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プロローグ「出会い」

 

 ハクスイは止まらない。


 本日最後の試験だ。たくさんのギャラリーたちが見守っている武闘場には、熱気が渦巻いていた。伝説の達成瞬間を目撃しようと、他のクラスからも生徒たちが集まっているのだ。


 そんな見物客の中心で、もみの木の棒を持ったハクスイは緩く構えている。片手をジャージのポケットに突っ込んだその姿はどう見ても真剣勝負の最中とは思えなかったが、畳張りの空間は完全に彼の支配下にあった。

 武道場に立っている少年の数は残り一三名。そのうちのひとりが駈け出し、ハクスイの斜め後ろから切りかかった。前方に固まっているクラスメイトたちを視線で制しているハクスイには、避けられるはずもない一撃のはずだった。

 しかしハクスイは横薙ぎの奇襲をターンするように避けると、勢いを殺しきれず泳ぐ少年の背を軽く小突いた。

 試験監督官――シュレエルが疾呼する。

「マシマ、退場!」

 

 対悪魔用乱戦稽古クルセイダーズ

 バトルロイヤル方式で行なわれるこの試験は、これまで学んだ武術の集大成を発揮する場であった。勝ち残るために必要な資質は、ただひとつ。生存能力バイアビリティーである。

 

 標的がなぜ後方からの奇襲を避けられたのか、そのことに気づくことができないマシマ少年は、まるで悪夢を見たような顔で武道場から去ってゆく。

 ハクスイはただ観察していたのだ。向かい合う生徒たちの表情が変われば、膠着状態が変化したことは明らかだろう。あとは視線を追えばいい。どんなに潜めても、踏み込みの足音は消せるものではない。ならば避けるタイミングは自ずとわかる。

 だがそれをこなすには、気が遠くなるような年月の修練が必要とされるだろう。加えて、揺るぎない胆力も不可欠だ。

 

 ハクスイはつまり、そういった生徒であった。


 中肉中背で、皮肉げな口元。若干黒髪を伸ばしている以外は、一般的な生徒とはさほど変わらない容姿なのだが、ただ、ハクスイを象徴するものがあるとしたら、その眼差し――

 校内をまるでスラム街の片隅ように淀ませる雰囲気が彼にはあった。世の中の全てを意味のないものとして映すような黒瞳。夢や希望やそういった光を完全にシャットアウトし、それどころか根こそぎ吸い込んで消滅させてしまうブラックホールじみた目だ。


 ハクスイの前に立つ同級生は、ほとんどがその圧倒的な負の気配に飲み込まれる。言葉が出てこなくなり、なぜだか心中に漠然とした不安が去来する。ハクスイの持つ奇妙な圧力が噂された名が、「限りなく悪“魔”に近い“天”使」、すなわち、『魔天のハクスイ』である。幼い頃から鍛錬に鍛錬を重ねてきた賜物である化物じみた運動神経さえ、彼の伝説に拍車をかけていた。


 転進。ハクスイは振り返るとともに駈け出した。彼の強襲に、後方で身を寄せ合っていた小魚のような少年たちは震え上がった。

 男にしては長い黒髪をなびかせ、ハクスイは広い武道場を縦断する。恐怖を押し返すようにして突き出された棒を弾き、殴りつける。ひとり、ふたり、そして三人。戦意を喪失したクラスメイトを床に転がせば、これで背後の安全は確保終了。ハクスイは木の棒を手の中でくるりと回す。


「『魔天のハクスイ』めっ……! 今回もクラスの男子でひとりだけ実技満点を取る気か! そうはさせないぞ……!」


 残りはもはや十名にも満たない。一撃当てられたら退場の勝ち抜き戦にも関わらず、彼らは一群となっていた。互いが互いに敵同士であるはず、なのにだ。

 そこまでして、ハクスイひとりを勝ち進めさせたくないのだ。浮かぶ表情は、僻み、妬み、恐れ、つまり負け犬根性そのものである。


「なんだかな……」

 ハクスイは思わず髪をかきあげながらうめく。嫌われっぷりもここまでくれば清々しさすら感じてしまう。


 そのときだ。武道場に眩い白光が満ちた。

「許さない、許さないよ、ハクスイくん!」

 一塊でいた生徒の中のひとりが、気迫溢れる大声で叫び出したのだ。その少年を見て、ギャラリーのめいめいが声を上げる。


「あっ、あいつは!」「多分三組のナンバー2のやつだ! 名前は知らねえ!」「なんて卑怯な! 学校の授業で光輝武装エンジェルパーツをまとい始めやがったぞ!」「見境ねえ! 見損なったぞナンバー2!」


