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第四話-1

 

 

 授業が終わるとともに、他クラスからやってきた美少女が、彼の机に小走りで寄ってゆく。清廉な香りを漂わせて、周囲の生徒たちの目を釘付けにする彼女は、どんな男でも虜になってしまうような笑顔とともに、手を挙げた。


「やあ、にーさん、下校の時間だよ! 疾風怒涛の勢いで帰るよ!」

 シュレエルの再三の願いにより、授業だけは他クラスで受けることになったルルノノだ。


 彼女を握った女神は、『慈愛と成長の大地』アルテナノ。実にフィノーノの四分の一もの天使を生み出した、最も力ある古参の女神のひとりだ。それだけ多くの姉妹分、兄弟分がいるという事実は、彼女の才能が生まれで与えられたものではないということを裏付ける結果となる。


 ルルノノの機奨光を浴びると、まるで陽だまりの中にいるような心地良い気持ちになれる。天使であれば等しく彼女のことを好きにならずにはいられないだろう。ヴィエは、それが悔しいとか、悲しいだとか、そういった思いはなかった。代わりに、どうしてだか、自分に対して腹立だしく、もどかしく感じることはあった。まるでひとりだけ置いてけぼりにされているような気分だった。


「きょうもにーさんちに行くんだからね! 勉強はちゃんと集中して行わないとね!」

「任務大丈夫なのか? 最近、出動多いみたいじゃねえか」

「うん大丈夫! 今のところは呼び出されてないから、ほら、いっぱい勉強、勉強ができるよ! 勉強だからね! それ以外のやましいことは一切ないと言わざるをえないからね!」

「わかったわかった。お前は誰に弁明しているんだ……」


 ハクスイが鞄を肩にかけたところで、クラスに大きな音が響いた。

 ヴィエは知らず知らずのうちに、手のひらを机に叩きつけていたのだ。

 思わずハッとして我に返るが、もう遅い。ハクスイたちの注目を集めてしまっていた。追い詰められたような気持ちで、ヴィエはつぶやく。


「わ、わたしも……」

「あん?」

 いつも無表情なハクスイが、やはり感情の機微の薄い顔で尋ね返してくる。ヴィエは顔が赤くなっていくことを自覚しながらも、声を搾り出す。


「きょ、きょうは、わたしも、一緒に行くの」


 ハクスイとルルノノが揃って同じ顔をした。戸惑っているような困っているような、そんな微妙な表情だ。それが妙に気に障って、ヴィエは語尾を荒らげる。

「機奨光の勉強でしょ! そ、それなら、たまにはわたしが一緒でも良いでしょっ。大体、こないだはハクスイがわたしの機奨光の勉強を一緒にやってもいいか、って聞いてきたんだから、それならわたしがそっちに加わってお互い様じゃないのっ」


「ま、まあなあ」

「ど、どうしよっか」


 ふたりの曖昧な態度を見ても、ヴィエはキレなかった。逃げ出さずに辛抱強く耐えて、ふんぞり返り、胸に手を当てながら言い切った。

「だ、だってわたしも、るーちゃんの講義を受けてみたいんだもの。良いでしょ、いっつもひとりでお勉強ばっかりして、つまんないんだから……ね、早く行くのよ。もしかして、それとも」

 ヴィエは流し目を送り、先に進みながら、ふふ、と冗談めかして笑ってみせる。


「とても人に見せられないようなことを、ふたりで隠れてこっそりとやっているのかしら」

 ぶっ、とハクスイとルルノノが同時に吹き出した。振り返ったヴィエは怪訝そうな顔で、眉根を寄せるのであった。



 

 ~~



 

 雲と雲を繋ぐ橋を渡りながら、三人でハクスイ宅へと帰っている最中に、パン屋からひとりの女の子が出てくる。清楚可憐の四文字熟語を、世界最高峰の画家が擬人化させたような黒髪の少女は、紙袋を抱えるように持っていた。肩に届く髪が、風に揺られて爽やかになびく。


 タンクトップに長い白のズボンを履いた少女の背には、まるでかつて地上に栄えた王国の古い町並みが広がっているような、そんな錯覚を覚えさせるほどの美貌の持ち主であった。彼女の立つ一角だけが、スポットライトを浴びたように輝いている。


