037,行商人、商戦を制す
朝。
開店準備を進める俺たちの屋台の前に、人だかりが出来ていた。
「……ん? いやに人が早くね?」
人だかりは俺たちの屋台じゃない。
すぐ近く、道を一本挟んだ向かい。そこに、金色の布で彩られた派手な特設店舗が現れていた。
「《ゴルデナ特製・幻薬シリーズ》……!? ……無償配布!?!?」
ミナトが絶叫する。
その屋台の前には、無料配布を狙う冒険者たちの列。
しかも看板には、こう書かれていた。
『ゴルデナは“品質”で勝負します。他の模造薬にご注意ください』
「……牽制来たな」
俺は苦笑して呟いた。
品質を盾にし、無料で商品をばら撒き、うちの薬を“偽物扱い”しようという露骨なネガキャン。
しかも、ゴルデナ製の薬はそこそこの性能を誇るため、完全に間違いとは言い切れない。
加えて、あの屋台――
人員は制服を着たプロの売り子たち。
口調も動作も完璧。客を褒めては買わせ、列を裁き、空気を操る。
「くっそ、マジで“大手の本気”じゃん……!」
ユウカが眉をしかめる。
「なぁ師匠、このままじゃ昨日の分、全部巻き返されちまうんじゃねーか……?」
ミズキも眉を吊り上げるが、俺はゆっくりと首を振った。
「いや、むしろ想定通りだ」
「へ?」
「相手は“撒いた薬”が回収できると思ってる。けどな……こっちはすでに、“一晩使った人の反応”が得られてる」
昨日、あの薬を手にした人たちは、確実に効果を知った。
その中に、戻ってくる者もいる。
「それに……昨日の夜、ミナトに配達させた新ブレンド。あれを今日の目玉にする」
「え、あれ!? まだ試験段階だったヤツ!?」
「もう間に合わねぇ。ぶっつけ本番で行くぞ」
ミナトがガッツポーズを作った。
「よーし……! この戦、絶対勝つ!」
大手の意地と、こっちの意地。
牙を剥くのはここからだ。
──その日の午後。
喧噪に満ちた商業街の裏路地にて。
ゴルデナ商会が臨時本部として設けたサロンの空気は、表通りとは対照的に、張り詰めていた。
「……売上、午前中分で五割減。昨日と比べて、明らかに“客が戻ってきている”」
低い声で報告するのは、現地責任者の男性幹部・ロシュ。
書類の束を机に叩きつけた彼の額には、珍しく汗が滲んでいた。
「原因は?」
「“例の個人店”です。レンと名乗る薬師……。新薬の評判が跳ね上がってます。“即効性・持続力・副作用ゼロ”という口コミが、一気に広がった」
「まさか……ブレンドを変更したのか?」
別の若手幹部が苦い顔で問う。
「……ああ。間違いない。恐らく昨晩のうちに、フィードバックを元に配合を調整した。対応が異常に早い」
沈黙が落ちた。
──これまでゴルデナは、金と物流を武器に“情報戦”を征してきた。
流通を制し、広告を打ち、敵を囲い込み、踏み潰す。
だが今回は違った。
相手は情報を撒くのではなく、“結果”を見せたのだ。
「……っ、舐めやがって、あんな個人経営の弱小が……!」
幹部の一人が苛立ちから椅子を蹴る。だが、ロシュは冷静に返す。
「問題は、我々が“勝とうとしている相手”を誤認していたことだ」
「……は?」
「レンは“商売敵”じゃない。“現場”の人間なんだ。こちらが広告で上から叩こうとしてる間に、奴は地面から殴り返してきている」
「まさか……!」
「そうだ。“顧客と接している”んだよ。薬の使用感、顧客層、流行、感情──全部、生で仕入れて即応してくる。だから“消費者にとって心地いい対応”ができる」
商会のメンバーが顔を見合わせる。
──このままでは、主戦場そのものを奪われる。
顧客を“支配する側”ではなく“共に歩く側”として扱う、そのスタンスに、優位性が崩されていく。
さらに、極めつけ。
「……あと、ひとつ最悪な情報がある」
ロシュが静かに言った。
「昨日、我々がばら撒いた《無料サンプル》の一部に、劣化品が混じっていた可能性がある。保管状態に問題があったらしい」
サロンの空気が凍りついた。
無料でばら撒いた薬の品質が悪かった?
それはつまり、“ゴルデナ=粗悪品”という印象を、逆にばら撒いたということだ。
「た、ただちに回収を──」
「手遅れだ。すでに数件の苦情が現地ギルド経由で報告されている」
情報戦に勝とうとして、
“情報の価値”そのものを失った。
ここに来て、ゴルデナの“組織的優位”が崩れ始めていた。




