017,行商人、選択する
《ティルフィア中心部・封印の円環》
黒い剣は、何も語らない。
ただそこに、冷たい闇のように浮かび、選ばれるのを待っている。
それが“誰か”を必要としていることが、全員に痛いほど伝わっていた。
焚き火のないこの空間に、沈黙が降りる。
「……なあ」
最初に言葉を発したのは、カズだった。
火力特化のアタッカーであり、戦闘では常に先陣を切ってきた男。
だが今、その表情はいつになく真剣で――どこか、諦めのような色すら帯びている。
「俺がやる。ここまで来て、命惜しんで進めねぇなんてのは、ダサすぎるからな」
「待て」
即座に遮ったのはライトだ。
戦術士として数多の戦場を指揮してきた彼は、その言葉に強い拒絶の意志を込めていた。
「お前が消えたら、誰が前を張る? あの王冠戦、あいつのタゲ引きがなかったら突破できてなかっただろうが」
「それは……でも誰かがやらなきゃ……」
「そうだな。だが、“今”決めるには早すぎる。状況をもっと見ろ」
ライトは、レイの方を見た。
「本当に“誰かが剣になる”以外に道はないのか?」
その問いに、レイはゆっくり首を横に振る。
「解析の進行度は……正直五割以下です。たぶん、理論的には“代償なし解除”の道はある。でも、それが今見つかるかは……」
「現実的じゃない、ってことか」
俺が言うと、レイは小さくうなずいた。
「……私がやります」
レイが、静かにそう口にしたとき、
一瞬、空気が止まった。
「は?」
ライトが思わず聞き返す。
「私の魔力量と属性なら、術式との親和性が高いです。“剣”になるのに適性がある。
それに――私は、みんなみたいに“誰かを守る力”を持ってないから」
「それは違うだろ」
俺は、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。
「お前の考察と解析がなかったら、ここにすら来れなかったんだ。火力も前衛も回復も、“お前の知識”が支えてんだよ」
言いながら、自分の声が怒気を含んでいることに気づく。
「俺がやるよ、レン」
カズがもう一度、前に出る。
「お前じゃだめだ。お前がいなくなったら、この店畳むしかねぇ」
「誰が店の話してんだ!」
「してるだろうが、現実の話をな! ここで誰かが消えたら、現実の俺たちにも、空白ができるんだよ!」
その言葉に、レイがはっと息を呑む。
――そうだ。
これは、ゲームの“中”の話であって、同時に、ゲームの“外”にも確かに繋がっている。
ここで誰かが“剣になる”ということは、少なくとも――
ログイン不可、あるいは長期間の行動不能。
“犠牲”の代わりに得る解放だ。
選ぶには、覚悟が要る。
されど、簡単に許していいわけがない。
「俺に……やらせてくれ」
ライトが静かに言った。
「お前が?」
「ああ。ギルドの指揮は次に任せりゃいい。戦術士は、駒を使うだけじゃねぇ。時に、自分が駒になることも選ぶべきだ」
「……ライト、マジで言ってるのか?」
「マジだ」
そう言って、ライトは一歩、剣の前に踏み出した。
――その瞬間。
剣が“震えた”。
誰の手にも触れていないのに、まるで、意志を持ったかのように――黒い刃がわずかに、空間に波紋を走らせた。
「……反応した、のか?」
レイが驚きに目を見開く。
「いや、違う」
俺は呟いた。
「“選ばれてない”。……拒絶、された?」
静かな剣の周囲に、拒絶の波動がわずかに漂っていた。
「もしかして、“資格”が……?」
「“剣になるべき者”は、すでに決まってる?」
全員が、一斉に俺を見る。
「……なんで、俺?」
そう呟いた俺の胸の奥で、何かが、淡く、微かに、共鳴していた――。
《封印の円環・祭壇空間》
空気が、凍りつくように静まりかえった。
誰の声も出なかった。
黒剣は――たしかに、微かに震えていた。
だがそれは、目の前に立つライトに対する共鳴ではなかった。
まるで“違う場所”へ、何かを訴えるように、空間の向こうを見ている。
そして。
剣が──ほんのわずかだが、“俺”の方向へ、角度を変えた。
「……え?」
無意識に一歩下がった俺に、剣の波動がピタリと追従する。
「……レン、まさか……」
レイの声が震える。
俺の胸の奥――そこに、“感覚”があった。
痛みでも、熱でもない。
もっと淡くて、それでいて、抗いがたい圧力。
まるで“帰ってきた”かのように、剣は俺を見ていた。
「……認識されてる。間違いなく」
レイがそう言った。
俺は剣に歩み寄る。
それを止める者はいなかった。
触れた瞬間、背中に雷が走るような衝撃。
けれど、手は離れなかった。
むしろ、“吸い寄せられていく”。
「レン……!」
ライトの叫びも、遠く聞こえた。
視界が、暗転する。
だがその奥に──“何か”が見えた。
* * *
──石造りの王座、血の滲んだ剣、
──崩れ落ちる玉座、膝をつく“誰か”の影。
──その胸に突き立つ、一本の剣。
──そして、光の中に現れる“鍵穴”。
* * *
俺はその幻を見た。
そして、理解した。
「この剣は、“元々俺のもの”だった……?」
言葉にした途端、黒剣が高く、音を立てて震えた。
否定ではない。肯定でもない。
けれど、間違いなく“答え”だった。
「レイ、これ……どういうことだ?」
ライトがレイに問う。
「……わかりません。でも、おそらく……この封印構造には、“適合者”が最初から組み込まれている。剣と共鳴できる魂。過去に……あるいは、何らかの“鍵となる記憶”を持った存在」
「つまり、俺の中に……“この世界のどこかと繋がった何か”があるってことか」
誰が設定したのかもわからない。
このゲームの構造が、シナリオが、俺に“何か”を背負わせていた。
だからこそ、今、この剣は俺を選んだ。
「……いいぜ。やってやるよ」
言葉に出した瞬間、剣が光を放つ。
黒だった刃が、うっすらと“白銀”へと変わっていく。
まるで、“認めた”かのように。
「お前がやるってことは、どうなるんだ? お前がそのまま戦線離脱ってわけじゃないだろうな?」
カズが険しい顔で問う。
「たぶん、剣になるってのは……“一時的にこの空間の一部になる”ってことだ。外部との接続は失われる可能性があるが、完全な消失じゃない」
レイがそう補足した。
「なら、やるしかねえか。お前の判断なら信じる」
ライトは短くそう言い、俺の肩を叩く。
「頼む。終わらせてくれ」
「……ああ、任せろ」
剣を握る俺の手に、力がこもる。
――この命、刃となることを選ぶ。
その瞬間、祭壇に音もなく“鍵穴”が現れた。
すべては、整った。
この剣が“鍵”となり、ティルフィア封印の最終段階へ――