009,行商人、名が売れる
《魔導砂漠》の遠征を成功裏に終えたレンの名は、最前線の中核ギルドたちにまで広がっていた。
特に、魔気干渉地帯で通用した《魔気耐性ポーション》は、その希少性と即効性から“次世代ポーション”として注目の的となる。
そして――
それは、誰かが“ビジネス”に目をつけるには、十分すぎる成果だった。
数日後、《前線都市ブラント》のポーション市場運営本部にて。
レンは、ギルド《暁ノ陣》の幹部NPC、《商務将校ファーゼン》に呼び出されていた。
「――正式に聞こう。君が、魔気耐性型ポーションの生みの親、“蒼風印”の調合師かね?」
その声は穏やかだが、背後にあるのは明らかな圧力と……取引の気配だった。
「そうだけど。何の用?」
「君のレシピ、“魔気耐性ポーション:Type-A”の登録を我が陣営で引き受けたい。権利は十分に保護される。君には《上級開発職人》の称号と、月額報酬3000Gを保証しよう」
「つまり、“うちに所属しろ”ってことか?」
「言い方はどうあれ、君の才能を正当に評価しているということだ。独立でやっていくには荷が重い。それに、他ギルドも動き始めている」
その言葉通り――レンの元には、次々と“誘い”が舞い込んだ。
貿易ギルド《銀の梁》からは「レシピ販売権を買い取りたい」という正式契約案。
開発系ギルド《賢者の環》からは「共同研究チームを立ち上げよう」という提案。
さらには、無言で金貨袋を積み上げ、「書類にサインしろ」とだけ言い放つ無法系プレイヤーギルドまで現れる始末。
「やべぇな……俺、一夜で“戦場の調合師”から“権利争奪の中心人物”になってんじゃん……」
だが、レンは迷っていなかった。
《RoD》の仲間たちに相談し、そして考え抜いた末。
彼は、ポーション市場の《レシピ登録委員会》にて、全ギルドが注目する中――自らの意思を告げた。
「――悪いけど、このレシピは売らない。貸さない。所属もしない」
一瞬、場が静まり返る。
「……ほう。では、どうすると?」
ファーゼンが冷たい声で問う。
レンは、目を細めて、微笑んだ。
「《蒼風印》として、“俺の手で供給し続ける”」
「ッ……!? 君は、前線にずっと常駐するつもりか!?」
「いや、無理だよ。でもな――俺には仲間がいる」
そこには、砂漠でともに素材を送ってくれた採取班。
裏で乾燥・精製を続けるミナトたちの姿があった。
「供給網は、すでに動き出してる。“レシピを売る”より、“作って届ける”ほうが、信用になる。戦場ではな」
それは、巨大ギルドによる“囲い込み”への反逆だった。
静まり返った会議室の空気を破ったのは――拍手だった。
「フフ……面白い。君のような職人が、ここで生きるというのなら――」
それは、《賢者の環》の副代表、《ロリシア調合士長》の静かな声だった。
「よかろう。我らも、蒼風印のポーションを“買う側”として誠実に取引しよう。“レシピを奪う”時代は、もう古い」
その日を境に、“蒼風印”は一つのブランドから、《信頼ネットワーク》という存在に変わった。
量産力では大手に劣っても、
現場対応、品質保証、緊急支援体制で、圧倒的な実績を築いていく――
「レシピが売り物なんじゃない。届け方が、俺たちの武器なんだよ」
特殊称号を獲得しました:
《蒼風の供給者》
効果:自作ポーションの効果持続時間+10%、交渉時に信頼度ボーナス獲得。
特殊称号を獲得しました:
《独立調合師》
効果:一部ギルドの勧誘を自動拒否/独自ブランドの拡張可能
「初めて数日でこんなに取れるってことは、案外、称号ってレアでもないのかもな……」
頬杖をついたまま、レンは視線を空に浮かぶシステムウィンドウに投げていた。
【称号取得:「独立調合師」「蒼風の供給者」】
ギラつくわけでも、まぶしい演出があるわけでもない。
でも――そこには、確かな“成果”の重みがあった。
……いや、あるはずだった。
「これで、二店舗目か……」
最前線都市に構えた新しい店。
素材収集のために初心者生産職プレイヤーを数人雇い、内装のレイアウトを細かく決め、毎朝の在庫チェックと配送管理まで、全部自分でこなしてきた。
その結果が、称号二つ目。そして二号店。
「……感慨深いような、そうでもないような……?」
あまりに怒涛すぎて、感動する前に次の段取りが押し寄せてくる。そんな感覚だ。
と、そのとき――
「ちなみに言っておくけどな、称号三つ持ちなんて、そうそういないからな……?」
カラン、と入口のベルが鳴り、ため息混じりにそう告げてきたのは、ギルド《Ring of Dawn》の戦術士、ライトだった。
癖のある白髪と涼しげな目元が印象的な青年。レンと同じく、ゲーム内の第一波プレイヤーだ。
「また勝手に店に入ってきたな。せめてノックしろよな」
「なんだよ、顔見たら元気出るって言ってたの、お前だろ。ほら、称号ふたつ取得記念のドヤ顔してみ?」
「しねーよ」
ライトとは、同い年であることと、現実でも同じ県に住んでいるという小さな共通点があった。
それだけなのに、なぜか妙にウマが合って、気づけば最前線に来てからはよく店に顔を出してくれる数少ない“リアル寄り”な関係になっていた。
「なぁ……お前、もうプレイヤー生産職のトップ層だよ。自覚してる?」
「してない。自覚すると足止まるから」
「……はは。だよな。お前、昔からそういうとこあるよな。止まらずに前だけ見てるクセ」
「昔って最近知り合ったばっかだろ。それとクセって言うな」
ライトが笑う。レンも、肩をすくめて笑い返す。
称号がいくつになっても、拠点が何店舗に増えても――
この空気だけは、変わらない。
そしてその日、レンはまた一つ新しい計画を立てることになる。
――三店舗目の拠点。
戦場のさらに奥、“封鎖領域ティルフィア”にて。
まだ誰も素材供給拠点を築けていない、未開の最前線。
「……ここから先はな……」
新たな風が、レンの背を押していた。