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第二話-7「そして始まるふたりの物語」

 

「きょうは数カ月ぶりの大きな交戦でしたからねー、中央庁に行って、報告書を提出しなければいけないのが、ええもう、本当に面倒で面倒で……うふふ……」などと笑っていたユメと別れて、ハクスイとルルノノは場所を移す。

 昨晩と同様に――本日も、ハクスイの家である。


 

 途中、本屋に寄ってからハクスイの家にやってきたルルノノは、部屋に来るやいなや紙袋を差し出してくる。低頭である。

「こ、こちらをお納めください、にーさん!」

「……」


 それは『はじめてのSM』と書かれたマニュアル本だった。一体天使の国のどこにそんな需要があったのかは知らないが、女子高生が簡単に入手できるのは問題ではないだろうか、などと思いつつ、受け取る。


「……なんだこれは」

「あ、あたしたちには、きっと役立つはずでしょ!?」

「まあ、そうだな……」

 教本はあったほうがいい。料理にも何事にも。なんとかして自分を納得させると、ハクスイは本をぱらぱらとめくった。

 かなり過激な内容が多かった、というか。

(むしろ、“ソレ”向けの本じゃねえのか、これ……)

 なんというかこう、倦怠期を迎えたカップルが手を出してしまった劇薬のような、そんな匂いを感じた。


 ちらりとルルノノを見やる。彼女は緊張している素振りを見せながらも、不安げではないようだった。その態度から、絶対に中身を見ていない、とハクスイは確信する。


「……さ、参考にはさせてもらう」

 せっかくのルルノノの好意を無駄にするわけにはいかず、ハクスイはそう言って横に置く。

「えっ、ちゃんと読んでよ、にーさん!」

「わ、わかったわかった、お前が帰ったあとでじっくり読むって」

「どうして今すぐじゃだめなの? なんでもほら、思い立ったが吉日なんだよ! きょうやれることは、きょうやらなきゃ!」

 拳を握りながらテーブルを乗り越えて接近してくるルルノノに、ハクスイは本をかばいながら怒鳴る。

「ちょ、ちょっと待て、こっち来るんじゃねえ!」

「いいからいいから、じゃあ一緒に読もうって――」


 伸ばしてきた右手を払いのけると、その勢いが強すぎてしまったようだ。ルルノノはテーブルの上でバランスを崩す。その向かう先は、ハクスイ。


「ちょ、お前、」

「わ、ひゃあ!」


 フィノーノ一位の彩光使が怪我でもしたら大変なことになる。ハクスイは全身を使って倒れてきたルルノノをかばう。柔らかな身体に押し倒される形となり、したたかに後頭部を打ってしまった。


「いつつ……」

「わ、わ、ご、ごめんなさい、にーさん!」

 胸元から顔を覗き込んでくるルルノノ。金色の髪が揺れて、ハクスイの鼻孔にひまわりのような香りを落とす。思わず、どきりとしてしまった。

「いや、大丈夫だ……意外と、その、思っていたよりは意外と重くなかった」

「も、もう! せっかく心配してたのに!」


 頬を膨らませるルルノノの視線が、倒れたハクスイの右上辺りで固定されていた。寝転がりながらも、顔をそちらに向けると。


『はじめてのSM』の、開いたページがあらわになっていた。

 

 手や足をベルトのような拘束具で縛られた女性が、全裸であられもないポーズをしているような、そんな。



 ぼんっ、と音がした。冷や汗を浮かべながら見れば、ルルノノの頭の上から機奨光の蒸気を噴き出していた。トマトと変わりない顔色の彼女はそのまま、録画したビデオを逆回しするような動きで、元の位置へと戻ってゆく。



 再び、テーブルを挟んでハクスイとルルノノ。

 ハクスイは後頭部に手を当てながら、壁を向いてつぶやく。


「……だから、言わんこっちゃねえ……」

「……す、スイマセン……」

 なぜだか正座をしたまま肩を竦めるルルノノ。そのまま小さくなって消えてしまいそうな声であった。


 どうしよう。ものすごく空気が重い。

「うーむ」とハクスイがマニュアルをぺらぺらとめくっていると、ルルノノが慌てて両手を広げながら努めて明るい声をあげた。


「あ、あのさっ!」

「ど、どうした?」

 視線を合わせると、頬を赤らめて一瞬だけ硬直するルルノノ。彼女は少しずつ目を背けながら、言葉を紡ぐ。

「に、にーさんとヴィエちゃんって、どんな関係かな、って!」

「え? いや、えーっと……」

 ハクスイ自身はあまり『悪い雰囲気』などに影響を受けるタチではないが、それでもルルノノが居づらそうにしていたため、それに乗っかることにした。


 言葉を選びながら、告げる。

「つか、まあ……どんな関係って、言われてもな、ただの友達ってわけじゃあねえけど……本当に、腐れ縁なんだよ。俺が覚えている限りは、悪魔の大襲来――フィノーノの危機、以来の、かね」

