第三話-5
休日明けの翌週、職員室前の壁には、期末試験の八教科の合計点数の順位が、内訳も含めて貼り出されていた。八教科とはすなわち、武道、光輝武装、機奨光、それに国語数学理科、人間学、天使学である。
テストの順位表の前に、ハクスイはいた。生徒でごった返している昼休みだ。
ハクスイの点数は非常に尖っている。武道は満点、光輝武装、並びに機奨光は0点、そして勉強は上位だ。合計点としては、かろうじて平均点を上回っていてくれた。
(しっかし、とても彩光使採用試験に合格できるような点数じゃ、ねえよなあ)
せめて機奨光こそまともであったらと思ってしまう。
一番上に光り輝いている名前を見つけてしまったからというわけではないが、まさに次元が違う。学年一位、ルルノノ。その点数は二位に80点差以上をつけた、795点である。
「信じられねえなあ、なあルノ」
「えっ、あっ」
いつのまにか隣にやってきたルルノノに話しかけると、彼女はぱたぱたと両手を振る。
「でも今回は、むしろ、にーさんに負けちゃったからさ」
「いや全然負けてないだろ? どこかがだ?」
ふたりが話しているのを見つけてか、ヴィエがやってきて肩を竦める。
「ハクスイは、もう、なにもわかってないのね……わかっていないのも、わかっていないの……どうしてそこまでわかってないのか、わたしにもわからないの……」
「どうしたんだ、ヴィエ。なんかお前、きょうはいつにも増して暗くないか?」
「気のせいなの。シュレエル先生、言ってたのよ。今回はハクスイとわたしが全員抜きを果たしたから、武術の点数は全員、他クラスの子も、基準からマイナス五点されてるってね」
「あ? じゃあ、これ、795点って、そのせいか?」
ヴィエは絆創膏の貼ってある額を隠すように押さえながら、ぶっきらぼうにうなずく。
「そりゃあ……なんか、悪いことしたかな」
「ううん、むしろあたしだって、機奨光頼りじゃなくて、もっと純粋に武術の腕を学ばなきゃいけないって思うから、良い薬だよ!」
ルルノノはどこまでも前向きだ。だがその視線が、ふいに斜め下に落ちた。
「で、でね、にーさん、あの、その……」
人通りの多い職員室前で、ルルノノはこっそりとハクスイの袖を引く。偶然それを見たヴィエが、戸惑ったような顔で目を逸らした。
「あの、だから、その……あ、……“アレ”……だってばっ」
「ああ、アレの時間か、しゃあねえな」
ハクスイは腕を回しながらかったるそうに歩を進めると、ほんのりと顔を赤らめたルルノノがその後ろを小走りでついてゆく。
その行く先を目で追いながら、ヴィエは頬に手を当ててつぶやいた。
「……なんだか最近、いっつも一緒にいないかしら……あのふたり……」
思わず口に出してしまってから、誰かに聞かれなかったかと思い、ヴィエは辺りを見回して、恥ずかしくなった。
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女子トイレの前で壁に寄りかかって待っていると、ルルノノが手をハンカチで拭きながらおとなしく出てくる。やってくるや否や、彼女は釈然としない顔で訴えてきた。
「あ、あのさ、にーさん、あのさ……ちょ、ちょっと疑問なんだけどさ」
「ん?」
「…………ど、どうして、トイレに行くのに、にーさんの許可が、必要なのかな?」
ハクスイは斜め上を見上げて、少しの沈黙の後に、告げる。
「……お前とは、もう、ここまでか」
「ちょ、にーさん、嘘だって、違うっ、文句とかじゃなくて、純粋な疑問でさっ!」
「ん、ああ、なんだ、そうなのか。でも、ここじゃちょっとなんだな……」
制服のシャツを引っ張ってくるルルノノを振りほどき、ハクスイは辺りを眺めた。人気が少ないとはいえ、昼休みだ。生徒が通りかからないとも限らない。
「どっか誰も来ないとこ、ねえかな」
「あ、じゃあ、えっと、ここらへんだったら」
と言ってやってきたのは、以前もルルノノと立ち入ったことがある生徒指導室だった。カギをかけてカーテンを締め切ってしまえば、外から見られる心配はなさそうである。
「お昼休みに、使われることなんて、ないもんね」
「なるほどな。んで、さっきの質問だけどな、あれは学校でやるから意味があるんだ」
椅子を引っ張ってきて座るハクスイの前で、ルルノノは地べたに正座をする。とりあえず形から入るという意味で、ふたりで考えた取り決めのひとつだ。
「だ、だって、恥ずかしいだけじゃん……いっつもにーさんのこと、探さなきゃいけないし……見つけても、にーさん、あたしがはっきり言うまで、わかってくれないしっ……」
