Re.垢 異世界でハズレ扱いされた俺のスキルが、現代では最強だった
教室の隅、俺の手の中でスマホが震えた。
謎の通知。
差出人は学校の公式連絡用アカウントでも、よくわからんニュースでもない。
――異世界の神からだった。
『未使用のスキルが1件存在します。解放しますか? [YES] / [NO]』
ディスプレイの薄明かりを見つめながら、俺は小さく息を吐いた。
地球時間で5分前。
俺たち2年B組の34名は、1年間にわたる「異世界生活」から、こちらの時間でたった数分しか経っていない日常へと連れ戻された。
戻ってきた瞬間、全員がパニックになった。
向こうの世界で授かったはずの「聖剣召喚」も「極大爆炎魔法」も「絶対防御」も、何ひとつ発動しなかったからだ。手のひらから火花すら出ない。筋肉の肥大も、俊敏性の補正も消えていた。
残されたのは「ただの高校生に戻った」という冷酷な現実だけだった。
「マジかよ……おい、嘘だろ……っ!」
少し離れた席で、クラスのリーダー格だった桐生が机を激しく叩いた。
異世界で『炎帝』とか呼ばれてイキり倒していた男だ。いまは青ざめた顔で、何度も何度も自分の右手を握ったり開いたりしている。
「消えてる……マジで消えてる……! スキル一覧のウィンドウも出ねえ……っ!」
周りの連中も同じだった。女子の一部は泣き出し、男子は青ざめてスマホの画面を連打している。
1年間の夢の終わり。現代社会のルール、進路調査票、期末テスト、親からの干渉。それらが一気に押し寄せてくる恐怖に、誰もが怯えていた。
俺――佐藤和樹は、静かに選択画面をタップした。
『[YES]が選択されました。個体名:サトウ・カズキに初期保有スキル[アカウント・オーバーライド]を適用します』
画面に表示された不気味なダイアログは、数秒で消えた。代わりに、見慣れたアプリのアイコン群が並ぶ普通のホーム画面に戻る。
能力が残っていた理由なら、なんとなく分かった。
異世界に飛ばされたとき、桐生たちは「選ばれし勇者パーティ」として最前線で魔物と戦い、派手にスキルを使いまくっていた。
対して俺は、「ブサイクでキモい陰キャ」という理由で拠点のリソース管理(要するに食っちゃ寝と雑用)に追いやられ、一度も戦闘に参加しなかった。
与えられた謎スキルの発動実験すらさせてもらえなかったのだ。
「一度も使用されなかったから、消化されずに残留した」
ただそれだけのことなんだろう。
だが、その「ハズレスキル」の正体が現代の地球で何を意味するのか、俺は画面に浮かび上がった小さなツールチップを見て理解した。
【アカウント・オーバーライド】
・対象システムの識別ID(ユーザー名、あるいはメールアドレス、あるいは電話番号等)の入力のみで権限奪取が可能。
・パスワード認証、二段階認証、生体認証の概念を無効化する。
・《新規アカウント作成時》におけるすべての《個人情報入力を免除》する。
「……は?」
思わず低く声が出た。
異世界では「認証? 電話番号? なにそれ?」状態で完全にゴミ扱いだったスキル。
しかし、あらゆるシステムがIDとパスワードで管理されているこの現代社会において、これは――。
「おい、佐藤」
不意に上から影が落ちてきた。
見上げると、桐生が歪んだ顔で俺を見下ろしていた。取り巻きの男子ふたりも後ろに控えている。
「お前、さっきから何ニヤついてんだよ」
「……別に。何も」
「あ?」
桐生が俺の胸ぐらを掴もうとして、途中で手を止めた。自分の筋力が「普通の高校生」に戻っていることを思い出したらしく、ちっと舌打ちをして胸ぐらから手を引き、机に両手をついた。
「チッ……なあ佐藤、お前向こうで『アイテム鑑定』みたいな雑用スキル持ってただろ。なんか残ってねえのかよ。俺の『炎帝』を復活させる方法とかよ」
「あるわけないだろ。みんな消えたんだから」
「ふざけんなよ……! 俺が……俺たちがどんだけ向こうで努力したと思ってんだ! なんでこんな、また冴えねえ学校生活に戻らなきゃいけねえんだよ!」
