表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

笑顔で怪物化する女

掲載日:2026/07/12

笑うと怪物


「世界を救った勇者よ。」


白い神殿で、女神は静かに微笑んだ。


「あなたはよく戦いました。その功績を称え、一つだけ願いを叶えましょう。」


主人公リリアは迷わなかった。


「みんなが笑顔で、幸せに暮らせる世界にしてください。」


女神は首を傾げた。


「……今、何と?」


「え?」


「私は一つだけ願いを、と申しました。」


「だから一つです。」


「いいえ。」


女神は静かに首を振る。


「あなたは二つ願いました。」


「笑顔。」


「幸せ。」


「全く別の願いです。」


リリアは困ったように笑う。


「でも、笑顔って幸せってことでしょう?」


女神の瞳から温度が消えた。


「違います。」


「笑顔は表情です。」


「幸せは心です。」


「笑顔でも不幸な者はいます。」


「幸せでも笑えない者もいます。」


「あなたは世界を救ったというのに、その違いすら知らなかった。」


リリアは俯く。


「ご、ごめんなさい……。」


「謝る必要はありません。」


女神は優しく言った。


「愚かなだけですから。」


その優しさが、かえって痛かった。


「あなたには罰を与えます。」


「あなたから笑顔を奪います。」


「今後あなたが笑おうとすれば、その笑顔は人ならざる姿となるでしょう。」


リリアは震えた。


「そんな……。」


「ですが安心なさい。」


女神は穏やかに微笑む。


「私は笑顔と幸せは別物だと信じています。」


「ならば笑顔を失っても、あなたは幸せになれるはずです。」


「これは慈悲深い呪いです。」


「いずれ分かります。」


「その身で確かめなさい。」


眩い光が世界を包んだ。



目を覚ます。


そこは見慣れた自分の部屋だった。


「夢……?」


昨夜まで世界を救う旅をしていた記憶が、砂のように指の間から零れ落ちていく。


夢だったのだろうか。


安心して、小さく笑ってみた。


鏡の中で。


口が耳まで裂けた。


無数の牙が生えた。


眼球が膨れ、首がありえない方向へ折れ曲がる。


リリアは悲鳴を上げた。


鏡の中の怪物も、同じように悲鳴を上げていた。



それから彼女は笑わなくなった。


会社では「クールな美人」と言われた。


本当は違う。


同僚のくだらない話も好きだった。


子どもがはしゃぐ姿を見るのも好きだった。


テレビのお笑い番組では、口を押さえて涙を流した。


笑いたい。


でも笑えない。



そんな彼女にしつこく話しかけてくる男がいた。


同じ部署の朝比奈だった。


「藤宮さんってさ。」


「はい。」


「一回も笑わないよね。」


「苦手なんです。」


「もったいない。」


その一言だけが胸に残った。



何か月も経ったある日。


二人は休日に出掛けるようになっていた。


朝比奈は変な動物動画を見せたり、寒い駄洒落を言ったりする。


リリアは必死に耐える。


(お願い……笑わせないで。)


でも本当は。


(もっと笑わせて。)


そんな矛盾を抱えていた。



ある雨の日だった。


朝比奈が転んだ。


派手に泥だらけになって。


「あっ。」


リリアは吹き出した。


その瞬間。


顔が裂けた。


牙が生えた。


黒い角が伸びる。


通行人が悲鳴を上げて逃げる。


リリアは顔を隠した。


「ごめんなさい……!」


逃げようとした手を。


朝比奈が掴んだ。


「待って。」


「見ないで!」


「見てる。」


「怖いでしょう!」


「怖いよ。」


即答だった。


リリアは涙をこぼした。


「でも。」


朝比奈は笑う。


「今、笑ったね。」


「……え?」


「こんなに楽しそうな君、初めて見た。」


「こんなの笑顔じゃない!」


「怪物よ!」


朝比奈は首を横に振る。


「違う。」


「怪物の顔になっただけだ。」


「笑顔はちゃんと見えた。」


「……。」


「君、今すごく幸せそうだった。」


リリアは声を失った。


今まで誰も。


怪物しか見てくれなかった。


この人だけは。


その奥を見ていた。



季節が巡る。


リリアは相変わらず笑うたび怪物になった。


街では怖がられる。


写真にも写れない。


結婚式だって無理だと思っていた。


それでも朝比奈は言った。


「式、挙げよう。」


「私、怪物になるよ。」


「知ってる。」


「みんな逃げるよ。」


「逃げる人は逃げればいい。」


「でも君は?」


朝比奈は笑った。


「君が幸せなら、それでいい。」



結婚式当日。


誓いの言葉を交わす。


リリアは泣いていた。


嬉しくて。


幸せで。


そして笑った。


口が裂ける。


牙が生える。


誰もが息を呑んだ。


朝比奈はその怪物の顔を見つめたまま言った。


「綺麗だ。」


リリアは怪物のまま泣き崩れた。


その時。


祭壇の奥に、あの女神が立っていた。


「いずれ分かる、と言ったでしょう。」


リリアは静かに頷いた。


「はい。」


「あなたの言う通りでした。」


「笑顔と幸せは別でした。」


「私は笑えなくても、幸せになれました。」


女神は満足そうに目を閉じる。


「ですが。」


リリアは朝比奈の手を握る。


「一つだけ、あなたも間違っていました。」


女神は初めて眉を動かした。


「この人は。」


「怪物の顔ではなく。」


「私の幸せを見てくれました。」


「だから私は、笑えたんです。」


女神は長い沈黙のあと、小さく笑った。


「……そうですか。」


その瞬間。


リリアの怪物の姿が消えることはなかった。


けれど誰の目にも。


その顔は、世界で一番幸せそうな花嫁に見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