時間に甘えていると痛い目を見ることになる。
「時間が解決してくれる」という言い回しがある。今は辛いと感じることもいずれ受け止められるようになるといった意味で自分や他人を慰めるときによく使われる。時間の経過が心の有り様を変えたり、辛いことを忘れさせてくれたりするということだ。
「時間の問題」というのは、成り行きがほぼ決まっていて、いつになるかはっきりしないが、近いうちにそうなるであろうという意味で、ジタバタせずにひとまず静観しようというニュアンスを感じる。
これらは時間に身を任せるという姿勢で、ある面では時間に甘えていると言っても的外れではないだろう。人事を尽くして天命を待つというように、身を任せる前に力の限り努力をしている場合もあるので、一概に甘えているとも言うのは忍びないが、時間に甘えている、あるいは時間を言い訳にしている人間が多いという実感がある。
かくいう私も、時間がないので部屋の大掃除を後回しにし、時間がないのでジム通いで体を鍛え上げることを泣く泣く断念し、怪しげな健康飲料を摂取する日々を選択している。
もしも有り余る時間があれば、権威ある賞に選ばれるような研究を修めたり、オリンピック選手に選ばれるような何らかの肉体的実績を上げたりすることができるはずだ。時間に限りがないのであれば、そう言った意思表明をし続けている限り嘘をついたことにはならない。
何事もタイムリミットがあるから、うそか誠か、正か否か、良いか悪いかという判定を受けることになるのである。時間が無限であれば、判定を先延ばしにすることは雑作もないことである。これこそ時間に寄りかかった考え方と言えるだろう。
凡人の身としてはこんな詮無いことを考えて溜飲下げるしかないが、時間に甘えながら上手いこと世渡りをする人間もいる。
不祥事を起こして表舞台から姿を消していた芸能人や政治家などが、いつの間に舞い戻りそれまでと変わらぬ名声を欲しいままにしているという光景は珍しいものではない。
何らかの禊、精算をして戻ってくる場合もあるが、結局真偽の程は有耶無耶のまま、しれっと戻っているというのが多数派ではないだろうか。
こういったことが可能になるのは、時間によって、世間の関心、人々の記憶が失われているためであろう。当時怒り心頭に発して不祥事を責め立てていた人間も、何に怒っていたのか忘れてしまうというのはよくあることだ。ニュースやネットの風潮に同調していただけの人間だったら尚更である。何となく怒っっていただけだから、何となく許してしまうのは道理というもの。
本当に悪いことをしていたのに、無理矢理にでも表舞台に戻ることで世間に潔白であると信じ込ませることができるという計算もあるのかもしれない。警察の前で堂々としていればかえって疑われないという犯罪者の理論である。
何もしていなくても、おどおどした態度で交差点のパトカーを眺めていたら職務質問を受ける羽目になった私のような人間とは真逆である。
かように人間は時間に甘え、時間を都合よく利用する生き物であるが、時間こそが生命の終わりを運んでくる存在であるということを忘れてはならない。最後の最後に一番厳しい顔を見せるのが時間というものである。
時間に甘えてばかりいると、時間の良い面ばかりが目につくことになるが、それは時間が最後の瞬間に見せる怖い面をより一層強調する結果になる。
どれだけの人に囲まれ、見守られようと、最後の瞬間に立ち会う時に人間は孤独である。我が身一つで時間がもたらした結果と向き合うことになるのだから、その瞬間に備えて時間というものの怖さを心に留めておくのが賢明だと思われる。
最後の瞬間をどのような気持ちで迎えるかは、それまで時間という存在とどのように付き合ってきたかによって決まると言っても過言でもないのだから。終わり




