014,行商人、街に戻る
久しぶりの舗装された石畳の感触が、重たい足取りを優しく包み込む。
《封鎖領域ティルフィア》から帰還して数日ぶりに商業都市〈マルシェ・ブランカ〉へと戻ってきた俺は、見慣れた通りを抜け、馴染みの木製の看板を見上げる。
【蒼風堂】――最前線でも知られ始めた、俺のポーション屋。
ガチャリと扉を開けると、カランコロンと優しい音が出迎えてくれた。
「ただいま。……その後、売り上げどうだった?」
カウンターの奥で帳簿とにらめっこしていた青年が顔を上げる。
「おかえりなさい、師匠。今日も“いつも通り”って感じです」
そう言って頭をかくのは、俺の一番弟子兼店番――ミナト。きっちり分けた前髪と、少し気弱そうな表情がトレードマークの生産職プレイヤーだ。
「いや、本当にすまんな。店番、任せっぱなしで」
「いえいえ、そんな……お役に立てて何よりです!」
照れくさそうに笑うミナトの顔を見て、ようやく実感が湧く。
――帰ってきたんだな、俺は。
最前線での敗北の記憶が、まだ胸の奥で燻っている。
あの重く沈んだ一撃、蘇生すらままならなかった絶望感……忘れたくても忘れられない。
「次があったら、絶対勝てますよ」
不意にミナトが、まっすぐな瞳で言った。
軽いようで、たぶん本気なんだろう。
俺が戦場に立つ姿を見たことのない彼なりに、できる最大限の応援。
「……ああ、そうだな」
俺は棚のポーション瓶を一本手に取り、光に透かしてみる。
琥珀色の液体がきらりと揺れるその中に、自分の決意を映すように。
「万全の準備をして、勝ちに行くさ。――次は、必ずな」
言葉にしただけで、心の靄が少し晴れる。
負けの記憶に引きずられていた足元が、ようやく前を向く。
……言霊ってやつかもしれないな。
俺は静かに目を閉じ、再戦の時を思い描いた。
翌日。朝もやがまだ街の屋根を覆う時間、俺は商業都市〈マルシェ・ブランカ〉の素材市に足を運んでいた。
ここには、最前線とは違う“静かな熱気”がある。
ポーションに使う定番素材から、異国の交易でしか見ない希少草、魔獣由来の触媒粉末まで。ありとあらゆる“可能性の種”が、木箱と麻袋に詰め込まれている。
(今回のティルフィアは、“普通の回復”だけじゃ足りない)
あのレイド級ボスの瘴気――正確には“魔気”に由来するデバフは、回復だけでは解除できない特殊な仕様だった。
それを突破するには、状態異常に対する新たな耐性ポーションが必要だ。
「っと、これだ。“グレイグラス”……魔気中和作用あり。状態異常解除の素材候補」
商人の露店で見つけたのは、白銀色の苔のような草。
通称【グレイグラス】――ごく一部の冷暗域にのみ自生する、魔気を吸って輝く希少植物だ。乾燥しても効果は残るが、調合には温度管理が必須。扱いは難しいが、対ティルフィア用ポーションには外せない。
俺は即決で束を買い取る。
「次……触媒強化素材。“導魔晶”か“落雷石灰”あたりがあれば……」
ふたたび市場を回る。中級素材コーナーで、見慣れない赤黒い粉末の瓶を見つけた。
「これは……“焦熱ウロ粉”?」
聞き慣れない名だが、魔竜種の一部から採れる燃焼触媒だ。理論上は魔気を“燃やして打ち消す”副反応を起こせる。
「いいね、使えるかも。分解データ取らせてもらおう」
素材だけじゃない。研究も必要になる。
調合室に持ち帰ったら、分子構成を一度“アルケミテーブル”で分析し、組成パターンを確認するつもりだ。
素材市を離れ、帰り際――
「……っと、あれは」
とある細道で、ひとりのNPC老薬師が店を広げていた。周囲に客はいない。
「変わり種、ありますよぉ。……“千幻根”なんて、どうです?」
「千幻根?」
聞いたことがある。幻覚作用のある毒草だが、極限まで濾過・蒸留すると、精神強化や耐性上昇に転用できる“希少素材”になる。
「高いぞ?」
「あなた、前線から戻った目をしてる。……必要になるって、わかってる目だ」
「……買わせてもらおう」
金貨が音を立てて瓶に変わる。
荷物は重くなったが、胸の奥は軽くなった。
(これで、“対ティルフィア用”の新レシピが組める……!)
商業都市〈マルシェ・ブランカ〉の店舗奥。
そこにあるのは、俺の“もう一つの戦場”――調合室だ。
机の上には、選りすぐりの素材たちが整然と並べられている。
“魔気中和”を目的とした新ポーション、その名も――
【クレンズ・ブレス】(仮)
効果:魔気系状態異常の解除+耐性付与(一定時間)+軽度回復
前人未踏の配合になるが、これが完成すれば、ティルフィアのあの瘴気地帯を突破できる“鍵”になる。
俺は息を整え、静かに手を伸ばした。
「まずは基底液……いつもの《浄蒸水》からだ」
クリスタルフィルターで3回濾過し、氷結属性を帯びた魔法水。安定した液性で、どんな素材も受け入れる“優しい水”だ。
その中に、ひとつまみ――
「《グレイグラス》、低温抽出した粉末を投入……溶けろよ」
シュウゥ、と小さく泡立ち、液が銀灰色に染まっていく。
成功だ。次は、より強い中和反応を起こすための“触媒”を加える。
「……《焦熱ウロ粉》、1.3g……少しでも多ければ暴発の可能性がある」
呼吸を止め、慎重に加えると……液体がピリリと震え、わずかに色味が赤く揺らいだ。
(ここからが勝負だ)
俺は《千幻根》から抽出した微濾過エキスをスポイトで一滴。
精製液が、脈打つように波打つ。
「……反応、きた!」
脈動する液体が徐々に安定し、透明度を保ったまま、中心に“青銀の核”を残した。
「魔気を内部で循環させながら解毒……なるほどな」
理屈はこうだ。
魔気を“排除”するのではなく、“吸収・無力化”して体内に循環させることで、デバフ解除と耐性を両立する仕組み。
まるで――《毒をもって毒を制す》ような、異端の調合だった。
俺は小瓶に液を詰め、最後にラベルを貼る。
【蒼風印・特製】
《クレンズ・ブレス試製型》
数本だけ、試験分として生成した。コストはバカにならないが、ティルフィアでの勝率を引き上げるためには、ここで妥協はできない。
最後に深く息を吐きながら、俺はつぶやいた。
「さすがにここは妥協できないよな……完成したら高く売りつけてやる」
再戦の火蓋は、もうすぐ切って落とされる。
そのとき――
誰よりも先に、味方の命を繋ぐ一滴を届けるために。
レンは、今日も調合という名の“戦場”に立ち続ける。