「んー、だからさ、その、常に恥ずかしいってのが、ポイントなんだよな」
若干頬を膨らませているルルノノの頭に手を置いて、ハクスイは語る。
「悪魔だって、仲間の真ん前で悪口を言ってくるわけだろ? 胸がないだとか、いっつもエロイことばっかり考えている、だとかさ」
「か、か、考えてないし!」
「いやだからさ、仲間に聞かれたら恥ずかしいことだっていっぱいあるじゃねえか。そういうエグるような悪口をな、普段から恥ずかしい思いをして慣れておけば、みんなに聞かれても平然と構えていられるってわけだよ。俺の前だけは平気になったって、仕方ないだろ?」
「……に、にーさん、ちゃんと考えてるんだね」
「当たり前だよ。最強の彩光使の命を預かってんだからな……」
胸元で手を組んで急に尊敬の眼差しを向けてくるルルノノに、ハクスイは首を振る。ことの重大さがわかっていないのは、ルルノノのほうだ。
「だからな、悪魔に言われることなんて気にならないくらい、ものすごい恥ずかしいことを抱え込むんだよ。もしお前が、俺の許可がなければトイレに行けないどころか、俺の目の前じゃないと用を足せない女になったとしよう」
「絶対にならないと言わざるをえないよぉ!」
「いいから黙って聞け。そんな女が悪魔に無乳だとか、脳天気だとか言われても、気になるわけないだろ? “なに幼稚なこと言っているの?” ってなるんだよ」
「な、なるのかな……そういう人の気持ちは、わからないと言わざるをえないな……」
「なる。だからお前は、ものすさまじく恥ずかしいことを経験しなきゃいけないんだ。だから、めいっぱい楽しめ、ルノ」
「た、楽しめって、言われても……トイレを我慢するのを、楽しむの……?」
「ほら、エンジェルエンジェル言えよ。楽しむのは、得意だろ?」
「ものによるよ!」
「いいか、ルノ。お前はヘンタイになるんだ」
「ならないってば!」
「ただのヘンタイじゃないぞ。夢のためのヘンタイだ」
「そ、そんな心惹かれるような言い方をしたところで、あたしが前向きになると思ったら大間違いだと言わざるをえないよ!」
「まあ、立ちはだかる壁にどんなモチベーションで挑むのかは、お前次第だけどな。できれば楽しいと思えるほうがいいんじゃねえかと、考えているんだけどさ」
「そ、それは……ありがたい、けど……」
俯くルルノノに、ハクスイは「気にするな」と手を振る。
「お前は努力に努力を重ねた機奨光の天才なのかもしれねえけどさ、それでもできることからやってこうぜ。徐々に進んでいけばいいんだからさ」
「にーさん……」
その気遣いにルルノノが感謝の念を抱きながら微笑み、自らの頬に手を当てて身体をくねらせる。そんな彼女にハクスイは、新たな試練を突きつける。
「じゃあ俺の言う後に続いて、復唱しろよ?」
「え、なに? そういうのよくやっているよ彩光使でも! オッケー、任せといて!」
「“わたしはヘンタイです”」
「うわあああ、そういうこと! いきなり直球だね!」
「ほら、ルノ、言え」
ハクスイの冷めた視線に、ルルノノは身体を震わせながら、俯いて、搾るような声を出す。
「うううううううう~~………………あ、あたしは、ヘンタイ、です……」
その背に、うっすらと白い翼が浮かんで見えた。今の段階では、彼女は間違いなく喜んでいる。真っ赤な顔をしたルルノノに、ハクスイは恥辱責めをしてゆく。
「“学校の昼休みに、ご主人様に虐められて悦んでいるヘンタイです”」
「が、学校のお昼休みに、ご主人様にいじめられて、悦んでいる……へ、んたい、です……」
ルルノノがぷるぷると震える。その頭から湯気が立ち上っているようにも見えた。
「“悪魔を倒すためにドMになれるよう頑張りますから、これからも可愛がってください”」
「……う、うう……」
「ルノ」
「あ、悪魔を、倒すために、どえむになれるように、頑張ります、から、から……から……」
金色の髪から、水蒸気爆発が巻き起こるように、一層の煙が立ちのぼった。
「そ、それは無理……それは、それは、それは……い、言えないいいいいい~~~……!」
ルルノノはゆっくりと後ろに倒れてゆく。ばたりと床に寝っ転がったまま、ぴくぴくと痙攣をし出す。
「うう~~……あたしはだめだあ、もう、だめだめだああ~~……」
ネガティブルルノノの再臨に、それすらも慣れてきたハクスイは部屋の時計を見上げた。
「ま、こんなところだろ」
昼休み終了のチャイムが鳴る。ルルノノの回復には、まだ少しの時間がかかりそうであった。