするの、わたしだって忙しいんだから」
「へいへい」
ハクスイはゆっくりと扉を締めて、鞄を取りに自室へと戻る。
「まあ、でも……俺が決めたことだしな」
あのときの自分も今の自分も、どちらも同じ自分なのだ。
思い悩んでいたルルノノが明るく振舞っていたルルノノと同一人物のように、冷たく毒舌を吐くヴィエが可愛らしく笑うヴィエと同一人物であるように。
「だから、あのときの俺が、ふたりを幸せにしようと決めたのは……もちろん、俺自身の意思なわけで……」
言ってしまったのだから、仕方がない。
「全力で幸せにし尽くしてやるしか、ないってもんだよな」
それがどうすればいいかは、彩光使になるための勉強を続けながら、これからみんなで考えていけばいいのだ。
そして、なんでもやってみればいいのだ。それが自分のやり方なのだから。
唯一、今回の事件について、ハクスイが後悔していることがあると言えば、ひとつだけ。
「あ」
自分の部屋から出ようとしていたミズカが、ハクスイの顔を見てぴしゃりと扉を閉めた。
「……み、ミズカ」
ハクスイは心で涙を流してしまう。未だにミズカはハクスイのことをドMのヘンタイだと誤解しているのだ。これだけは簡単に解決してくれそうにはなかった。