第一話-3
「じゃ、じゃあ、あたしから自己紹介するね」
場所を変えてから、彼女はそう言い直した。溢れる機奨光が彼女の肌から清光のように放たれ、輪郭がぼやけたショートカットは、近くで見るとタンポポの綿毛のように柔らかそうだ。
「あたしはルルノノ。好きなものは恋愛話で、嫌いなものは悪口。よく人からは脳天気だって言われるけれども、ちゃんと悩んでいることだってある身近な高校二年生だよ。これからよろしくね! あたしも頑張るよ!」
ハキハキとした耳心地の良い声だった。美少女というのならば、ヴィエも引けを取らないだろう。だが彼女は、それに加えて暖かな機奨光と人柄を兼ね備えているようだった。
色々と彼女に聞きたいことはあったものの――主に初対面のときの奇言について――ハクスイはとりあえず頬をかきながらつぶやく。
「……そういや、史上最年少で、彩光使になった優秀な天使がうちの学校にいるって、聞いたことがあったっけな……それが、ルルノノ……さん、だったのか」
「あたしのことはルノでいいよ! 同い年だしさ、敬語もいらないし、遠慮もしないでね!」
ルルノノは背伸びをするように、親指を突き出してくる。
「いや、しかし……」
相手はなんといっても、あの彩光使なのだ。天使たちの永遠の憧れにして、地上の平和を守る暁の兵士たち。いくら見た目が子供っぽいからといっても、自分と同列に扱うなど。
「あたしが良いって言っているんだから、良いじゃん! ね? ね?」
だが、そうまでして笑顔を押しつけられると、ハクスイはそれ以上言い返すことはできない。強弁するのはなおさら相手に失礼だろう。
ふたりは生徒指導室に移動して、向かい合って座っていた。
わずかに逡巡した後、それならば、とハクスイはルルノノに従った。
「わかった、ルノ。俺はハクスイだ。まあ、呼びやすいように呼んでくれ」
「おっけー! それじゃあ、にーさんと呼ばせてもらうね!」
ハクスイはコケかけた。
「それおかしくないか?」
「呼ばせてもらわざるをえないね!」
「なんでだよ、誰かに命令されてんのかよ」
詳しく問うも、ルルノノは意に介していない。
「シュレエル先生から頼まれてね、にーさんの機奨光を覚醒させてやってくれって! ふふっ、そのために、お手伝いをさせてもらうよ!」
「いや、その、悪いな」
「人の役に立つのが彩光使の仕事! お安い御用さ!」
張り切って、ルルノノは小さな胸を張る。可憐な容姿に反して、いちいち所作が男前だ。
「なあ、とりあえずまずひとつ聞いてもいいか?」
「なにかな! 言ってごらん言ってごらん!」
「その、さっきの更衣室前での、『ドMにしてください』って、あれなんだったんだ?」
その瞬間、彼女の身体がぴかっと光った。
「うおっ」
まるで目くらましのようだ。一瞬のフラッシュに驚いていると、ルルノノの顔が徐々に赤く染まってゆく。
「そ、それはっ……!」
なんとなく、しまったかな、とハクスイが心のなかで反省していると、ルルノノの髪からぱらぱらと蛍光がなびく。
「いっ、今は彩光使だから、あたし! か、関係のない話は、謹んでもらおうかな!」
「そ、そうか……」
頬杖をついて気難しそうな表情を演出するルルノノに、若干気圧されてしまう。どうやら、謎は謎のまま先送りにされてしまうようだ。
「……だ、だから……その話は、また、あとで……」
「ん?」
「な、なんでもないなんでもないよ! 追求しちゃだめだってば! き、気にしてたら不幸になっちゃうよ!」
不幸にはなりたくなかったので口をつぐんでいると、ルルノノは何度も繰り返しうなずいていた。
なんとか自分のペースを取り戻したらしい彼女は、ファイルを片手に口調を改める。
「そ、それでは、コホン……えー、にーさんはフィノーノ高校二年生。子供の頃から彩光使を目指していて、そのために稽古に励んできた武芸は、同じ学年に並び立つものはいないどころか、十年にひとりの逸材と言われていて……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。それ誰が書いたんだよ」
ファイルから出した内申書のようなものを読み上げるルルノノに、思わず手を伸ばす。