「“大襲来アリギエーリ”……」

 それは、ハクスイの世代の天使ならば誰もが覚えている大事件の名前だった。


「八年前の事件だな。あんときさ、フィノーノまで根性で悪魔が登ってきただろ? まあそこで、俺たちのいた小学校が悪魔に襲われてさ、それまでは一緒のクラスだってことも知らなかったんだが、ヴィエがすっげー覚えててな。以来、なにかあったら付きまとってくるし、そばをうろちょろしてきてさ。あいつ、外面とか顔は良いくせに、泣き虫だったり悲観的だったりするからよ、なんか放っておけねえんだよな」


 ルルノノは何か言いたげに口を開閉していたが、結局言葉が思い浮かばなかったようだ。

「だから、言ってしまえば友達ってより、ヴィエは手のかかる妹みたいなもんだな。すっげーたまには可愛いと思うときもあるけど、ほとんどは憎たらしい限りだぜ。つーか、お前も、おかしなことを聞くよな、俺とヴィエの関係なんて」

「な、なにを言うのさっ」


 ルルノノは頬を赤く染めながら、堂々と両手を広げて宣言する。

「コイバナが嫌いな天使なんていないんだよ!」

「そ、そうなのか?」

「うん! 機奨光の半分はね、恋愛でできているんだからね!」

「初耳だ……でも、俺とヴィエは全然そんなんじゃねえから、期待に添えなくて悪いな。あっちだって俺のこと、気を使わなくて良い楽な相手、ぐらいにしか思ってねえだろ」


「……にーさんはそう思ってても、ヴィエちゃんの方は、どうかな……」

「ん? なんか言ったか?」

「う、ううん! で、でもさ、ほら! まだまだ上を目指すっていう意味では、まだまだ人の恋愛に積極的に首を突っ込んで行かなきゃいけないからさっ」

「ド迷惑だなオイ……つかこれ以上、一体なにになるつもりなんだ、お前は」


 ハクスイは改めてルルノノを眺める。凄まじく顔が良く、運動神経も抜群で、天ツ雲を浮かべるほどの機奨光を持ち、最年少で彩光使試験に合格。さらに性格も明るく社交的。常に回りには笑顔が絶えず、誰からも愛される。


 ハクスイから見たら、彼女は誰よりも完璧な天使だ。他人が羨むべきであろう何もかもを持っている。だが――

「……まあ、でもお前も、人知れず悩んでいるんだもんな」

「う、うん……な、なんか恥ずかしいな」

 所在無さげに髪を指でいじるルルノノ。


 

 なんとなく、きょうは「このままSMを」というムードというわけではなくなったような気がする。



「とりあえず、疲れちまったしさ。俺も考えてみるから、きょうはお開きってことで、どうかね」

「あ、うん……に、にーさんがそう言うなら……」

 残念そうではあるものの、うなずくルルノノ。

「俺は俺で色々考えてみるからさ」

 今後の方針や、どうするのが一番ルルノノのためになるか、など。

「正直俺の手に余る部分が多いかもしれねえけど」


「ううん、そんなことないよ、にーさん!」


 熱狂的な否定の声に、少しだけ驚いてしまう。

「……なんか俺よりも、お前のほうがよっぽど俺を信頼しているみたいだよな」

「だって、にーさんだもん、当たり前だよ」

 頬をかく。真っ直ぐな視線を浴びて、悪い気はしない。

「……じゃあ、またな、ルルノノ」

「うん、きょうもありがとね、にーさん」

 相変わらずの笑顔で手を振り、ルルノノは立ち上がった。だが、それから玄関から出る間際、扉の隙間からこちらを覗き込みながら、小さくつぶやいてきた。

「……くれぐれも、え、えっちなことは、禁止だからね……!」

 ハクスイは犬を払うように、さっさと帰れ、と手を振る。

 

 

「さて、と」

 授業の勉強の代わりに、ハクスイは部屋でひとり机に向かいながら、先ほどのマニュアル本を広げる。

「さすがにもう、恥ずかしがっている場合じゃないよな……」

 昼夜問わず現役の彩光使から手助けをしてもらい、二度も下界に連れていってもらった。さらに、悪魔と戦い続けるルルノノの危険も十分にわかっている。

 その上、自分を完全に信じきっているルルノノの頼みだ。これでどうにかできないのなら、天使として生み出された意味がないというものだ。


「任せとけよ……俺に……」

 ルルノノのために、そして他ならぬ自分のために。

 一部の慈悲もない、完全なドSになるのだ。


 

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