 高笑いをしながら、ナンバー2の少年は武闘場に浮かぶ。彼の両手両足は光に包まれ、その背からは真っ白な一対の翼が生えていた。そばかすの残るあどけない顔立ちをした少年は得意げに天井付近を飛び回る。その様は天使というより、むしろ虫のようだ。


「どうだい、ハクスイくん! きみにはこれができないだろう! ハーッハッハッハ! そうだよね、天使のくせにさ、機奨光ポジティアを持たないきみには!」


 少年は、弓を射るような態勢を取った。すると彼の回りに散らばっていた微光が集まり、手の中でひとつの大まかな輪郭を描く。それは光の輝きが定まってゆくにつれ、一本の槍としての形状を取った。機奨光による初級の光輝武装、光輝槍アンジェランスである。


「どうだい、ぼくの槍は! その木の棒で応戦してみるかな! 無駄だけどね!」


 色めき立つギャラリーの前で、ナンバー2が伸縮自在の槍を伸ばす。ジュッ、ジュッと音を立てて、武道場の床に穴が穿たれてゆく。その突きの速度はまさに光速。見てから避けるのはハクスイと言えど至難の技だろう。

 さらに光の翼は、本人の身体能力に関わらず、高速移動を可能にする。狭い室内という誓約はあったものの、ナンバー2は中空から次々と攻撃を繰り出してくる。

 光輝武装対木の棒。彼我戦力差は圧倒的である。

 

「もう授業の度を越えているぞ!」「なんで教使は止めないんだ!」「停学になるんじゃね? ナンバー2」「ああはなりたくないな……」


 もっとも、有利さと引換に彼は信頼をことごとく失ってしまっただろうが――それはともかく、ナンバー2は一向に気づかなかった。先ほどから槍撃がハクスイにかすりもしないという事実に、だ。

 ハクスイはやはり精察していた。彼の視線と穂先を。手元の角度と、狙いをつける直前に急停止する直前の翼の羽ばたきを。どんなに相手が強力な技を使おうとも、ハクスイはなんらうろたえていなかった。

 しかしやはりナンバー2は気づかない。今の彼はきっと見たいものしか見えてないのだ。すこぶる楽しそうではある。

 武道場を斜めに走りぬけ、三連続の突きを回避したハクスイは、感情を映さない瞳で跳躍した。様子を見守っていたクラスメイトの一団に。「こ、こっちに来るなぁ!」と悲鳴があがる。


「どこに逃げると言うのかね、ハーッハッハッハ! 死ねい!」


 完全に悪役臭の漂うナンバー2が放った突きは、ハクスイの脇腹を掠める。しかし有効打ではない。

 飛び上がったハクスイは、近くの男の肩を蹴り、別の男の頭を蹴り、さらに壁を蹴る。それもわずか一瞬の出来事。迫り来るハクスイの唇の動きが、ナンバー2には確かに見えていた。


「死ねっていうのは、自分がそうされても文句がねえってことなんかね」

 伸ばした槍を元の長さに戻すのを忘れていたナンバー2は、慌てて槍を引く。だが、間に合わない。身が竦んで動かない。

 ナンバー2の顔が驚愕に染まると同時、ハクスイは木の棒を振りかぶって、そして、回転しながら、冷蔵庫のドアを閉めるような軽快さで、もみの棒を振り切った。


「よっ」

 大根を真っ二つに両断するような快活な音が響いた。その直後、ずどーん、とナンバー2が武闘場の床に落ちて、潰れる。悲鳴が波のように広がって辺りはざわついた。


「うわあ……あいつ、光輝武装まで発動して……」「あれほど笑ってたのに……無様な……」「容赦ねえ、『魔天のハクスイ』……」「強い、強すぎる……」


 あとはもう、消化試合の様だった。

 


