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第五話-5

 

  

 積み上げてきたものを容易く壊そうとしてしまったヴィエのいる階段を飛び降り、絶望に凍りついた心で動けずにいるシュレエルの横を駆け抜けた。ハクスイは全速力で自宅へと急ぐ。



 この不動の奇蹟核に凄まじい衝撃を与えられる人物は、ひとりしか思い浮かばなかった。



 ハクスイは自宅のドアを勢いよく開く。出て行ったときと同じように、リビングのソファーに腰掛けて、テレビを見ているミズカがいた。ハクスイはその華奢な肩を掴む。


「ミズカ!」

「な、なに? お、おかえり、でも、ど、どうしたの? その大声」

 唯一無二というのなら、この弟以外にはありえないはずだ。戸惑うミズカに、ハクスイは金槌を叩きつけるような勢いで頼む。


「俺を罵倒してくれ!」

「え、え、え」

「なんでもいい、俺に暴言をぶつけてくれ! とにかく強く! 思いっきり!」

「そ、そんなこと言われても」

 柳眉を曇らせて当惑するミズカの可愛さが、今だけはたまらなくもどかしかった。


「さあ、早く! 時間が無いんだ!」

「え、ええー……」

 ミズカはしばらく悩んでいたが、ハクスイが本気だということに気づくと、「それなら……」と生唾を飲み込んだ。斜めに視線を転じながら、ぼそぼそとつぶやいた。


「お、おにいちゃんの……ばか」

 カーンと奇蹟核を殴られたようだった。ハクスイは胸に手を当ててうずくまる。

「た、確かに、衝撃的だ……」

 余す所なく愛でてしまいたい衝動を押さえながらも、「……そうじゃないんだ」と拳を握る。


「違うんだ! そういうことじゃないんだ! ミズカ、そっちの方向じゃないんだよ!」

「おにいちゃんの、おたんこなすっ!」

「違う! 可愛いぞ! 畜生!」

 ハクスイはミズカの肩をさらに強く掴んで、揺さぶった。必死の勢いで怒鳴る。


「もっと、心に突き刺さるような罵倒を、してくれ! 一生立ち直れないような、胸が張り裂けるような! なあ、俺のこと嫌いだろ! 嫌いって言ってくれよ!」

「そ、そんなことないよ! おにいちゃんのこと大好きだよ! そんなこと言えないよ!」

「その優しさが今だけは憎い……!」


 一から十まで説明してしまおうかと思ったが、ハクスイはすぐにその考えを打ち消す。それがどんなに危険なことかを言ってしまったら、ミズカの協力は仰げなくなってしまう予感がしたのだ。ハクスイは頭から湯気が吹き出しそうな勢いで打開策を模索する。人から嫌われるためにはどうすればいいのか。

 急に黙り込んだ兄をミズカは不思議そうに眺めていた。


 その直後、ハクスイは「そうだ……」と思いついてしまった。

「……ちょっと想像しただけでも、凄まじく恐ろしいが……ミズカ、俺は、頑張るからな」

「え、な、なにが」

「少しの間、ここで待っててくれ」


 悲痛な決意を秘めた表情で、ハクスイは歩いてゆく。なにかを得るために、なにかを失う覚悟を持って、自室に向かう。押し入れを開いて、中にあるダンボールを持ち上げたときには、戦慄すら覚えた。これからの己の行いを思い、目の前が真っ暗になる。それでも、やり遂げなければいけないのだと自分に言い聞かせて、ハクスイはリビングに戻ってくる。


「待たせたな……ミズカ……」

「どうしたのおにいちゃん、すごく顔色が悪いけれど……足元も、ふらついているし……」

「……それよりもな、俺はずっと、ミズカに隠していたことがあってな……見てくれ」


 ハクスイはリビングのテーブルの上に、ダンボールをどっかりと乗せる。それをのぞき込んだミズカの端正な顔が、さすがにひきつった。

「え、な、なに、これ?」

 なんというか、いたいけな少女に下卑た雑誌を見せつけているような背徳感に、奇蹟核がキリキリと痛みながらも、ハクスイは外面だけは臆面もなく堂々と芝居を始めた。


「俺が集めた、いかがわしいものの数々だ!」

 そんなものは見たくないとばかりに目を瞑ったミズカの顔は、すでに赤かった。今まで兄弟でそんな話をしたことは一度もないのだから、気まずさもピークだ。

 しかしハクスイは目的のために、ミズカの無垢な心をあえて蹂躙する。いつかこのときの理由を笑って話せるような未来を描きながら、ミズカなら許してくれると信じて演技する。


「ミズカ、よく聞け、俺は実は、ドMなんだ」

「……ど、どえむ……って……?」

「そうだ、人に虐められることが嬉しくて、それでいつも虐められたくて虐められたくて、たまらない男なんだ。それこそが幸せ。それの快感なんだ。俺はアブノーマルなんだ」

「そんな、おにいちゃんがそんな……で、でもそれって、なにか理由が……?」


 ミズカはふるふると首を振る。すがりつくような視線を、ハクスイは手を払って吹き飛ばす。方向性を定めたハクスイは、もう迷わない。明日への道を、全力で疾駆する。

 それは言うなれば、『本気の芝居で奇蹟核を砕こう! 兄弟一組ですぐできるシチュエーション集! 大人気、家族の絆崩壊シリーズ2010年度版!』を演じている気分だった。


