アイ・ラブ・カワサキ ラストライブ ー花とステンドグラスのある街ー
デモというものに初めて参加した、MA-1に迷彩柄の野球帽を被る二十代の女は隊列の後方を歩いた。頭上には繁華街で翻る国旗の隙間に平和そうな秋晴れがあり、左右には数多くの屈強な男たちが無言のまま乱闘服と揃いのメットを被っている。幾度か活躍した跡を残す盾を構え、使命感と拮抗する面倒臭さを隠しながら歩調を合わせていた。
左側の盾の向こう、そこは歩道からだったが、こちらに引けを取らない罵声、怒号が飛び交った。とにかく初めてだった女はさすがに歩き出しでは緊張したものの、精神治療の一環として閃いたこのカオスに徐々に慣れてくると、自分としては全く願ってなどいない、怒ってなどもいない、むしろひど過ぎはしないかい? と思う掛け声の後を追いたまに拳も振り上げてみた。確かに身体の内側から日頃の何かが発散されていく気がした。しかしだからと言って癖になる気はしなかったし、川崎に来て叫ぼうと決めたあの突然の閃きが最善の治療となる確信は未だなく、たぶんこのままないのだろうな、と逆に確信し始めそうだった。
ジュラルミンに守られる差別主義者が浴びる罵声にはそれほど稚拙なモノはなく、かつ熾烈だ。信念に元づく熱量は彼らの方があったろうし、頭数も倍以上である。ただそんな沿道にも例外はあるもの・・・・・・。
錦の御旗のもと休日に恐ろしく身勝手な差別を吠えることで、人生や現状で鬱積した胸の内を整えるのか、反人種差別という「錦の御旗」のもとで見ず知らずの他人を散々にからかい挑発を楽しむかの違いでしかないような輩も少数ではあるが存在した。
迷彩柄の野球帽を目深に被る女の背丈は170cm近くあり短髪頭だったことで、ジュラルミンの盾の向こうにいる者たちからは、単なる細身男の差別主義者と映った。考えてみればそのように見えるのはしごく当たり前なのだが、当の本人にその自覚はなかった。なるほど自分で把握しているよりもテンパっていたのかもしれない。だから角を曲がった辺りの沿道から割と執拗に「おい、そこのヒョロヒョロ野郎、お前だよお前」と指を差されているのが自分とは思ってもいなかった。女は沿道からの挑発を完全に無視する差別主義者が誰か気になってさえいた。
「お前だよ、迷彩野郎、無視すんなよクソレイシストの素人童貞っ!!」買い物客だけが歩けない状態になっている、カウンター有志に溢れる沿道がどっと笑った。
迷彩柄の衣服を着る輩は周りにいくらでもいるので、素人童貞が自分とは思ってもいない女が笑ってしまうと、隣で排斥やら侮辱やらを吠えている差別主義者たちも少しだけ笑った。しかし中にはさっきから散々に言われている同志にも、沿道の工作員に違いない小太りにも大変憤る者がいたのだった。
「コリアンパブで狙っていた女に冷たくされたからって、差別なんかすんなよ。散財しても抱けなかったのは国籍の問題なんかじゃねぇんだよ。お前自身の問題なんだよ。気が付けよ。頼むから気づいてくれよ。すばらしいキャバクラを知ってるから連れて行ってやるよ。だからもう差別なんかやめろ」沿道はさらに笑い、ジュラルミンの盾もさすがに笑った。女も笑ったしそこら辺の国旗もはっきりと笑った。
「おい、お前いい加減言い返せっ」一本の旭日旗が近寄ってくると、天然パーマで身体の大きなユニクロの白いフリースは真っ赤な顔をしていて、クスクス笑っている女を石で殴りつけるように怒鳴りつけた。
こちらは花壇を踏みつけられでもしたかのように女は驚き、握りしめる拳以外身体に力が入らないほどの怒りで睨み返した。毛羽立つフリースの胸にはアニメの缶バッチがいくつか留まっていた。
「男なら日本を守るためにもあいつに言い返せ」プラスチックの黒い竿を持つ白いユニクロの手は震えている。
「・・・・・・」女は挑発されていたのが自分だったことに驚くよりも、目の前にいる二足歩行の汚物に吐き気を催しそうだ。
「おい、迷彩くん、そこの巨漢にカマ掘られっからこっちに逃げてこい。そんで一緒にキャバクラ行こうぜ」
スラッシュメタル風の黒パーカーの小太りがニヤニヤ手招く。周りの反差別主義者も、身内同士でトラブりそうな奴らの雰囲気が楽しくてワクワクだ。
「差別主義者の○モ野郎っ、俺の友達に手出すなよ」小太りは調子に乗り、今ではすっかり差別的とみなされる発言をしたのだったが、思わぬ展開に場の雰囲気は吹き飛ばされた。
「お前のせいで俺まで○モにされたぞっ」ユニクロは女の胸倉を掴んだ。毛もくじゃらの大きな右手だった。
ジュラルミンの何枚かが反応した。内と外の小競り合いには手を挟むことになっているが、身内同士のいさかいなどほっとけるならほっときたい。
「女に怒鳴ったり手を挙げるような男が一体何を守れるのか教えてよ」怒りと恐怖で目頭が熱くなっていたが、身体に力は戻ってきた。
女が帽子を取ると周りの国旗は一瞬静止した。揃いのメットのいくつかも横目を使って確かめた。プチ内ゲバを期待していた沿道は軽くどよめいた。
「女なら女らしくしろよ」ユニクロは女の胸倉を掴んだまま、手の離し方を忘れてしまうくらい動転したらしかった。
「女の子でも日本の為に、一緒に闘ってくれているんですよ。ここにいるのは男も女もみんな国を憂える仲間です。この子はさっきから小汚い挑発を無視することで立派に闘っています。さぁ、もうあなたはもといた場所にお戻りなさい」初めから隣の同志の性別に気付いていた、紺色のポロのブルゾンを着る五十代のごましお頭は、女の胸倉にあるユニクロの大きな手を解くと背中を優しくポンポン叩いた。
一気にかいた額の汗を小汚い袖で拭い、毛量豊かな天パーをかき上げユニクロは立ち去った。ごましおは若い女に目配せして微笑んだが、力の弱そうな者へ思い込みで怒鳴るアニメ好きの大人と、見て見ぬふりをせず他者を庇うことのできる大人が一緒になって差別を叫ぶこの集団に女は今更ゾッとした。
南北に続くアーケード街「銀柳街」を横目に過ぎるとき、集団が発する悪意と挑発と説得、ホイッスル等が北側商店街の屋根に響き、いや爆音を轟かせ集団を形成する個々人の胸の内はより熱くなった。市役所通りを横断する信号を待っていた通行人はアーケードの屋根下に押しやられ、アーケードから出てこようとしていた買い物客は足止めさせられた。突然のゲリラ豪雨でもないのに多くの人々は屋根の下で待たされ、例外なく心の底から迷惑だった。それでも彼らは競うようにスマホで撮影する。そんなわけで気を良くしたのは人種差別者だけだった。
沿道の小太りは「ヘイトなんかやめてデートしよう」と言い出し、腰まで振ってきた。
女は無視した。顔を背けてアーケード出入り口の屋根に書かれている「花とステンドグラスのある街」というものを読んだ。こんなところで私は何やってんだろう? と思う。沿道の笑いには悲しみを思った。




