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第四話-7

 

 

 下界近くを舐めるように機方舟が飛び回っていたときだ。地上の道端で喧嘩している少年と少女が見えて、「ん……ありゃ……」とハクスイは思わずつぶやいてしまった。


 気を取り直して、ハクスイは機方舟の中に立てかけられていた樫の棒を掴む。握りを確かめていると、なぜだかヴィエが怒ったような顔で指を突きつけてきた。


「って、ハクスイ! あ、あなた光輝武装じゃないじゃないの!」

「あ? ああ、まあな。俺は未だにほとんど機奨光ねえし」

「そ、そんなので、悪魔と戦うの? 本当に? 平気なの?」

「なんとかなるんじゃね? 悪魔に石投げたときも効いてたしな」

「い、石って……ハクスイの前向きさが、変な方向に向かっているの……」


 呆れられてしまった。そのとき、機方舟が急速に速度を落とした。目的地に到着したらしく、機方舟は上空でホバリングしていた。。やけに明るい声の女性のアナウンスが流れる。


『さあみなさん! 頑張って、悪魔を最後の一兵まで! 根絶やしにしてしまいましょう!』

 だがやはり、我先にと飛び立つものはいない。誰もが緊張している上に、下方には大勢の悪魔の姿が見えていた。そんな行き場のない空気を物ともせず、ハクスイはヴィエに問いかけた。


「ヴィエ、お前は翼出せたっけか」

「う、浮くくらいしかできないけど」

「時間もねえし、十分だ」

 ハクスイはヴィエの手を掴んで、機方舟から飛び降りる。辺りがざわめき、ヴィエが叫んだ。


「き、きゃああああああ」

「頼んだぞ、ヴィエ」

「ちょ、ちょっと、あの、えっ、やだ、もう!」


 ヴィエが39ポジの機奨光を放出し、幼児の持つような小さな翼を生やして、顔を真っ赤にしながら一生懸命羽ばたく。ハクスイはその細い足を掴みながら、彼女にぶら下がっていた。

「ぜ、絶対、う、上を、み、見ないでよ!」

「あ、ああ? ああ、なんだ、パンツか。別にいいよ、昔から見慣れてたろ」

「な、なんでそういうこと、言うの! だ、だめだって言ったのに! ハクスイのばか!」

 その瞬間、ヴィエの翼が消失し、ふたりは自然落下した。これにはハクスイも狼狽する。


「ちょ、なんで機奨光なくなるんだよ!」

「だ、だって! なんだパンツか、なんて言うから! 興味なさそうだから!」

「いやあ、ヴィエの下着が見れてすっげー幸せだなー、心がポカポカしてくるなあ、なんて言えるかっ! その褒め言葉は優しさじゃないだろ!」

 ハクスイは地面が近づいてきてパニックに陥るヴィエを脇に担いで、身体を平行に保つよう態勢を整える。


 丁度良い位置を飛んでいた悪魔の頭を踏みつけて、跳んだ。

「グェッ」

 浮雲を乗り継ぐように、ハクスイは次々と悪魔を踏みつけて衝撃を緩和しながら跳躍する。

「ゲェッ!」「ギャ!」「ギョエッ!」


 そうしてついに大地に着地した途端だ。機方舟から歓声が降ってきた。クラスメイトたちも見守っていてくれたのだろう。見事な身のこなしを披露したハクスイは構えるが、持っているのが樫の棒なので、悪魔たちも相手が一体何者なのか戸惑っているようだ。