「証拠はここにある! どうだ、使った跡もあるぞ! 部屋でこっそりとな!」

「な、なにかの、じょうだん、だよね……あれ、きょう、エイプリルフールとかじゃ、ないなあ……ど、どうしたんだろう……あ、ごはんのしたくしなきゃ」

 逃避しようとするミズカの肩を掴んで、無理矢理に振り向かせる。血走った目で頼み込む。


「俺は大真面目だ。今まで我慢に我慢を重ねていたが、もう限界だ。ミズカ、俺はお前がいいんだ。俺を思いっきり罵ってくれ。さあ、本当の俺を、力の限り! 罵ってくれ!」

 目を回すミズカの眼前に、手錠を突きつけ、ぶらぶらと揺らす。徐々にミズカの焦点が定まってくると、その瞳は急激に潤んでいった。これが夢ではないのだと思い知ったのだろう。


「お、おにいちゃん……正直に言うと……ちょっと、その……き、きもちわるい、かな……」

 胸から背中にかけてフォークを突き刺されるような激痛が走った。ハクスイは途端にしゃがみ込む。むせそうになりながらも顔を上げて、壮絶な表情を保ったまま親指を立てた。


「も、もっとだ! もっと、もっと、もっと言ってくれ!」

「い、いやだよ、おにいちゃん……ちょ、ちょっと、やだ、さわらないでねっ!」

 その言葉よりもなによりも、嘘をつけないミズカのその、本気で引いている表情が痛かった。思わず息が荒げる。あまりの辛苦に、慟哭してしまいそうだ。ハクスイは頭を力づくでもがれたような痛みにのたうちまわり、それでもなお、手錠を右の手首に巻きつけた。


「ああ、いいぞ……いい、すごく、いい……きもちいい……ハァ、ハァ……ほら、ミズカ、俺の手に、手錠をはめてくれ……」

 腕を突き出すと、ミズカは下唇を噛みながら両手に手錠をかけてくれた。優しい子だ。


「こんなの、ぼくのしっているおにいちゃんじゃない……へ、ヘンタイ……ヘンタイだ……」

「ああ、ヘンタイだ。だが、夢のためのヘンタイなのだ……!」

 両手首に手錠を枷られたハクスイは、唇の端を血がにじむほど噛み締めて、心痛に耐える。


「まだだ、まだまだだ……これくらいじゃ、奥の扉は開かないんだ……!」

「そ、そんなディープな世界に、ぼくをまきこまないでよっ」

「もっとだ、ミズカ、もっとくれ……もっと、俺に、俺に火種をくれえ!」

「さいていっ! ヘンタイっ! きもちわるいっ! ばかっ!」


「うおおおおおおお!」

 蔑みの視線に貫かれながら、ハクスイは悶えた。なにかに目覚めてしまいそうな気がしたが、それは恐らく錯覚だ。ミズカは己の憤りをぶつけるためにか、ヒートアップしながら叫ぶ。


「おにいちゃんのヘンタイっ! ドMっ! みっともないよ! 母さんに顔向けできないっ! 相手がぼくだなんて、誰だっていいんだねっ! 最低っ! 今まで、そんな目でぼくを見ていたなんてっ! ヴィエおねえちゃんの部屋に家出するから、一生顔を見せないでっ!」

「あああああああああああ」


 心で滝のような涙を流しながら受け止めたミズカの一言一言は、ハクスイの生命を確かに追い込んでいった。奇蹟核ははちきれそうなほど脈打ち、死の寸前にまで追い込まれた身体を守るため、大量の機奨光を血管にブチ込んで、注いでゆく。ハクスイの身体は、かつてないほどの熱に包まれた。耐えきれなくなり、叫ぶ。極光の粒が全身から立ち上り、部屋を真っ白に塗り潰した。


 立ち尽くすミズカの前で、ハクスイは変貌してゆく。


 真っ暗だった視界が、急激に開けたのは、次の瞬間だった。激しい機奨光の輝きが落ち着き、ハクスイの背中に翼の形として収まった。やがてそれは、ハクスイが拳を握るとともに、幻のようにかき消えた。だが、ハクスイの放つ機奨光の力強さは、残り続けている。

 成功したのか? と、己に尋ねることは、もうハクスイはしなかった。


「成功したに、決まっている!」

 断言するとともに、ハクスイの背で謎の花吹雪が舞った。機奨光によるそれは、きらきらと輝きながら消えてゆく。実に清々しい気分であった。


「まるで、家のドアを開けたら外一面に野花が咲き誇り、満天の星々が輝いていたような……ああ、なんて爽快な気分なんだ」

 ハクスイの目に炎が宿る。その髪が尖り、よれよれの制服までもアイロンでもかけられたかのように真新しくなっていた。もう誰も彼をネガティブとは呼ばないだろう。


「お、おにいちゃん……? な、なんなの……?」

 ハクスイは日輪のような輝きをまとっていた。完全体のハクスイは、呆気にとられていたミズカに猛る瞳で告げる。


「ミズカ……俺は行く!」

 何度も瞬きを繰り返しながら、兄の変調を心配するミズカは、尋ねた。

「ど、どこにいくの? おにいちゃん」


 ハクスイが口元を引き締めてミズカを見ると、今度はカメラのフラッシュのような光が、その背に走った。溢れ出す機奨光が、彼をさらに輝かせているのだ。


 ハクスイは己の手を拘束する手錠を見て、にやりと笑った。

「俺は……ハクスイ。大事な友を助けに行くのさ!」

 雄叫びとともに、ハクスイは手錠を引きちぎる。

 

 

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