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第三話-1

 

 ドM契約を結んでから、翌週の休日である。ハクスイは住宅地を離れて、フィノーノ中心街にやってきていた。目的地は、フィノーノで最も大きな総合病院である。

 

 

 三十分ほど検査を受けてきた後で、機奨光内科の診察室に通されたハクスイを待っていたのは、スーツの上から白衣を身につけた黒髪の女医であった。彼女とは長い付き合いだ。女医はハクスイに気づくと、椅子を回して向きを調節し、軽く手を挙げて女っ気の薄い挨拶をしてきた。


「やあ、少年、久しぶりさ」

 誰かを想像させるような爽やかな笑みを浮かべる彼女は、アマド。ハクスイの主治医だ。

「どうも先生、いつもすみません」


 彼女はまだ若く、学生を終えたばかりのようにも思えた。物腰が落ち着いてくれば、それに伴って容姿も大人びてゆく天使にとって、外見年齢とはすなわち精神年齢に値する。そういった視点で眺めると、女医は爽快な印象もあいまって、とても子供っぽく思えた。身長こそは長身のヴィエに並ぶであろうが、笑うと大きな瞳が線になるような様が非常に愛らしかった。

 編んだ黒髪を頭の後ろでアップにしたアマドは、資料に目を落としながら、長い脚を組み替える。彼女が浮かべた笑みは、つぼみも花咲くような可憐なものだった。


「相変わらずかい? 少年」

「ええ、まあ」

 Tシャツにジーパン姿のハクスイの前で、アマドは先ほどの検査の結果を読み上げる。


「んーと……やはり、体調に異常は見受けられない。心身ともに健康そのもの……まあ、これはいいことなんだけどね。でも、まだ症状は不明、原因も不明。きみの“無光病”は、大きくなってくれば自然に回復すると思っていたんだけどさねえ……」


 先例も類型もなかったため、とりあえずハクスイに付けられた病名、それが無光病であった。名付けたのは、八年前の当時からハクスイを担当していたアマドである。


 アマドはしばしカルテを目でなぞった後に、あっけらかんと話を変えた。

「こないだね、久々に天ツ雲・グランレープシスに戻ってさ、奇蹟核ポプラに関する新しい論文が発表されたからって、学会に参加してきたんだけどさ」

「はあ」


 グランレープシスとは、天ツ雲の中でももっとも栄えている、いわば首都のような場所だ。原初の天使を生み出したとされている、父神の住まう天ツ雲である。


「機奨光がゼロなのに生き続けている天使は、論理的には存在していないってことが、とうとうと語られていたよ。私はなにも言わなかったけどさね、少年はこの世の理論ではどうも、なかなかに存在しにくい状態のようだよ」

「まるで早く死ぬのが正しいって言われているみたいだ……」

 ひとつやふたつの冗談で傷つくような関係ではなかったが、さすがに首を傾げてしまう。


 アマドはまるで陽だまりに寝そべる老猫のように、穏やかに目を細めて笑ってみせた。

「ま、焦らずにやっていこうさ。医学も日々進歩しているから。はっは、のんびりのんびり」

「……ンなこと言いながら、先生だって、奇蹟核とか機奨光について、新たな説が出るたびに、あちこち飛び回っているじゃないですか」

 ハクスイがそう返すと、アマドはカルテで顔の下半分を隠しながら、視線を斜め下に向けた。

「……べ、別に、少年のために頑張って勉強しているわけじゃないんだからねっ」

「いや、いいっすから、そういうの。いちいち茶化さないでも、感謝してますから」 

「むむ、素直にそう言われたら、恥ずかしいじゃないか」

 演技を止めてから、素のアマドはわずかに頬を染めてそっぽを向く。



 医使たちの話では、アマドはフィノーノにいるのがおかしいくらいの、優れた学者なのだという。そんな彼女がこの病院に居続けている理由を、ハクスイは知らない。まさか自分のためだと思い込むほど、ハクスイは自惚れてはいない。