「ふぇー……」

 その少女を見つめながら、ルルノノが感嘆のため息をついた。

「あんな可愛い女の子が、フィノーノにいたんだねえ……」

 うっとりとした声で、ルルノノは頬を上気させながらつぶやく。


「えーと」

 ヴィエは頬をかく。

「うん、まあ」

 ハクスイも似たような反応をしていた。


 小さな天使はこちらを見つけると、バラのつぼみが花開くような笑顔で手を振ってきた。

「おにいちゃん、ヴィエおねえちゃん、今から帰りですかぁー」


 ルルノノが疑問符を頭に浮かべてこちらを向いてくるので、紹介してやった。

「あれがミズカだよ」

「え、か、可愛い――ッ! って、あ、え?」


 叫んだルルノノが、なにかに気づいたようにその表情を曇らせる。こちらにやってきたミズカ天使の、その花のような高潔な笑みが光を放つ。礼儀正しく頭を下げ、そのたおやかな見た目とは裏腹な凛々しく高い声で告げてくる。


「初めまして、いつも兄がお世話になっています。――弟の――、ミズカです」

 悪意のないサギに、ハクスイとヴィエはやれやれと首を振ることしかできそうもない。


 ルルノノはぽかんと口を半開きにして、忘我の表情でハクスイとミズカを見比べる。

「はい?」


 疑問符を浮かべながら小首をかしげるミズカ。『彼』をじーっと見つめているルルノノに、天ツ雲を揺らすような声で叫ぶ元気が復活するのはそれから少しの後。

「――う、うそぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 きょとんと目を丸くするミズカの隣で、そのリアクションには納得するしかないハクスイとヴィエであった。

 

 

 

 ~~

 

 


「ミズカちゃんも今帰りなの?」

「はい、お夕食のおかずを買ってきたところなんですよ」

 道すがら、ヴィエがミズカにニコニコと微笑みを振りまいている間に、ハクスイは呆然としているルルノノの肩を掴み、振り向かせる。

「ルノ……!」

 声を抑えて怒鳴ると、ルルノノは現実感のない事実に戸惑っているようだ。


「み、ミズカちゃん、すごいね、かわいいねえ……」

「バカ野郎、ンなこと言っている場合じゃねえ、ミズカの話は後でたっぷりしてやっから、今は帰れ」

「え、ど、どうして?」

「どうしてじゃねえよ……お前は彩光使に呼び出されたってことにしておくからよ、俺の部屋を片付けておいてくれ……迂闊だったぜ……あれ、出かけてきたまんまなんだよ……!」

「あっ」


 そこでようやくルルノノは部屋の惨状に気づいてくれたようだ。本日もハクスイに許可を取って朝から家にやってきたルルノノと、小一時間程度“特訓”をしていたのだ。

 ルルノノは何度も大きくうなずく。さよならの挨拶もなしに急遽転進し、砂煙を巻き上げるような勢いで、一目散に駆け出した。その背に、ハクスイはわざとらしく大きく手を振る。


「気をつけてなー!」

 そこでヴィエたちも気づいたようで、彼女らは向き直って尋ねてくる。

「あら、るーちゃんどうしたの?」

「ああ、いや、あいつ彩光使の仕事入っちまったみたいでさ、急いで行かなきゃいけないんだとよ。制服はスカートだから機奨翼で飛んでいけなくて面倒だって言ってたぜ」

「あら、そう、なの……」

「まあな、でもまた次の機会があるだろ、ヴィエ」

「うん、でも、やっぱり、忙しいでしょうし……残念だったの」

 どさくさに紛れてヴィエがミズカの頭を撫でようとした。その手をハクスイが叩く。


「むやみに触んなよ」

「わたしとミズカちゃんは仲良しだから良いんだもの。ね、ミズカちゃん」

 にこりと笑うヴィエに対して、兄からの視線を気にしながらも、ミズカは苦笑する。

「ぼくはヴィエおねえちゃんに撫でられるの、いやじゃないよ」

「ほおら」

「俺が嫌なんだよ」

「……わがまま」

 半眼のヴィエを相手にもしないハクスイ。


「ミズカは宝石のような美しい心を持っているんだから、お前がベタベタ指紋つけるんじゃねえよ」

「こういうお兄ちゃんを持つって、どういう気分なの? ミズカちゃん」

「しあわせだよ。えへへ、おにいちゃん優しいし、かっこいいし」


 ミズカの写真を配れば、人間の世界は平和になるのではないかと思えるような笑顔だった。ハクスイはミズカの手を取る。ヴィエにとっては、それがいたいけな美少女中学生をさらおうとしている犯罪者のようにも見えてしまっていた。

 

  

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