「え、シュレエル先生だよ」
「そうか……だったら早く短所を読み上げてくれよ……上げて落とす気か、畜生」
「べ、別にそんなつもりはなかったけど……ええと、勉学の成績も優秀、それでいて何事にも真剣に取り組んでいるため、教師からの信頼は厚い。しかし、その彼の欠点は機奨光の欠如である。彼は天使の力の源である機奨光を、入学当時から“1ポイントも持っていない”」
「……まあ、そういうわけだ」
それがどれほどに異常なことなのか、ルルノノはわかっているだろう。
「そっか、なるほどねー」
「なんか軽いな!」
「いや、機奨光がない人なんて初めてだから、ちょっとびっくりしちゃって」
「あ、ああそうなのか、驚いていたのか」
彼女は金髪の巻き毛を指でくるくると弄り出す。
「機奨光っていうのは、どの天使も持っている、不可能を可能とする能力のことだよね。それがゼロっていうのは、どういうことなんだろう?」
「俺もよくわからねえんだけど、面倒を見てもらっているお医者さんの話ではさ……“どうして生きているのかわからない”だそうだ」
「な、なるほど……」
「機奨光がない天使は飛べない。光輝武装を使えない。もっと根本的なところで言うと、天使としての体を維持できない。ただの小さな火になってしまう。……って、世の中では信じられているみたいだしな」
ハクスイの目に光沢がなく、“魔天”と噂されているのも単純な話だ。彼には機奨光が一切ないのだから。
天使が当たり前に持っているべき機奨光を瞳に映すことができないため、まさしくブラックホールの眼窩である。
「うーーーん、それはちょっと、大変なこと、だよねえ」
「ちなみに、彩光使のルノはどれくらいの機奨光があるんだ?」
知識としては、ハクスイも知っている。
ひとりの学生が出力する平均の機奨光は500ポジ前後であり、彩光使になるための条件はその二倍、1000ポジの壁を越えなければいけない。そして、数万、数十万の天使が生活する天ツ雲を空に浮かべるために必要な機奨光は、合計500万と言われている。
「あたし? あたしはこないだ計測した値は、300万だったかな」
ハクスイは噴き出した。
「……マジか」
そんな数値は、教使はおろか、教科書ですら見たことがない。彩光使としても、異常なのではないだろうか。
「まあでも……機奨光がないから身体が悪いってわけでもねえし、テストの総合評価は落ちるが、こうして高校にも通えている。今通院しているとこの病院代は、なんか中央庁の偉い人に負担してもらっているし……ただ、彩光使には、なれねえな」
そう言うと、ルルノノは真剣に考え込んでいた。
「そっか、なるほど、なるほどね……なるほど……」
ハクスイは普段通りの暗い目で、窓の外の校庭を眺める。これだけは本当にどうしようもないことなのだと、ハクスイは諦めているのだ。
「迷惑をかけて、悪いな。シュレエル先生も、手がつけられないってんで、ルノに押しつけたんだろ」
その途端だ。
「そんな言い方をしちゃだめだよ!」
笑顔ベースの表情を保っていたルルノノが目を吊り上げてピシャリと言い放ってきたので、ハクスイは少し驚いた。
「機奨光を高めたいんだよね、にーさんは。なら、あたしに任せてよ!」
「だけどな……医使だって、サジを投げそうになってんのに」
機奨光を高めることは、非常に困難だ。心や想いなどといった目に見えないものを変えるためには、性格の矯正すらも必要となる。それですら、確実とは言えないのだ。反復するだけで身につく武芸や勉強とはわけが違う。生き方が変わるようなある日突然の衝撃で跳ね上がることもあれば、その逆もある。火で形作られている天使の原動力は、あまりにも不安定なのだ。
だがルルノノは自信満々に言う。
「エンジェル大丈夫!」
「……なんだ、それ」
「あたしの中で流行っている謳い文句だよ! エンジェル大丈夫! 天使の問題なんて、ほとんどは気合で解決するんだから!」
「そ、そうか、シンプルでいいな」
ルルノノの爽快な笑顔を見ると、ハクスイですら信じてしまおうかという気になってしまう。
「……なら、頼む」
今までもさんざん向き合ってきた問題だ。もう他に頼れる人はいないのだから。
