021,行商人、裏を行く
――三週間後、《第二店舗:緋光の薬舗》裏手・秘密作業区画。
「……レイ、これ。どう思う?」
俺はカウンター越しに、港から回ってきた素材の納品リストを差し出した。
レイは眉をひそめた。
「この量……明らかに“計画より多い”ですね。予定の倍以上あります」
「ああ。そして仕入れ元は《鉄牙連合》の中継商隊」
「まさか……“横流し”?」
コクン、と俺は頷いた。
「ドランのやつ、他所に流してる可能性が高い。“似て非なる”配合で“ほぼ同効果”の薬が別市場に出始めてる。レシピの一部を解体して再現しようとしてるな」
「三ヶ月の独占契約を無視して……?」
「奴らは“再現”したら“別物だ”って主張するだろうな。だから微妙に成分配合を変えてある。しかも成分の名前も業界俗語で言い換えてあるから、初見じゃ気づかれにくい」
レイが小さく息を吐いた。
「これ、証拠を固めれば――契約違反で訴えられます」
「ああ。だけど問題は、その後だ」
俺は机に置かれた報告書をトントンと指先で叩く。
「《聖翼会》からも“怪しい注文”が入ってる。“非公開のはずの未調合薬”のレシピに合致した素材ばかり」
「……つまり、情報が漏れている?」
「それも組織的にな」
俺は椅子を傾けて、壁にかけた古地図を見上げる。
「ギルド連合は“利”で動く。こっちが握ってるのは“市場”だが、やつらは“生産者”や“伝達者”の繋がりを通して、別ルートの確保に動いてる」
そこで、ミナトが顔を出した。
「師匠……あの、例の仲買人、逃げました」
「……やっぱりか」
レイが息を呑む。
「状況が一気に傾きました。どうします?」
俺は少し黙ってから、口を開いた。
「――決まってる。“報復”だ」
静かに、だが確実に。
俺は指先で“契約書”をトレイに置く。燃える魔力紙が、じわじわと青白く発光しながら、焦げていった。
「契約とは、信頼の証明であり、裏切りの明文化でもある」
光を放ちながら燃えるそれを、レイとミナトは無言で見つめていた。
「次の一手は、俺たちが打つ」
――同夜、《旅人の宿》地下、通称《裏階層》。
酒場のざわめきも届かぬ、薄暗く湿った空間。その中で、古びたテーブルを挟んで向かい合う二人の影。
片方は、街の裏側で“情報”と“人間”を売り買いする男――《夜灯》の斡旋人。もう片方は、つい先日まで“清廉”と“中立”を名乗っていた、一介の薬屋であり、今や《最前線の影》とも囁かれる存在。
「久しぶりだな、《夜灯商会》のボスさんよ」
斡旋人は皮肉な笑みを浮かべながら、疲れた目元に浮かぶ隈を気にもせず、俺を見据える。
「まさかレンくんが、こうして“こっち側”に足を踏み入れるとは思わなかった」
「誤解するな」
俺は低く言って、テーブルに資料の束を置く。
「俺は“こっち側”に来たつもりはない。ただ、“正しい手”が通じない盤なら――俺も、そのルールで打つだけだ」
「……ふん、なるほど。“復讐”と“防衛”の狭間ってわけだ」
斡旋人が目を細める。
「……で、それが何だっていう?」
「これが俺の切り札の一つだ」
俺は資料をひとつずつ指で押し出すようにして渡す。
「この街に出回っている“模造薬”。出荷ルートと、流通経路。それから、“意図的な改竄”の痕跡もな」
斡旋人が書類をめくるたびに、わずかに目を細めていく。
「……こいつは……思ったより、根が深いな」
「お前ら《夜灯》にとっても、この件は放っておけないはずだ。市場の信頼性が潰される。それも、情報の封鎖と誘導を使ってな」
「確かに。俺らにとって“嘘”は商材だが、“見抜かれた嘘”は致命傷だからな」
斡旋人は乾いた笑みをこぼすと、資料を片手にひらりと持ち上げた。
「で――条件は? 俺たちに、何をやれと?」
「“撹乱”だ」
俺の声は静かだった。
「この情報を元に、各ギルドに“矛盾する情報”を流してくれ。“誰が裏切ってるのか”を、分からなくさせるんだ」
斡旋人は一瞬だけ黙りこみ、それから小さく笑った。
「……まさか、君が“疑心”を武器にするようになるとはね。あの、青臭い“調薬の天才坊や”だったレンが、な」
「人を信じるには、まず“疑う方法”を知らないとな。……俺は、“本当に信じられる奴”を見極めるためにやってるだけだ」
「……ほう」
斡旋人が目を伏せ、煙草の火を指先でもてあそびながら呟いた。
「戦場は、“剣”じゃなく“影”で決まる……ってことだな」
「ああ。“戦場は情報と疑心”――そして、“一手先を読んだ静かな暴力”だ」
テーブルに、交わされた沈黙の契約。
この夜、街のどこかで、無数の“誤情報”が拡散され始める。
それらはやがて、ギルドの中に“火種”を生み出す。
――そしてその炎の中で、本物の裏切り者が炙り出される。
今の俺は、“薬師”じゃない。
《影の毒》を操る、狩人だ。