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第一話-1

 

 

 

「あ、あたしを、どうかドMにしてくださいーっ!」

 

 

 声の残響がしばらく廊下に残り、ハクスイは口をぽかんと開けたまま聞き返した。


「……は?」

 

 

 

 

 ぷるぷると小動物のように震えながら、拳をぎゅっと握って俯いていた美少女は、弾かれたように顔をあげる。白い綺麗な肌は、ピンク色に染まっていた。

 ハクスイと少女の視線が交錯する。彼女は両手を前に出したり、頬に当てたり、髪をくしゃくしゃといじったりしてから、大きく首を振った。

「やっ、ちがっ! そっちじゃない! こっ、心の声が漏れちゃったっ!」

 心の声?

 追求したかったが、やぶ蛇になりそうだったのでハクスイは黙ったまま彼女が落ち着くのを待つ。できれば早く用件を言って立ち去ってほしかったのだが。

「だ、だからもうっ!」

 すると、彼女の周囲がキラキラと輝き出す。全身から燐光を放ち出した彼女は、まるで地上に降りてきた彗星のようだった。

 

「か、かっこよかったよーっ!」

 

 叫ぶと同時に、彼女は反転して走り去ってゆく。それはあっという間のことだった。



「……本当に、なんだったんだ……?」


 一学期、期末試験最終日。

 とりあえずそれが、ハクスイと彼女の唐突な出会いであった。




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 

 この世界には、天使がいる。

 微笑む赤ん坊のそばに。親とはぐれて泣きじゃくる幼子の隣に。雲の切れ間から差し込む光の中に。家族に看取られてこの世を去る老人の枕元に。天使たちはそっと訪れて、一枚の金貨の代わりに、祝福を授けてゆく。

 彼らは決して伝説の中の存在ではない。


 空に浮かぶ雲の世界、天ツ雲エルティパには、今でもたくさんの天使たちが暮らしている。神に仕える彼らは人を見守り、育み、そのあり方を正しく導こうとする人類の守護者たちであった。

 

 彩光使セラフィ――


 それは天使の中でも、ヒトと関わりながら生きてゆくための険しき道を選択した者たちである。

 光輝なる者。天使の中の天使たちの名称。彼らこそが悪魔を打ち倒し、人類を守る神の尖兵たちだ。華々しき栄光と熾烈な戦い。光と闇の狭間で己が身を危険に晒しながらも立ち向かう彼ら彩光使こそ、古来より人類に「天使」と崇められてきた者たちなのだ。

 

 天使として生まれたからには、彩光使を目指す。それはある意味とてつもなく純粋で、優しい想いの形であった。


 そんな彩光使という夢を追う者が、ここにもまたひとり。

大襲来アリギエーリ”を乗り越え、その両眼に深い宿命を秘めた若者である。だが彼は未だ自らの生まれの価値に気づかず、胸の火に“願い”の焚き木をくべることができずにいた。


 彼の名はハクスイ。

 今はまだ、ただの少年である。




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




(一体なんだったんだろうな……)


 まぶたの裏に、少女の機奨光が焼きついていた。なにを間違ったのかはわからないが、あれほどの美少女に「ドMにしてください」と懇願されたときの衝撃はしばらく忘れられないだろうと思う。


 ハクスイが制服に着替えて廊下に出ると、そこにはヴィエが待っていた。

 フィノーノ高校の制服は、清楚な水色と白のチェック柄のスカート、それに真っ白なブラウスという組み合わせだが、ヴィエが着ると女性的な色香が感じられた。ただ俯きながら、けだるそうに廊下の壁に寄りかかっているだけなのに、まるで絵画のように映えている。


 ハクスイはつまらなそうに俯いていた彼女に声をかける。

「誰か待ってんのか、ヴィエ」

「……ハクスイをよ……ひとりで怒られたくないもの」

「揃ってたら二倍叱られるような気もするが……」


 ふたりは再び揃って廊下を歩き出す。

「友達が言っていたんだけど……実技の授業で全員抜きを果たしたのって、フィノーノ高校の長い歴史でも、前代未聞で……だから、つまり、ハクスイとわたししかいないっていうの」

