第五話-8
「え、えええ!」
ルルノノが目を見開いて驚く。
「い、いいの!? なんで、なんでさ!」
「なぜもなにも、俺はヴィエと付き合っているわけじゃない! 幸せにするからな、ルノ」
凄まじい衝撃だったのだろう。ルルノノは我を忘れて混乱していた。
「ちょ、え、ちょっと、その、えええ! 本当にいいい!?」
「えーと……」
そのときだ。背後から聞こえてきたか細い声に、ルルノノとハクスイが振り返る。そこには背中から機奨翼を生やしたヴィエが、泣きそうな顔で立っていた。
「ヴィエちゃん!」
「ヴィエ、どうしてここに!」
「どうして、って……ハクスイが先に行っちゃうから、わたしだって、追いついてきたのに……で、でも、えと、お邪魔みたいだから、帰るから……あっ」
ヴィエの機奨光があっという間に消失してゆく。それによって飛べなくなったヴィエは、地面に座り込んだ。
「なんだか面白いことになってきたワ」
べオラはわくわくとこちらを観察している。
「やだ、なんでなの、わたし……ふたりがそんな風になって、良かったねって言うべきなのに……わたし、わたし……なんだか、体が重くなってきて……」
頬を押さえたヴィエは、半ば放心状態だった。何度も瞬きを繰り返しているうちに、その背から機奨翼の代わりに、不吉な翼が形作られてゆく。
「ヴィエちゃん……やっぱり、ヴィエちゃんも、にーさんのことが、好きだったから……」
「そうなのか!」
ふたりの少女が冥混沌に包まれて暗くなっていく。その間に挟まれたハクスイは、しかし今なお輝きを失っていない。
「よし、わかった! ルノ、ヴィエ、ふたりとも俺がまとめて面倒をみよう!」
「え?」「は?」
ハクスイは胸を叩いて、両手を広げた。
「誰かが幸せになる代わりに、誰かが不幸になるだなんて、俺はそんなは嫌だ! だったら、三人で幸せになろう! なあ、ヴィエ、ルノ!」
「え、えええ」「ええええ……」
ルルノノとヴィエだけではない。成り行きを眺めていたべオラまでもが、「ハァ?」と顔をしかめていた。
「そんなの、できるわけがないジャナイの……」
「できないできないと、最初から諦めているのはそこのお前だな! 俺たちは天使だ! 俺たちの可能性に、不可能はない!」
ハクスイが断言すると、ルルノノとヴィエは顔を見合わせる。
「ふたりで……?」「ハクスイの恋人に……?」
互いに言葉もなく口を開閉させていた。無言のやりとりが続き、その視線がさっと逸れたとき、ふたりの頬は朱色に染まっていた。
「あ、あたしは……ヴィエちゃんが、いいならそれでも……いい、けど……」
「るーちゃんがいいなら……わたしだって、別に……反対する理由は、ない、の……」
「イイの!?」
べオラが冥混沌とともに問いかけるも、ハクスイの機奨光に守られたふたりには、精神攻撃は届かなかった。
それどころか、ほわほわと桃色の機奨光が飛び交っていたりさえする。
「こ、これだから……天使ってのは、ホンットに単純バカどもの集まりなんダカラ……!」
「ふっ、ならあとは、冥混沌の元凶を打ち砕くだけだな。それが終わったら、はち切れるまで機奨光をブッ込んでやっからな、ルノ!」
ハクスイがそう叫ぶと、彼の四枚の翼が大きく羽ばたいた。
「……話の通じない男ね。これだから天使は大嫌いナノよ」
ベオラは立ち上がり、周囲に発散していた冥混沌を身にまとう。赤黒い闇は少女の背中に宿り、蝙蝠のような羽を模した。ハクスイの白い翼と対になるような、四枚の羽だ。
「言っておくけどね、私が戦わないのは面倒だからだワ。八年に一日くらい『働いても良いかな』って気になったトキは、大天使にだって引けを取らないんダカラ、後悔なさいよね」
勝ち誇った笑みを浮かべて、その小さな手にベオラは鞭を作り出す。凄まじい威力を誇る冥闇武装を前に、ハクスイは堂々と構えた。腰に差した剣を引き抜くような仕草とともに、『光の刀』を手に掴む。闇を切り裂く機奨光の一振りだ。
「大天使に勝てようが、それでてめえが俺に勝てる保証にはなんねーぜ!」
火花を散らし、互いににらみ合う大悪魔と、一介の男子高校生を見つめて、それでもルルノノはまだ悲観にくれた声を発する。
「で、でも、無理だよ、にーさん……大悪魔に、勝てるわけ、ないよ……!」
ハクスイはベオラから目を離さず、問うた。
「なら、信じろよ、ルノ」
「……え?」
彼のこれまでにない緊張感を孕んだ声色に、ルルノノは大きく瞳を開く。
「俺はルノから、どんなときにでも前向きに頑張ることを教わったんだ。今度は俺の番だ。俺が大悪魔を倒せたそのときは、俺と一緒にフィノーノに帰るんだ。いいな、ルノ。それなら、信じられるだろ、俺のやることに間違いはないってな」
