001.行商人、始める
基本的に1話2000字前後で書いています
ログインと同時に、潮騒のようなざわめきが耳を打った。
画面の奥に広がるのは、まるで中世の港町を思わせる賑わいだった。石畳の広場には露店がひしめき合い、商人たちが喉を張り上げて叫んでいる。背後には木造の大きな商館、その奥には海がきらめいていた。
――ここが《オルタナ・クロニクル・オンライン》の商業都市〈マルシェ・ブランカ〉。
そして、自分の冒険の始まりの地。
「……おお」
望月レンは思わず感嘆の声を漏らした。VRMMOとは思えない空気感。人の息遣い。風にたなびく旗。香辛料の匂いすら感じられる気がする。
だが、感動している暇はなかった。
レンはステータスウィンドウを開き、自身の職業欄を確認する。
【名前】レン・モチヅキ
【職業】行商人(クラス:ノービスマーチャント)
【Lv】1
【スキル】《価格交渉(初級)》/《相場感知(劣)》/《在庫管理(手動)》
やはり、ひどい。
戦闘スキルは皆無。HPもMPも雀の涙。一般プレイヤーから見れば「捨て職」とも揶揄される存在だ。
だが、レンの目は真剣だった。
「……最初の目標は、まず“資本”を得ること」
彼の手元には、初期支給の300Gしかない。下級ポーション2本買ったら消える額だ。
普通のプレイヤーなら、チュートリアルのゴブリン狩りに向かうだろう。しかしレンは違った。
彼が向かったのは、街の中央にある“中古品交換所”。要するに、ゴミ処理場だ。
「お、君もスクラップ漁りかい。珍しいな、行商人の新人さんなんて」
店番の中年NPCが笑う。周囲には、誰かが捨てていったボロ装備や、壊れたツールが山積みされていた。
レンは、片っ端からアイテムに視線を走らせていく。
《錆びた釘》:売価0G/用途:なし
《焦げたパン》:売価1G/用途:食べられるが腹は壊す
《折れた弓弦》:売価0G/用途:クラフト素材(低確率)
そして、その中に――一つ、目が止まった。
《未鑑定の布きれ》:???
(これ、ランダム生成素材か? 運が良ければ、NPCが買い取ってくれる高級品に化ける……!)
彼は即座にスキル《相場感知(劣)》を起動。目を細める。
――価格反応あり。推定市場価値:15G〜30G。
「……買いだな」
レンは20Gでそれを仕入れると、すぐさま露店エリアの端へ向かった。
ゲーム内で許可されている簡易露店システムを起動し、購入したアイテムを並べる。
【商品一覧】
・未鑑定の布きれ:販売価格18G(1個限定)
・錆びた釘セット(10本):1G
・焦げたパン:おまけ付き!
看板には、こう書かれている。
「目利きの貴方に。掘り出し物あります!」
周囲のプレイヤーは素通りしていく。だが、レンは動じない。
「この世界は、売れた者が勝つ。そして……売れる商品は“売り方”で決まるんだ」
まもなく、一人の弓使い風プレイヤーが足を止めた。
「ん? これって、もしかして……」
彼は「未鑑定の布きれ」をじっと見つめ――
「買いだな!」
ジャラ、と音を立てて18Gがレンの懐に転がり込む。
「……はい、初売上」
レンは静かに笑った。
資金は20Gから180Gに――9倍。
たった一つの布きれで。
まだ、ほんの序章にすぎない。
「仕入れ、流通、需要と供給」
初めての売上で得た180G。その硬貨の重みを、レンはしっかりと胸に刻みつけた。
「……これでようやく“商売”のスタートラインに立てた」
とはいえ、これだけの金ではすぐに詰む。稼ぎを拡大させるには、仕入れルートの確保と、なにより“需要”の読みが必要だ。
(初心者が集まるエリアには、必ず“不足するもの”がある。狩場に行く前に買いたい消耗品とか、クエスト用の雑貨とか……)
彼は街の掲示板へ向かうと、掲示されていたプレイヤー同士の「求むアイテム掲示板」を一枚ずつチェックしていった。
【求】生木の枝10本(初心者クラフト用)
【出】薬草×3 or 100G
【求】パスタの材料セット(NPC食堂に納品でクエスト達成)
【出】経験値×500+クッキーバフ(30分)
「パスタセット、か……。材料は、たしか港の市場に売ってたはずだな」
レンは食材屋に急ぎ、NPCから格安の“仕入れ”を行った。
・小麦粉(2G)
・水袋(1G)
・卵(3G)
合計:6G
彼はそれを「パスタ材料セット」としてまとめ、8Gで掲示板の依頼主に売却した。
粗利はたった20Gだが――これは、レンにとって大きな“確信”だった。
(この世界でも、“安く仕入れて、需要地に売る”というサイクルは機能する)
しかも、他のプレイヤーは戦闘や装備にばかり目を向けている。誰も、食材や雑貨の流通には目を向けていない。
なら、自分がやるまでだ。
レンはマルシェ・ブランカを離れ、徒歩で近郊の農村「レダの里」へ向かった。
ここでは、NPCが安価で「ハーブ」や「枝」などの素材を売っている。が、地味すぎて誰も訪れない。
「こんな場所でこそ、“掘れる”」
彼はNPCの店で《生木の枝》《乾いた薬草》《安物の羊毛》を買い漁り、荷車に詰め込んで街へと戻った。
3時間後、レンの露店の前には人だかりができていた。
【商品】
・クラフト用素材パック(枝10本):特価8G
・初心者回復草(3個):12G
・布素材バンドル(染め用):15G
※「買っていくとおまけつき!」
売上はどんどん積み上がり、手持ち資金は500Gを超えた。
(これで、初期資本の“16倍”。この調子なら、今夜中に1000Gも夢じゃない)
ふと、通りを歩く戦士系プレイヤーが目に入った。見るからに廃人プレイヤー、レベルは10を超えていそうだ。
「お前……この商売、一人で回してるのか?」
「そうですが」
「へえ。珍しいな。“行商人”でそこまでやれてる奴、初めて見た」
戦士は去り際、意味深に笑った。
「気をつけな。“市場”は自由だが――敵も自由に動く」
その言葉の意味を、レンが理解するのは、もう少し先のことだった。
その夜、レンはログアウト前の手記にこう記した。
【行商人・活動記録01】
・初期資金:30G
・現資産:57G+在庫
・商品回転率:高
・課題:輸送手段の強化、売り場の差別化、競合プレイヤーの存在確認
そして一言――
「行ける。商売で、この世界を攻略できる」
小さなログハウスの倉庫に灯るランタンの明かりが、淡く彼の顔を照らしていた。