「あたしが、にーさんを立派な彩光使にしてみせるとも!」
心地良い断言であった。ルルノノは胸を叩き、それから人差し指を立てた。
「個人の機奨光を伸ばすためには、その人のことを知る必要があるのさ! そのために、にーさんがどんなときに幸せを感じるか、お聞かせ願わざるをえないね!」
「……幸せ?」
ハクスイはその言葉を初めて聞いたような顔をした。
「俺か……俺は……」
「そ、そんな深刻に考えこむようなことじゃないと思うけど!」
(……確かに、考えてみれば、悪魔を倒すことは俺の目的であって、幸せとは関係がない気がするな……幸せ、幸せか……そういや、ヴィエも確かにあんまり幸せそうじゃねえしな……)
ハクスイがなにも答えずにいると、ルルノノは熱弁を振るう。
「幸せなことあるよ! たくさんあるよ! じゃなかったら、機奨光なんてないよ! 友達のコイバナ聞いたりとか! 休日に二度寝しているときとか! 人の笑顔を見たときとか! なんでもないことが幸せに思えることが、一番の幸せだとあたしは思うんだ!」
「それは……あるかもな」
どうやら問題はその辺りにあるのかもしれないと、ハクスイは思った。
「なにをやっても幸せと思えないよりは、確かに、マシだ。ものすごく、マシだ」
「違うよ! それは違うよ! なにをやっても、って、にーさんはまだなんにも体験していないじゃないかと、言わざるをえないよ!」
「……そう、なのか?」
「なによりもまず、刺激! ふふっ、あたし良いことを思いついちゃったよ!」
ルルノノは口元に手を当てて、無防備な笑顔を覗かせた。見る人が見たら、彼女は自分に惚れていると思い込んでしまいそうな、透明感のある瑞々しい笑顔だった。
その時、どこかすぐ近くから「ワァー」という小さな喝采が響いてきた。
「な、なんだ? 誰だ? こええ」
「ああ、強い機奨光を発揮するとね、溢れた力が音や声に変化するのはよくあるんだよ」
「ま、マジかよ、当たり前のことなのか、これ……すげえな、機奨光って、すげえな……さすが彩光使だ。シュレエル先生とは違う」
ルルノノは部屋に飾られている時計を眺めて「もう三時かあ、早いほうがいいなっ」と独り言を言ってから、ハクスイに向き直る。
「あのさ、にーさんって、これから時間あるかな?」
「これからか? あ、ああ……試験はもう全部終わったし、家に帰ってからも特になにもないから、きょうは一日暇だが」
よしっ、とルルノノは指を鳴らした。他人のことだというのに、こちらまで感情が伝染してきそうなほど、喜んでくれているのがわかった。
「ふふっ、それじゃ、準備が済むまで校庭で待っていてもらえるかな! 幸せを見つけられないにーさんに、目にモノを見せてあげるよ!」
「あ、ああ……よろしく頼む」
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それからしばらくの間、ハクスイは制服のまま、授業中でがらんとした校庭で待ちぼうけをしていた。ルルノノと別れてから、もう一時間近い。忍耐強く我慢していたハクスイがしびれを切らし出していた頃だ。突如として、空から強風が吹きつけてきた。
「……ん?」
見上げれば、上空から一艇の白銀の船が降りてくるではないか。
「ありゃあ……機方舟か……?」
機方舟は彩光使の象徴だ。一対の翼の生えたその流線型の丸いフォルムは、格好良いというよりは可愛らしく、どこか白いハトを彷彿とさせるような平和的な乗り物に見えた。
授業中だというのに、校舎の窓から生徒たちが首を出して騒いでいた。校庭に立っていなければ、ハクスイもあの中に混じっていただろう。機方舟はゆっくりと校庭に降りてくる。まるで空気の抜けた風船が地面に帰って来るような、優しい着地であった。
ぷつんと翼が消えると、両手を掲げるように両側のハッチが開く。
銀色の機体の中から現れたのは、衣装をチェンジしたルルノノだった。学校の制服ではなくなっていたルルノノの格好は、テレビや写真でしか見たことがなかった彩光使としての正装であった。金と銀の飾り糸が丁寧に縫いつけられた、真っ白な外套だ。
「にーさん、ちょっと時間がかかっちゃったね! ごめんね、ごめんね!」