 そんな彼女がまたふざけないように、ハクスイは真面目に尋ねた。

「そもそも、機奨光ってなんなんすかね」

「機奨光かあ。なかなか奥深い質問をするさね、少年。それを解き明かしたときには、グランレープシスから銅像を作ってもらえると思うさ」

「別にそんな高尚な答えを求めているわけじゃなくてですね」

「機奨光は人間と天使を分ける能力さ」

「え?」


「翼も光輝武装も、奇跡だってそうさ。全て天使だけのものだろう? 機奨光を持たない天使は、ほとんど人間と変わらないだろうさ。ただし、少年も知っている通り、人間は泥で作られているから勝手に死ぬことはないさね。それに対し、天使は不安定な火というエネルギーで作られている。燃え尽きちゃえばなにもなくなっておしまいさよ? だからこそ機奨光でその存在を固めておけるのさ」

「……まあ、どれだけ俺が不安定な命かってのは、自覚しているつもりですが」

 なんだか怖くなってくる。


「しかし現に、少年のように命を繋ぎ止める機奨光がゼロでも生きている天使がいるからこそ、奇蹟核っていう新たな概念が生み出されたんだけどね」

「それの研究が進めば、俺の無光病の治療法が見つかるかもしれないんすよね」

「理論ではね。今のところは研究しようと思っても、手も触れられない、目にも見えない、はっは、お手上げなのさ」

「それが専門家の言うことっすか……?」

「はっは、今だけはひとりの女性として、少年と話しているからね」

「頼みますから、俺の前では医使として話してください」


 なにやらカルテに記入していたアマドが、ぽつりとつぶやく。

「しかし、少年を産んだ女神様も、心配しているだろうにねえ」

「……そう、なんすかね」

「そりゃそうさよ。私だったら心配するからさ」

「アマド先生は女神じゃないでしょうし……あ、でも変わったことと言えば、一個だけ」

 一応報告をしようと思って、ハクスイはルルノノの顔を思い浮かべながらさらりと語る。

「俺、こないだ計ったら、機奨光が2ポジになってたんすよ」



 その瞬間だった。がたがたがた、と椅子を蹴り飛ばしてアマドが立ち上がっていた。その表情は、驚きに目を見張っている。ハクスイはアマドのそんな動揺した表情を初めて見た。



「ま、まさかそんな! ホントかい!」

「は、はい、マジです」

「ど、どうやって回復したのさ? え、なにがあったの? ちょ、ちょっと先生に話してみ」

「えーと……うちのの学校に史上最年少彩光使がいて、ですね」


 アマドの勢いに押されながらも、それは大事なことなのだろうと思い、ハクスイはルルノノと知り合った過程から昨日の話までを丁寧に説明する。


「ははあ、なるほどねえ……彩光使さんと地上にいったりね……なるほど、なるほど、なるほど……うん、私もちょっとその子のことを調べてみようかな」

「調べるって、なにをですか?」

 アマドはそう意識せずに女医としての雰囲気をまとい出す。


「色々と、さ。私はね、奇蹟核ってのは天使の心なんじゃないかと思っているんだよ。だったら非常に繊細だろう? 少年が彩光使に特別な感情を持っているから機奨光が生まれたのかもしれないし、他に原因があるのかもしれない。だからね、色んな可能性を検証しないといけないのさ。これはどうやらちょっと、やることができて、むしろ嬉しいくらいだね」


 アマドは嬉々として語り、それからイタズラっぽい視線を向けてくる。

「そういえばさ、手っ取り早く機奨光を復活させる手段もあるんだけどね、これはオススメできないけど、一応聞いてみる?」

「じゃあ、聞いてみるだけ」

 知識は無駄にはならない。それも本当は有識者なアマドの言葉だったらなおさらだ。


「ええと、それはね……心がとても耐えきれないほどの衝撃を受けることなんだよ。奇蹟核の中にある機奨光は無限だ。だから生命の危機に瀕した奇蹟核が、びっくりして今までにない量の機奨光を吐き出すだろう、っていうのは、私の理論なんだけどさ」

 得意げに言ったアマドに、ハクスイは半眼を向ける。

「教えてもらったことがある気がします、けど……それ、下手したら死ぬって昔、言ってましたよね」

「はっは、機奨光がないくせに奇蹟核まで潰れたら、そら完全に死ぬってば」

「……」

 

 

 ルルノノやヴィエと違って、どこまでが本気でどこまでが嘘かわからない。それこそが年の功であろうかと、ハクスイは言葉には出さず思っていた。

 

 

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