 今まで事態を静観していた教使は、深いため息をついた。女生徒からも人気の高い壮年の伊達男は、そのわずかにシワの刻まれたこめかみを押さえながら、憮然と告げた。


「……実技の授業、そこまでだ」

 穴だらけの武道場の床を眺めて、苦虫を噛み潰したような顔をしていた教使の男の重苦しい言葉に、ハクスイは棒を払って構えを解いた。


「お疲れ様でした」

 ナンバー2を倒してからは一分にも満たない時間で、彼の周りには立つものは残っていなかった。ハクスイが頭を下げたその直後、ギャラリーから拍手が巻き起こった。見物人と反比例したテンションで、教使は目の間を揉みほぐしながら、苦々しくつぶやく。


「こんな事例は、初めてだな……男女ともに、最後まで立っているのは、たったひとりか……生徒が訓練で光輝武装を使ったってのもな……」

 額の汗を手の甲で拭きながら、ハクスイは隣で行われている女子の実技の授業を眺めた。

 女性陣も壮絶な結果となってしまったようだ。中央にひとりで立っているのは、見覚えのある銀髪の少女の後ろ姿だった。

 ハクスイは棒を肩に担ぎながら息切れもなく姿勢を緩めた。

「ヴィエか、あいつもよくやるな」


 授業終わりのチャイムが鳴り、教使がそれぞれにジャッジを言い渡す。

「ハクスイくんとヴィエくんは、着替えたら職員室に来い……」

 床にめり込んだナンバー2を横目に、ひときわ大きなため息とともに教使は付言した。


「……ネヒャエルくんは、一週間の停学だ。それで手を打とう」

 



 ~~



 

「やりすぎだろ」

「ハクスイに言われたくないの」


 ハクスイのつぶやきにヴィエはそっぽを向いた。学校指定の白ジャージ姿のふたりは、足腰の立たないクラスメイトたちを置いて、さっさと武闘場を出る。渡り廊下を通ると、涼しい風がふたりの間を吹き抜けた。ヴィエは長いプラチナの髪をなびかせて、颯爽と歩く。


 そんな彼女は、反省とともにかぶりを振る。

「……学期末の試験だからって、気合を入れすぎたの」

「まあ、気持ちはわかるが、やりすぎだろ。少しくらい手加減してやれば良かったんだ」

「……」

「いて、蹴るなよ」

「……ハクスイに言われたくないの」




 ~~




 ヴィエと別れて、武闘場から校舎に入ってすぐの男子更衣室の前までやってきたハクスイは、ドアノブに手をかけたところで、ふと動きを止めた。なにやら熱を感じたのだ。違和感に気づいて振り返ると、そこには廊下の角に半身を隠して、制服姿の女子生徒が立っていた。

 ハクスイが見やると、女子生徒はパッと姿をくらます。


「なんだ? 俺に用、か?」

 試験の終わった他クラスの生徒だろうか。あるいは、やけに小柄に見えたことから、下級生かもしれない。ハクスイが辛抱強く待っていると、まずは小さな頭が見えた。あちこちがピンと跳ねた、毛糸玉のようなはちみつ色のショートカットだ。

 それが徐々に覗いてくると、今度は髪の色と同じ、黄金色の濡れた瞳と目が合った。ぱちっ、ぱちぱちっ、と何度も瞬きを繰り返したあとに、彼女は意を決したように姿を現した。

 まるで童話の世界から抜け出てきたお姫様のような、凄まじい美少女だった。小柄な代わりに、真ん丸い瞳が星空のような広大さを想起させられた。


「あ、あのっ……あのっ、あのっ、あのぉ!」

「ん?」

 拳をグーに固めて肘を引く彼女から、ほのかに燐光が立ち上る。あたふたと身振り手振りをしながら、薄い光をまとった美少女はなにやら気持ちを伝えようとしてくる。


「えと、あ、あたしっ! あのっ! さっきのっ!」

「いや、なんだよ」

「もう、全力でっ! エンジェルっ! エンジェルっ! スパーキングっ!」

「いやだから、なんなんだよ」


 叫ぶ度に彼女の顔が赤く染まってゆくのは、酸欠のためではないかとハクスイは思った。ふわふわの髪の毛を揺らして、長いのはもちろんのこと、きらめくように綺麗なまつげの伸びた瞳をくりくりと回しながら、美少女は身体いっぱいで叫んできた。


「あ、あたしを、どうかドMにしてくださいーっ!」



 声の残響がしばらく廊下に残り、ハクスイは口をぽかんと開けたまま聞き返した。


「……は?」

 

 

 

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