「気にくわないワ、私をさも倒せるだなんて、思い込んでいる辺りがサ!」
ベオラが振るった鞭はハクスイの刀を叩き折った。ハクスイは身をかわしながら、再び光の刀を作り直す。飛翔するハクスイに、続いてベオラは左腕を前に突き出し、黒い羽を飛ばした。いや、それは羽ではない。無数のカラスであった。それも一匹一匹が本物の悪魔だ。悪魔はそれぞれ正体を現し、人使いの荒い大悪魔に文句を垂れながら、すれ違いざまにハクスイを槍で刺し、あるいはその爪やくちばしで傷つけてゆく。
「ハクスイっ!」
ヴィエがたまらず叫んだ。
「わ、わかったよ、にーさん!」
大量の悪魔についばまれて姿の見えなくなったハクスイに、ルルノノは泣きながら返事する。
「帰る、帰るから、信じるからさ! だから、死んじゃやだよ……にーさんっ!」
太陽のような輝きが弾けたのは、次の瞬間だった。
「任せとけ! 約束は守る男だぜ、俺は!」
それはルルノノの得意技『光波爆天』であった。光輝武装の一撃は、辺りを飛び回っていた悪魔という悪魔をことごとく撃ち落とし、一掃しただけでは終わらず、光鱗となってハクスイの周囲に咲き誇った。その機奨光は雨上がりの虹のように七色に煌めき、地上を照らす。その凄まじいレベルの機奨光を前に、ベオラすらたじろぐ。
「な、なんナノ……まさか、コノ、機奨光は、まさか、あの女の……!」
ベオラの羽根が細かく枝分かれし、節足のように折れ曲がりながら伸びた。数十本の鋭い羽根が、次々とハクスイを突き刺そうと迫る。だが、ハクスイは刀を振るい、あるいはその一喝による『光波爆天』の衝撃波で、近づかせることを許さない。
「くっ……まさか、また私の前に、立ちはだかるってイウの、アマテラの、血がっ」
冥闇武装による黒の鞭の結界も、飛び回るハクスイには距離が足りず、伸ばしたところで捉え切ることができない。焦りながらも、ベオラは鞭を消し、地面に両手を突っ込んだ。
「あの女に勝てなくて……私は、自暴自棄になり、なにもかもどうでも良くナッテ、悪魔に落ちたんだワ……そいつの息子に、今さら、負けてたまるモンですか……!」
ベオラの目が鮮血のような赤色に輝いた。その直後、中学校のグラウンドほどの広さに及ぶ範囲の地面が真っ黒に染まる。大悪魔ベオラ最大の冥闇武装が、放たれようとしているのだ。
「見なさい、コレがこの街に平成不況を引き起こした、私の……『拷烈混沌沼』……ッ!」
大地からマグマのように冥混沌が吹き上げた。それは上空を飛び回る全ての天使を打ち落とす破壊の咆哮であり、彩光使の一隊どころか、一天ツ雲の全彩光使をまとめて消し去ることができるような必殺の冥闇武装であった。
「にーさん……!」
天使よりもむしろ悪魔の属性に近くなっているルルノノやヴィエ、あるいは全員まとめて機奨光を奪われた彩光使隊たちはその攻撃を免れたものの、ハクスイは見事に直撃を食らう。当たり前だ、避けきれるような範囲ではない。
ルルノノとヴィエは息を止めてハクスイの行方を追う。視界を埋め尽くすような黒い霧が、徐々に晴れてゆく。そこに、一番星のような光が瞬いた。
少女たちは息を飲む。
「冥混沌による攻撃技なら、同様の量の機奨光を放出すれば、対消滅させることができるのは道理! 決着をつけるつもりが、勝負を早まったな、ベオラ!」
ところどころが黒く焦げているものの、ハクスイはほぼ無傷の状態で、飛翔していた。
「なっ……なんでっ……怠惰に怠惰を重ねた、私の冥混沌が通用しないだなんて……!」
さすがのベオラも狼狽する。あまりの大技に、一時的に冥混沌を使い切ってしまったベオラは、その場をすぐに動くことができなかった。
「努力が足りなかったな! 俺の機奨光は……無限大だぜ!」
計ったわけでもないのに、ハクスイは堂々と宣言した。どこからか拍手喝采の音が聞こえてくる。少なくとも、効果はあったようだ。ベオラは悔しそうに顔を歪ませていた。
「闇は闇に、悪魔は土に、憎しみは空に還るが良いぜ!」
ハクスイは両手に機奨光を集めてゆき、『光波爆天』の三倍以上の大きさの光球を完成させた。それはまるで、七色に光る小型の太陽のようであった。ハクスイが天に恒星を掲げると、彼の背後に浮かぶ雲が真っ二つに割れる。
「『灼奨光砲』! 虹になりやがれええええええええ!」
ハクスイが打ち出した極光は、濁流となってベオラを飲み込み、その闇をかき消す。
ベオラの絶叫が辺りに響き渡る。
残光がハクスイの手のひらと背からたなびいて、虹の粒子を放ち、冥混沌に染まった土を祓い清めてゆくのだった。