「よし、なんとかなったな」

「あ、悪魔が……」

「ああ、たくさんいるな、ヴィエ。倒しがいがあるだろ……だけど、ルノはここにゃいねえのか。やれやれ、奥に行くしかねえみたいだな」

 ハクスイの大胆なダイブにより、学友たちも勇気をもらったようで、次々と機方舟から降りてくる。しかし、抜け目ないカラスの一言がまたしても状況を変えた。


「こいつら、彩光使じゃねえぞ! 学生だ!」

 その叫びに、悪魔たちは互いに顔を見合わせ、欣喜の声を上げた。

「学生か!」「高校生?」「学生だと!」「マジだ、学生か!」

「なんだ、クズの集まりじゃねえか! 震えてやがるぞ! ギャッ、ギャッ!」


 初の実戦にこの先制攻撃は効いた。学生は顔を見合わせて、最初の一歩を踏み出すことができなくなった。膠着状態は悪魔に有利以外のなにものでもない。悪魔たちは好き放題に叫ぶ。


「てめーらなんて一生彩光使になれねえよ! 明日を諦めろ! 夢を諦めろ!」「いきなりやってきて上手くいくとでも思ったのか! バーカ! そんなの物語の中の話だけなんだよ! バーカバーカ!」「それ見たことか!」「痛い目に遭いたくなければさっさと消えろ! 彩光使が負けたのに、ガキが勝てるかよ! それとも刺しまくられたいか! ヒャッヒャ!」


 おろおろと学生たちは左右を見回す。一度でも「そうかもしれない」と思ってしまえば、もはや悪魔の思うつぼだ。目眩を覚えて、ヴィエは口元を手で押さえた。

「これじゃ……あのときと、同じ、なの……」


 夜の公園で悪魔に取り囲まれている自分たちは、あの暗闇の体育館に避難していた八年前の自分たちと変わらなかった。嫌な考えが頭の中をかき乱す。ヴィエの機奨光はヒビ割れてしまいそうだった。恐怖がヴィエの視界を狭めて、耳を聞こえなくしたその時、光を持たない天使が歩み出た。幼いときから、彼は誰よりも頼りになった天使だ。


「うるせえ!」

 ハクスイは一喝した。その直後、悪魔たちの罵声がぴたりと止む。

「黙って聞いてりゃ、てめーらはどんだけ偉いんだよ。人のやることをバカにする資格があるってのか、ああ? 悪魔風情が、なめた口聞いてんじゃねえよ!」


 その不遜な態度に、「なんだあいつは?」と悪魔たちがざわめきだす中、ただひとり、「あ、あいつは……あのときの……」と震える悪魔がいた。彼は以前、ルルノノと初めて地上に降りたときに石を投げつけられた悪魔だった。


「最初から諦めることしかできないように作られたお前たちとはな、こいつは違うんだ」

 ハクスイは樫の棒を肩に担ぎ、ドスの効いた声で悪魔たちを威嚇する。

「辛くても、それでも克服しようと無理して頑張っているやつなんだよ。このヴィエはな」

「ふぇっ!」

 唐突に振られた話題に、ヴィエは銀髪を逆立たせて驚く。そんな彼女の腕を引いて、ハクスイはヴィエを悪魔の目に晒す。


「お前ら悪魔がどんだけ騒ごうがな、ヴィエは気にしねえよ。ムダなあがきだぜ。ピーチクパーチクさえずる暇があったら、武術の腕を磨くんだったな。今さら遅えけどな、な、ヴィエ」

「は、ハクスイ……」

「ここまで頑張ったら、あともう少し頑張ってみりゃいいだろ。あとは戦うだけだぜ。相手をぶっ壊すのは、お前の一番の得意技だろうが」


 ヴィエの腕を引き寄せてそう告げるハクスイの姿に、ひとりの生徒が、「愛だ……」とつぶやく。少し遅れて、拍手が鳴った。それは少しずつ数を増し、いつしか学生たちは、「愛の力だ!」やら、「なんだか知らないが感動した!」とか、「恋って素晴らしいわ!」だとか、勝手なことを口走りながら手を叩いていた。


