第四話-3
空気が重い。
なぜだか、ルルノノはヴィエの前で正座をしていた。
テーブルの上には、わざわざヴィエが並べ直した様々な器具が山盛りになっている。手錠やらギャグボールやら縄やらフックやらクリップやら。ヴィエはその半分の用途もわからないようであった。
(……参ったな……)
ヴィエもルルノノも間合いを計っているようで、口を開こうとはしない。色々な思いが胸中に去来しているのだろう。特に率先して嘘を並べていたハクスイがなにを言っても、爆弾を投げ入れてしまうような気がしていた。
「あ、あの…………」
先ほどから革の手枷を手で弄んでいたヴィエが、ようやく口を開いた。
「ハクスイと、るーちゃんって……そういう関係、なの……?」
勇気を振り絞った言葉であったのだろう。それがどういう関係かわからなかったが、ハクスイは断定しながら首を振った。
「違う」
「ち、違う、って……でも、これ、こういうのって……」
今まで知らなかった世界の扉を開けてしまったような顔で理解しかねているヴィエに、ハクスイはひとつもやましいことはないとばかりに、胸を張る。
「なにを考えているかはわからないが、お前が思っているようなことはひとつもないんだ」
「でも……」
「人には事情ってモンがあるんだよ。誰にも足を踏み入れられたくない場所がよ」
「そ、それって、わたしに対しても、なの……? どうして、ハクスイ……」
食い下がるヴィエは悲しそうな顔をしていたが、ハクスイは取り合わない。ハクスイはルルノノとの秘密を守る方が大事だと思ったのだ。
ルルノノは自分をかばい続けてくれているハクスイの決意を聞きながら、俯き、スカートの裾をぎゅっと握り締める。
「そう、なのね……ハクスイ、やっぱり、るーちゃんのこと……」
「――ごめんね! ヴィエちゃん!」
その時だ。ルルノノはまるで土下座するような勢いで、頭を下げた。
「あたしがにーさんに頼んじゃったんだ! 最初は本当ににーさんの機奨光を高めようと思ってやってもらってたことなんだけど……なんだかそのうちに、あたしが多分、楽しくなってきちゃって……」
「おい、ルノ――」
「――だからさ、ごめんね、ヴィエちゃん! あたしが変な勘違いさせちゃって!」
「るーちゃん……」
「にーさんはヴィエちゃんにお返しするからさ! お互い、大切にね! 一番大事なのは、思いやりの心なんだから、だから、立派な彩光使になれるように、あたしも陰ながら応援しているからさ!」
「どうしたんだよ、ルノ」
「だから、もう、今日限りってことでね! もう、おしまい、おしまいにするからね!」
「お前……急にそんな、なに勝手なこと言っているんだよ……つか、もしかして、さっきの芝居の内容を勘違いしているんじゃないだろうな?」
「勘違いしているわけじゃないよ。でも、勘違いしていたのは、あたしだったんだと思う」
「ああ? 意味わからないぞ」
「あの、わたし……」
ふたりが言い合うのを、ヴィエは不安げな様子で眺めている。そんな彼女にも、ルルノノは笑みを向ける。
「応援しているからね、ヴィエちゃん!」
「う、うん……るーちゃん……?」
「ルノ、待てって!」
立ち上がった彼女の腕を掴もうとハクスイは手を伸ばすが、それよりも早くルルノノは踵を返していた。
「もう大丈夫だから! これからの放課後は、ヴィエちゃんとお幸せにね! じゃあね、今までホントにありがとう! だから、バイバイー!」
口早に告げて、ルルノノは部屋を出た。
ハクスイはその場に置き去りにされて、苛立ちを隠せなかった。
「なんだよ、あれ……」
「……ハクスイ、やっぱりこれって、わたしのせいで……」
ヴィエは哀切を表情に張り付かせていた。自分が迷惑をかけてしまったと思っているのだろう。
「……きっかけはそうだったのかもしれねえけど、だからって話もしないで出ていくなんてこと、ないだろ」
「……ごめん、なの」
「ヴィエが謝ることじゃねえよ、どう考えたって」
ミズカがやってきて、「カレー出来たよー」と告げてくるまで、ふたりは部屋で黙り込んでいた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「おい、ルノ」
「ギクッ」
放課後の廊下で後ろから呼び止められたルルノノは、立ち止まって振り返ってくる。
「あ、に、にーさん! ひ、久しぶり!」
ルルノノがハクスイと距離を置いてから、少しの日が経っていた。
「久しぶりじゃないだろ……シュレエル先生から聞いたんだぜ」
「え、なにがかな!」
「彩光使が最近多忙だってんで、俺の更正活動は後回しになったってさ。だからしょっちゅう下界に降りていたんだな。悪魔のせいか?」
「あ、あーなんだ、そっちの話か……うん、それならうん、そうだよと頷かざるをえないよ」
「大変だな。どっか怪我とかはしてないか?」
「ううん、平気だよ! にーさんに鍛えてもらったおかげで、あたしはもうすっかり心がエンジェル強くなったからさ。えへへ、悪魔なんて一網打尽だよ」
「そりゃ良かった」
以前と変わらない笑顔を見て、ハクスイはほっとした息をつく。
「じゃあ、俺への頼みごとの調教生活は、本当に終わりか」
「あ、うん……そうだね、ごめんね」
「なんで謝るんだよ」
「あのときはちょっと混乱してて、部屋を飛び出しちゃったから」
ルルノノは視線を伏せる。
「ごめんね、にーさん。今までしてもらった分も含めて、あとで今度またお礼をするからさ」
「別にそんなの、俺だって貴重な体験をたくさんさせてもらったし」
「そ、そお? じゃあほら、ヴィエちゃんでも誘って、一緒にご飯でもまた……」
「あのさ、ルノ」
「な、なに?」
「こないだからなんか、やたらヴィエにこだわってないか?」
「え!」
ハクスイが疑問の目を向けると、ルルノノがハッとして顔をあげる。
「そ、そんなことないよ! あるわけないよ! あったことなんてないよ!」
「いや全然わからないが、なんでそんなに気になるんだ?」
「あっ、ご、ごめん! あたしちょっと、今からまた下界に降りなきゃいけないからさ! もうお話している暇なくなっちゃうんだ! また今度ね、にーさん!」
「あ、ああ……そうか、忙しいんだな」
手を振りながら全力で廊下を駆け出すルルノノに、ハクスイは二の句を継げなかった。
その背を見送ってから、ハクスイは独り言をつぶやく。
「なんかもう本当に、ただの学生と彩光使、って構図に戻っちまったな」
おかげでドSを繕う必要もなくなった。
しかしわずかな寂寥感のようなものを感じてから、ハクスイは思い出す。
「いけね、俺もシュレエル先生に呼び出されているんだった」