鉄観音と八角が利いた西洋情人節の進物
挿絵の画像を生成する際には、「Ainova AI」を使用させて頂きました。
国民中学や高校で受講した日本文化の選択授業でも習ってはいたけれど、こうして実際に日本の大学に留学してみると色んな違いに気付かされるのよね。
残す所あと数日に迫った冬のバレンタインデーなんか、その良い例だと思うんだ。
敢えて「冬の」と区別した事からも分かるとは思うけど、私こと馬秋桜の故郷である台湾だと情人節ことバレンタインデーは夏と冬の二回あるの。
新暦の二月十四日は日本と台湾で共通だけど、旧暦の七月七日を「七夕情人節」と呼ぶのは台湾を始めとする中華圏だけ。
しかも日本の場合、バレンタインデーは女性が男性にチョコレート菓子を贈るのが一般的らしいの。
「そうなると、私が菊池君にチョコレートをプレゼントする事になるのか…」
それが日本式の習わしなら、郷に入っては郷に従うのが筋なのだろうね。
「だけど折角なら…いかにも『私が作った』という個性を盛り込まないとね。台湾島の中華民国で生まれ育った、私ならではの個性を。」
候補は幾つか考えた。
だけど落花生やカシューナッツを刻んで入れるのは日本でも普通にやっていそうだし、台湾名物のパイナップルケーキやヌガーを核にしたらカロリーが高くなってしまう。
色々考えたけど、今回は湯煎したチョコの隠し味に拘る事にしたんだ。
「台北市文山区産の木柵鉄観音に、調味料コーナーに並んでいた八角パウダー。輸入食品店で買ったら割高になっていたけど、下宿の近所のスーパーが置いてくれていたのには助かったわ。」
下宿大学生にも優しいグローバル化の流れに感謝しながら、私はチョコレート作りに取り掛かったの。
滑らかな液状になったミルクチョコの中に、鉄観音の茶葉とパウダー状の八角が沈んでいく。
その独特の芳香はバレンタイン用のチョコレートというより、むしろ茶葉蛋を作っているようだったわ。
こうして手作りチョコレートを完成させた私は、自習に託つける形で菊池君を大学に呼び出したの。
「ちょうど良かったよ、馬さん。僕も馬さんには会いたいと考えていたからね。」
春休みの最中に呼び出されたというのに、一階の交流スペースに現れた菊池君は随分と乗り気だった。
単にガールフレンドからの誘いを喜んでいるだけとは、ちょっと思えないのよね。
「メールを見た時には、本当に渡りに船だと思ったよ。これ、馬さんの口に良いんだけど…」
そうして嬉々とした様子で鞄から差し出されたのは、老舗の和菓子屋の包装紙に包まれた菓子折だったの。
「えっ…菊池君、これは?」
予期せぬ流れに、私は思わず戸惑ってしまったの。
「馬さんの生まれ育った台湾だとバレンタインデーの事は「西洋情人節」と言って、彼氏の方がプレゼントをするんだってね。親日家の馬さんなら、きっと和菓子も気に入って貰えると思ったんだ。」
私が日本のバレンタインデーの風習を調べていたように、菊池君も台湾の情人節を勉強してくれていたのね。
しかし、そうなると私の手作りチョコはどうしたら良いのやら。
そんな意図は菊池君には無いと分かっているけど、先手を取られたみたいで出しにくいのよね…
「ところで、馬さん?さっきから背中に左手を回していて、まるで何かを隠しているみたいだけど…」
「あ、ああ…これは…」
こうなった以上、下手な隠し立ては却って良くない。
そう腹を括った私は、背中に回した手作りチョコレートを差し出したの。
結局、この一件は私達の間で笑い話として扱われる事になったの。
「知らずにお互いに用意していただなんて、まるでO・ヘンリーの『賢者の贈り物』よね…それにしても、菊池君。この生チョコ饅頭を作った四方黒庵ってお店、堺県奈良市の奈良町にあるのよね?この神戸から奈良町までは割と距離があると思うけど、そんなに思い入れがあるの?」
「思い入れがあるとしたら、僕自身というよりは僕の家族かな。僕の大叔母さん、この四方黒庵の女将さんに若い頃は色々と御世話になったんだって。その時の恩義もあって、今も贔屓にしているみたいだよ。」
至って何気ない口振りだけど、私は菊池君の義理堅さに改めて驚嘆したの
二世代も前の縁を今でも大切にしているなんて、今の若い人達にはなかなか出来る事じゃないよね。
「それにしても、馬さんのチョコレートには郷土愛が込められているよね。鉄観音の茶葉と八角が入ったチョコレートって、いかにも台湾って感じがするじゃない。」
「菊池君もプレゼントを持って来ていたから、最初は『どうした物か…』って戸惑っちゃったけど…そう言って貰えるなら、作った甲斐があるという物よね。」
そうして生チョコ大福と鉄観音入りチョコレートをお茶請けに話し合った結果、私達の間ではホワイトデーは行わない事にしたの。
日本と台湾の折衷方式でバレンタインデーにプレゼントを交換し合う事になった訳だし、そもそも台湾にはホワイトデーが存在しないのだから、至って妥当な判断ね。
その代わり、三月中旬のホワイトデーシーズンには近場の関西圏内でデートをする計画が立てられたわ。
「せっかくだから、この四方黒庵のある奈良町を行き先に出来ないかしら?この界隈には町家が沢山残っているから、古き良き日本情緒が楽しめそうだけど。」
「良いんじゃないかな、馬さん。僕も四方黒庵の女将さんには直接挨拶をしておきたいし、それに三月中旬にはホワイトデー用の和菓子も出ている頃だからね。」
こうして私達二人の次のデートの行き先は、奈良町を始めとする奈良市の歴史散策と相成ったの。
色んな意味で、今から待ち遠しい限りよ。
何しろ町家を始めとする古き良き日本情緒の実地見学は、日本文化を理解する上で大きな一助となりそうだからね。
この貴重な経験を、来年度の講義にもきっと活かしてみせるんだから。
それにしても、まさか台湾と日本のバレンタインデーの違いが次のデートに影響を及ぼすとはなぁ。
日本には「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺があるけど、世の中の因果関係というのは本当に複雑極まりない物ね…