「#明治神宮赤い風船」ー赤い番傘の角度を上げてもらいー
疎らなりにもいる他の参拝客が、明らかに雰囲気のあるスレンダーと妊婦の女二人組のやり取りに気づくと、同じ様に指を差したり、口を開けたりをした。ついには楠の下に人が集まり出し枝の先に向けスマホでの撮影が始まった。もちろん姉も撮影していた。妹は相変わらず探し続けた。
あっという間に三十人ほどが集まっていた。境内に散らばる権禰宜さんたちも箒の手を休めては目の上にかざしたりをして、毎日見慣れている巨木を眺めた。手水舎で洗ったばかりの手を拭きながら話しかけてくる新たな参拝者と指を差し合い、汗が伝わる首を捻ったりもした。
学生のような歳のカップルの男が、どうにも見つけられずにイライラする可愛い彼女の態度をからかっていると、有名な女優がすぐそこにいることに気が付いた。男は彼女にそのことを教えた。若いカップルの二人は木の枝先から、地上の女に興味が移った。間違いないと確信した彼女の方が彼氏の静止を無視して、ビールのCMで見たショートボブの髪型を真似たことのある女優に声を掛けてみた。テレビや雑誌で見るよりも実際は更に細い身体のすっぴん女優は、そのままでもきれいだったし昨年末に終わった太河ドラマの役柄みたく、冷たい角度で口角を上げ微笑んで頷いてくれた。
「見えますか?」緊張を隠しながら女は女優に聞いた。
「はい。でもそこにいる妹は見えないっていうですよ」最近は声を掛けられても緊張しなくなった姉は妹に視線を向けた。
冷たい微笑みだった割には、口調は丁寧だったし少なくとも話しかけられたことを鬱陶しく思っているとは思えなかった。若いカップルの女は、行くしかない、と判断した。
「羽山ミキさんですよね? すみませんが、一枚一緒に撮らせていただけませんでしょうか?」女は自分のスマホを掲げた。枝先などどうでもよかったのだ。
女優は一瞬逡巡したが、自らサングラスを取り堂々とすっぴんの顔を晒した。姉が人から声を掛けられる場面を初めて見る妹はうれしそうだった。しかしカップルから始まった即席の撮影会は三十分以上続くこととなった。注目が木の下に集まっているうちに、いつの間にか「風船」は消えていた。あるいは誰にも見えなくなっていた。
照葉樹に覆われた参道を代々木口まで戻り、最後の鳥居を潜ると中に向かって頭を下げた姉妹は母親に連絡してからタクシーに乗り込んだ。姉は実家に向かう涼しいタクシーの中で今さっきの出来事をツイートした。「#明治神宮赤い風船」をつけ、緑葉豊かな楠の写真を添付してみたのだ。
明治神宮の木に引っかかっていた不思議な「赤い風船」を沢山の人と見たけれど、見えない人も沢山いた。 謎すぎる「この風船」を見える人はいますか? あるいは見えない人がいるのですか?
夜になると彼女のツイートは、ネットの芸能ニューストピックとなり、十万、二十万の反響があったものの、重慶で女優人生を賭けている間に・・・・・・いやもっと早くにだ・・・・・・最愛の妹が勤勉なパテシエと石畳を歩いた日までにはすっかり忘れ去られた。覚えていたのは妹と母親、話を聞いていた新郎くらいだろう。紋付と角隠しとで境内を練り歩くとき、身重の新婦は赤い番傘の角度を上げてもらい左側の「夫婦」ではない方の楠を横目でみやったものだ・・・・・・。