「へえ、俺たちすごいことしたんだな」


「常識的ではないっていうことじゃないの……? 他の人に点数とか、つけにくくなっちゃうのよ。だから、謝ったほうが良いと思うんだけど……」

「それは……まあ、悪いことしたかもな」


 本日の試験全科目が無事終了し、賑わい出す校内においても、ハクスイとヴィエが並んで歩く姿を見た生徒たちは、次々と道を譲ってゆく。ヴィエのあまりの美しさに気圧されて、とかそういうわけではない。皆が避けているのは、“魔天”のハクスイの方だった。


 学園一の美女とも呼び声の高いヴィエが、なぜそんなハクスイとまともに付き合っていられるのかとというと、それは単に幼馴染だからという以外にも理由があった。それはともかくとして、足を進めていた彼女は人目のなくなってきた辺りで、唐突に回れ右をした。


「やっぱり、帰るの……」

「なんでだよ」

 ハクスイはすかさずヴィエの手首を掴む。


「だって、悪い知らせに決まっているもの」

「そりゃそうだろうけど、度合いがあるだろ。聞いてみなきゃわからねえよ」

「退学かもしれないの……」

「武術の授業でベストを尽くしただけで、なんで退学にさせられるんだ……」


 ハクスイとの差は、頭半個分もないだろう。女性にしては長身である。特に、頭の小ささと足の長さが、彼女の容姿のバランス感を非常に美しいものとしていた。胸の小ささも、そのモデル体型により、同性にはむしろ美点として見られるだろう。目を伏せると、水晶のように切れ長な蒼い瞳が、光に反射してきらきらと輝いていた。

 彼女の中身を知らない生徒たちの中には、バージンスノウのような透き通る肌を持つヴィエに、憧れの眼差しを向ける男女も少なくはない。


 だが、ヴィエはハクスイが呆れるほどに、凄まじく後ろ向きな性格をしていたのだ。彼女の澄ました表情はとうに剥がれ、童女のような素顔が見え隠れし出した。


「もしかしたら、死刑かもしれないの……!」

「天使の国、天ツエルティパに死刑制度はないぞ」

「わたしにだけ、適応されるかもしれないの……」

「俺が言うのもなんだが、悲観的もほどがあるぞ、ヴィエ」


 すると、こういった場面では決まってヴィエの声は震え出すのだ。

「ハクスイひとりで聞いてくれぇばいいのっ、わらしはおうち帰るものっ」

「待て待て待て待て」


 ハクスイの制止もやむなく、完全にテンパって舌足らずになったヴィエは、全力で逃げてゆく。そんな彼女を、ハクスイもまた必死の形相で追いかけて捕まえる。


「手間取らせんじゃねえ!」

「ら~~~~め~~~~~~!」

 捕獲後、ハクスイは泣き叫ぶヴィエの腕を掴み、無理矢理引きずってゆく。そういった光景もまた、ハクスイの『噂』を助長するものに違いなかった。


 ヴィエの癖は、幼少のときからまったく変わっていない。彼女は少し焦ると、すぐに口が回らなくなるのだ。誰にも見せない美女の破綻も、ハクスイはもう慣れたものだ。ヴィエを引きずったまま職員室へと続く廊下を進む。



「はいはい、ハクスイ、入ります」

 そうして職員室のドアをノックをした途端である。ヴィエはなにやらジャンパーのファスナーを引き上げるように、シュッと外見を取り繕った。


「……失礼しますの」

 見事に美女の皮をかぶり直し、ヴィエは会釈しながら入室する。その徹底した自身のイメージ戦略の見事さに、小さなため息をつきながら、「ちす」とハクスイもあとに続いた。

 

 

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