桐生は吐き捨てるように言うと、自分の席に戻り、スマホを取り出して乱暴に画面をフリックし始めた。
「クソが……とりあえず裏垢で吐き出さねえとやってらんねえ……」
桐生がつぶやいた言葉が、耳に届く。
俺は自分のスマホを操作し、 X(旧Twitter)の検索窓を開いた。
桐生が校内で使っている裏アカウントのIDは知っている。以前、本人が承認欲求満載で取り巻きに見せびらかしていたからだ。
検索欄に、IDを打ち込む。
『@kiryu_real_07』
本来なら、ここからログインするにはパスワードが必要だ。あるいはログイン画面からIDとパスワードをセットで入力しなければならない。
だが、俺のスマホの画面には、パスワード入力欄すら表示されなかった。
[ログインに成功しました。ようこそ、桐生大樹さん]
拍子抜けするほどあっさりと、画面が切り替わった。
そこには、桐生が異世界に行く前から最近にかけて投稿していた、生々しい「本音」がズラリと並んでいた。
『今日の部活のマネージャー、マジでウザい。顔はいいからワンチャン狙うけど』
『担任のハゲ、また説教してきたわ。早く事故って死ねばいいのに』
『佐藤とかいうキモオタ、マジで同じ空間にいるだけで飯マズくなるわw早く消えろよ』
さらには、鍵アカウントで保存されていた、クラスの女子の盗撮画像や、過去のカンニングの告白、友人たちの悪口の数々。
「……うわぁ」
エグいな、これ。
桐生の方を見ると、彼は血走った目で必死にスマホ画面を連打し、何か長文を打ち込んでいる最中だった。たぶん、いまの理不尽な状況に対する怒りでも連投しているのだろう。
俺は桐生のアカウントの「新規投稿」ボタンを押した。
テキストエリアに、短い文章を打ち込む。
『今までみんなに隠しててごめん。実は俺、過去にやったカンニングと盗撮の件、ずっと罪悪感がありました。全部白状して警察に行きます』
添付ファイルに、鍵フォルダから適当にピックアップした決定的な証拠画像を三枚添える。
「……送信」
タップした瞬間、桐生のスマホから「ピコン」と通知音が響いた。
「は……? え……!?」
桐生が素っ頓狂な声を上げた。
「な、なんだこれ!? 勝手に投稿されて……え? 削除! 削除ボタン!!」
桐生がパニックになって画面を叩く。
だが、俺の側で[パスワード変更]の項目を開き、適当に『0000』と打ち込んで更新した。
もちろん、俺には「旧パスワードの入力」すら要求されない。
「ログイン期限が切れました。再度ログインしてください」
桐生のスマホ画面にポップアップが表示されたはずだ。
「え!? パスワード違いますってなんだよ!? 俺変えてねえぞ!?」
「桐生……? お前、これ何……?」
真っ先に反応したのは、桐生の隣の席にいた女子だった。自分のスマホを見て、顔をひきつらせている。
「ち、違う! 乗っ取りだ! これ乗っ取りだから!!」
「でもこの画像、あんたしか撮れなくね!? え、私のもあるんだけど……キモっ……ありえないんだけど!!」
「待て! 話を聞けって! パスワードが勝手に変えられて――」
「先生呼んでくる!!」
教室が一瞬で地獄絵図と化した。
女子たちの悲鳴、男子たちの引きつった視線、そして必死に弁明しようとして空回りする桐生の叫び声。
俺はそれを横目で見ながら、静かにスマホの画面を閉じた。
「……ふぅ」
クラスメイトたちは、異世界の力が消えたことに絶望し、現実の泥臭い人間関係に苦しんでいる。
だが、俺だけは違う。
電話番号も、メールアドレスも、パスワードすらも要らない。
この世界のあらゆるシステムが、俺の前では鍵のかかっていないドアと同じだ。
「とりあえず……銀行のログインも試してみるか」
俺は鞄を肩にかけ、騒然とする教室をあとにする。
背後で桐生が崩れ落ちる音が聞こえたが、振り返ろうとは思わなかった。
よろしくお願いいたします!




