020,行商人、交渉する
「……ったく、英雄様が店先で干からびてんじゃねぇよ」
突然、扉のベルが軽やかに鳴り、聞き慣れた声が頭上に降ってきた。
「……んー……?」
顔だけ上げてそちらを見やると、そこにいたのは、黒いロングコート姿の――
「……ライト。おまえか……なんでここに」
「なにって、祝勝会に来たに決まってんだろ。三店舗目オープン、おめでとうございますってな」
そう言いながら、ライトは勝手にカウンター内に入り、棚から適当な茶葉を取り出してティーポットに放り込んでいる。
「……おまえ、まじで遠慮ねぇな」
「気心知れた仲ってそういうことだろ?」
ポットの湯が沸く音と、香ばしい茶の香りが広がっていく。
その直後、再び扉が開き――
「おじゃましまーす!」
元気すぎる声と共に、軽装の女性が店内に滑り込んできた。
「……レイ?」
「はいっ、レイでーす! 新店の匂いがするって聞いて来ました!」
「……人間って匂いで店を探せるようになったの?」
「レンさんが作る薬草系ポーションの香り、結構特徴ありますからね。訓練すればいけますよ?」
さらっと言ってのけるあたり、本気で言ってそうだ。
「……ったく、次は何、カズでも来るか?」
「よっ。呼んだか?」
「うわ、本当に来た!?」
扉の奥から現れたのは、どこか夏祭り帰りのようなラフな服装のカズだった。肩には串団子まで乗ってる。なんだこいつ。
「噂をすれば、だな……」
俺が呆れて天井を見上げていると、皆が次々とカウンター周辺に陣取り、勝手に飲み物を作ったり、椅子を引っ張ったりし始めた。
「ちょ、営業中なんだけど!? 客来るって!」
「今日はもう看板“準備中”にしとけ。臨時休業だよ、臨時。英雄特権ってやつ」
「勝手に使うなよその特権!」
「いや、もう仕込みとか終わってたでしょ? ミナトくんから聞いてるよ?」
「……ミナト、あいつおしゃべりすぎだろ……」
でもまあ。
気が付けば、疲れなんてどっかに飛んでいってた。
こうしてみんなと顔を合わせて、くだらないことで笑いあえる時間――それがどれだけ貴重か、あの《ティルフィア》の中で嫌ってほど思い知らされたから。
「で、次はどうするつもりなんだ? レン」
ライトがそう問いかけてくる。
俺は少し考えたあと、カップの中を覗き込みながら答えた。
「まずは……この世界に、もっと“面白い薬”を増やしたい」
「薬、ねえ」
「そう。“戦うため”の薬だけじゃない。“生きるため”、“笑うため”の薬をさ」
ライトとカズが顔を見合わせる。
レイは微笑みながら、湯気立つカップに両手を添えていた。
「じゃあ、しばらくはレンの世界征服を応援することにしようか」
「それ、悪の組織っぽく聞こえるんだけど」
笑い声がカウンターに弾ける。
英雄たちの戦いは一段落とはまだいかない。
――商業都市、中央議会棟《金床の間》。
円卓に集まったのは、五大ギルドの代表たち。彼らの視線は、一人の男――俺、レンに集中していた。
「……君が《ティルフィア》封印解除のキーマンか」
皮肉めいた口調で言ったのは、《紅蓮の騎士団》のリーダー、ギース。豪快な外見とは裏腹に、駆け引きには長けた老獪な男だ。
「それに伴って生まれた新薬群の独占販売。君一人で背負いきれるか?」
「俺が背負う必要はない。市場が背負う」
俺は即答した。会議室に一瞬の静寂が走る。
「ほう、強気だな」
ギースが鼻で笑った。
続いて口を開いたのは、《聖翼会》の女代表レメディア。神殿ギルドらしく清廉な態度を装いながら、言葉には棘がある。
「けれど、流通を絞れば混乱が起きます。癒しの恩恵を一部の者だけに与えるなら、それは“搾取”です」
まるで聖人のような言い方に、俺は笑った。
「癒しが必要な最前線で、その薬が命を救う。ならば、必要なのは“公平”ではなく、“確実な供給”だ」
「言い換えれば、選ばれた者のために?」
「選ばれた者」であるギルド代表たちが一瞬息を呑む。
「……なるほど。ならば交渉だ」
《鉄牙連合》のマスター・ドランが口を挟む。寡黙な実利主義者。こいつが動いた時点で、会議は実質“ゲーム開始”だった。
「条件を出せ。納得すれば協力、気に入らなければ……別ルートを探るまで」
それは暗に、「君の首を絞めるのも簡単だ」と告げている。
「了解。条件は三つ」
俺は淡々と指を立てる。
「一つ、三ヶ月間の独占販売。その間、素材供給は俺のギルドと提携した者に優先的に配布」
「つまり、我々が君の“提携ギルド”になれと?」
「選べるのはこちらだ。協力するなら等価の対価を」
静かに、言葉の刃を振るう。
「二つ、新薬の開発工程および配分は逐一記録し、《セレスティア・ネットワーク》に監査を委託する。つまり、信頼を担保に情報は共有する」
アリアが目を細める。
「私を盾にして信頼性を担保しようってわけね」
「適任だろ?」
俺は笑い、三本目の指を立てる。
「三つ目。薬のレシピは三ヶ月後に公開。ただし、同じ効果を持つレシピは一年間、俺の店舗系列が特許を持つ。つまり……後発は俺を超えられない」
「……!」
ギースが舌打ちし、ドランが重く椅子を軋ませた。
「悪くないな」
レメディアが口元を抑えながら小さく笑う。
「強欲で、周到。しかも全てに抜け道がある。損をしたくないなら、君に乗るしかない」
アリアが改めて立ち上がった。
「――《セレスティア》はこの条件を了承します。他は?」
一拍の間。
「……面白い。乗った」
「興味深い賭けだ。乗らせてもらおう」
「面白くなってきたな」
「……協力する」
全員の承認が揃った瞬間、交渉は幕を下ろした。
そしてその裏で、俺はひとつ息をつく。用意した言葉と資料は、全て彼らの想定ギリギリの範囲を踏み越えた“仕掛け”だった。
目的はただひとつ。
――三ヶ月間、この市場を完全に掌握すること。
「さあ、舞台は整った」
俺はにやりと笑う。