「やっ、ちがっ、そんな、は、ハクスイっ」

 周囲の雰囲気に流されてなんだかわからないテンションになっていたヴィエが、頬を紅潮させながら近くにあるハクスイの顔を見上げると、彼は静かにうなずいた。

「あるだけ出してやれよ、お前の機奨光」


 悪魔たちは、「愛だと……?」と、親の説教を受けた反抗期の子供のような嫌そうな顔をして、なぜだかとてつもなく怯んだ様子だった。

「は、ハクスイ……や、やってみるけど、笑っちゃ、だめだからね」

「笑わねーよ」


 ヴィエはゆっくりと目を閉じて、手のひらに暖かな白光を浮かべる。体中からかき集めた機奨光を右手に形取る。やがてそれは、彩光使のものとは比べ物にならない程度のほのかな蛍光を明滅させながら、非常に刀身の短いナイフに変わった。『光の刃』とでも言うのだろうか。ヴィエはハクスイを肩越しに振り向いて、視線を漂わせながら、つぶやく。


「こ、これくらい、だけど……」

「上出来だろ」

 ヴィエの勇気をあざ笑い、「なんだそのおそまつな装備は!」と叫ぶ悪魔たちを尻目に、ハクスイは堂々と彼女の代わりに胸を張った。


「俺の武器を見ろよ。棒だぞ。こいつに比べて、どれだけ頼りになると思ってんだ」

 その言い草に、ヴィエは一瞬ぽかんとした表情をしてから、噴き出した。

「なにそれ、やっぱりハクスイだって、不安に思っているんじゃないの」


 ヴィエは口元を緩めながら、悪魔に向き直る。彼女は理解した。あの時とはもう違う。違うのは、自分だ。今の自分には戦う力がある。そして、頼れる学友たちがいて、ハクスイと肩を並べている。こんな絶好の機会にくじけているのは、損だ。


「あとはわたし次第ってことなのね……いいの、あのときみたいに、子供じゃないんだから」

 ヴィエは光の短剣を顔の横に掲げ、放つ。


 投げつけた刃は、「あいつだ! あいつだ!」と叫んでいた悪魔の喉元に吸い込まれるようにして刺さった。それは決して裏切らない鍛錬の成果だ。急所に短剣を生やした悪魔は、嘘のようにあっけなく霧散した。学生が歓声を上げ、悪魔がどよめき、ハクスイは当たり前のような顔をしていて、ヴィエはきょとんと目を丸くした。


「……なによ、これ。あっけなさすぎじゃないの?」

「ほら、なんとかなるもんだろ、ヴィエ」


 ハクスイの言葉は、無責任で、気楽な無謀さであった。そこでヴィエは思う。八年前のハクスイの行動は決して勇気などではなく、もしかしたら、やってみたらできただけのことだったのかもしれない、と。ただそれだけのことだったのだろうかと思えば、一気に心が軽くなった。


「そうね、ハクスイ。こんなに簡単なテストなのに、わたしはちょっと、勉強をしすぎちゃったのかもしれないの」


 くすりと微笑むその瞳に、徐々に光が戻ってゆく。ヴィエの手に集まった機奨光がその瞬間、形を変えて成長した。ナイフのようだった光輝武装はヴィエの身長よりも長く伸び、槍へと変貌した。それはヴィエの最も得意な武器であった。ヴィエはその変化をも容易く受け入れる。


「これが、悪魔なのね。なによ、人のこと、ずっと、ずっと驚かして」

 彼女の背から生えた一対の翼が大きく羽ばたく。ヴィエは飛んだ。悪魔の集まっていた輪の中央に降り立つと、彼女は八年間内に秘めた機奨光を容赦なく発散しながら、槍を振り回した。


 まるでルルノノのような武芸に、悪魔の何匹かが千切れて風に撒かれていった。

 その直後、鬨の声が上がった。それが開戦の合図であった。悪魔たちは散り散りに宙に浮かび、こちらをめがけてフォークスピアを振り下ろしてきた。学生たちもまた、ヴィエに続こうとそれぞれ光輝武装を持ち、鬨の声をあげながら悪魔に立ち向かってゆく。

 

 

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