第二話-3
学校が始まり、午前の機奨光学の授業中、どこにでもある一クラスの授業風景……のはずだった。
しかしハクスイは、彩光使ルルノノの一度決めたらやり遂げなくては気が済まないという、義理堅さを知らなかったのだ。
「えーそれじゃ、次を答えてもらおうか……えーと、ハクスイくん……に頼もうかと思うが」
「はい」
一番後ろの窓側の席に座るハクスイが返事をすると同時に、横手から「にーさん頑張ってっ」の声援が飛ぶ。もう明らかにおかしいのだが、ルルノノが自分のクラスから椅子だけ持ってきて、ハクスイと並んで座っているのである。まるでカップルシートのようだ。
さすがに、言及しないわけにはいかないのだろう、受け持ちは機奨光学のシュレエルが顔をひきつらせながら尋ねる。
「その前に……どうして、ここにいるんだ、ルルノノくん……」
「えっ!」
机に頬杖をつき、ロマンチックな夜景を見つめるような潤んだ瞳でハクスイの横顔を見守っていたルルノノが、信じられないといった調子で振り返った。
「あたしは一彩光使として任務の最中なんです! にーさんを任意観察し、機奨光の育成に励んでいるんです! シュレエル先生にも邪魔されたら困ると言わざるをえません!」
どんっ、とハクスイの机を叩くと、シュレエルは冷や汗を流した。
「そ、そうか……な、なるほど……よく、わかった……いや、彩光使の言うことなら、聞くとも……しかし、ハクスイは、それでいいのか……そんな、横でずっと、ずっとか?」
「朝からずっとなの」
代わりに答えたのは、不満そうにシャープペンを唇の下に押し当てていたヴィエだった。
「……どちらかと言えば、さすがに、周りのわたしたちのほうが気になりますの」
確かに、クラスに彩光使が居座っているというプレッシャーは凄まじいものがあった。クラスが未だかつてないほどに静まり返っているのは、そういう理由なのだ。
「だ、だそうだぞ、ルルノノくん」
「全力で申し訳ないと思っているね! エンジェルご勘弁!」
「思ってはいるのか……」
シュレエルは職務を放棄したくなる。それで話は終わったとばかりに、ルルノノはハクスイに向き直り、はちみつが注がれているような甘い声色ではやし立てる。
「ほら、にーさん頑張って! みんなに良いところを見せるチャンスだよ! 正解して、みんなに頭良いって思われると、それが自信にも繋がるからね! ふふっ、全力で頑張って!」
「毎回こんなことを横で言われ続けているんだろ? 辛くないのか?」
沈黙を保ったまま、ハクスイは教科書を持って静かに立ち上がる。
「……『機奨光は、人々の希望によって空に立ち上り、天使の力となる』です」
ハクスイが再び無言で着席すると、なにもおかしなことはしていないはずなのに、教室には妙な雰囲気が立ち込める。そんな中、授業を進めようとシュレエルがうなずいた。
「……正解だ」
その直後、拍手が鳴り響いた。ルルノノのひとりスタンディングオベーションだ。
「す、すごいやにーさん! そんなに難しい問題! さすがだよにーさん、ブラボー、すごいよ、カッコイイ! エンジェル素敵だよにーさん!」
「……ずっとこんな調子なのか?」
「そうですの」
シュレエルに答えるヴィエは、やはり不機嫌そうだった。
「本当に辛くないのかハクスイ。なにか、弱みを握られていたりしないのか?」
「なにを心配しているんすか」
ハクスイは透き通るような穏やかな顔で、まぶたを閉じる。
「……俺は頼んでいる立場ですから、感謝しこそすれ、なにひとつ嫌な思いはしていません」
「は、ハクスイ!」
シュレエルが目を剥いた。
「どうしたんだお前、たった一日でその変わり具合は! なにがあったんだハクスイ!」
ルルノノにじっと見られているハクスイは、まるで喉元に剣を突きつけられているような気持ちだった。あながち比喩でもない。
「ただ、俺は全ての人に、感謝の念を抱いているだけです」
「……そんなめちゃくちゃ暗い目で言われても、先生も反応に困るの」
「ふふふふふっ、でもね、先生、これを見てよ!」
叫びながら立ち上がるルルノノ。もはや学級崩壊の有様であったが、その手に握られていたのは、登校途中で披露したあの簡易機奨光測定器であった。
「にーさんの、ほら、この、メーター!」
ルルノノはハクスイの頬に測定器をぐいぐい押しつけて、嬉しそうにめり込ませる。その蛮勇はともかく、誰もが値には興味をそそられたようだ。ハクスイとヴィエとシュレエルと、さらにクラス中の視線が集中する。
ごくわずか、ほんのちょっぴりだが、なんと、測定器が反応しているのである。
『――なっ!』
ルルノノを除く、クラス全体がひとつになった瞬間であった。ハクスイもまた、驚きに目を見張る。
「俺に……機奨光が……?」
ルルノノは鬼の首を取ったかのように、あるいは伝説の剣を抜いた勇者のように、誇り高い笑顔で測定器を振り回す。
「2! にだよ! ツー! にーさんにね、2の機奨光が芽生えているんだよ! 天使にはちっぽけな機奨光だけど、にーさんにはあまりにも大きすぎる一歩だと思わないかな!」
クラスメイトまでもざわめく中、ハクスイはひとりで自分の手のひらを見つめていた。
「……2、か……」
その口元がわずかにほころんでいたことに気づいたのは、ヴィエだけだった。