アイ・ラブ・カワサキ ラストライブ ー国民に向けた煽り運転ー
ゆっくりした川の流れのように、車道の端を流れ始めた国旗の群れにサンデードライバーは大迷惑し、ハンドルを握る彼の至って普通のところが好きになった唯一の理由である、デート中の女の子は異様な形相で微笑む群衆とトラメガのハウリングに脈が大いに乱れた。所々の信号は担当する警察の手動で切り替えられ、横切る国旗の流れを待つ車両は続々と連なってしまい苛立った。閉めた窓からでも聞こえてくる罵声をどう解釈したとしても、国を愛するが故とは思えなかった。これまで「愛国心」とは無縁で暮らしてきた多くのサンデードライバーは同じことを思う。あんな形の「愛」を示されたら保護会で運命の出会をした猫だろうと小雨のなか捨てられていた仔犬だろうと迷惑だぞ、自国に対するストーカー行為と変わらないし、 こりゃまるで国民に向けた煽り運転をしているだけだ!!
駅前の各バス停でバスを待っていた人や通行人は無差別に威嚇され、カウンターからは邪魔にされ、警察には無視された。発車するバスそのものも動けず、右ウインカーを点滅させることでこのバカ騒ぎに静かな抗議をするしかなかった。
取材に来ていた報道関係者も彼らと共に歩いた。怯える通行人を映し、怒れるカウンターの声を拾い、公衆の面前で露出する陰部にも劣らない心の陰部を露出するデモ本体に近づいてカメラを向けると、なぜかそれを無言で邪魔してくる警察が腹の底から鬱陶しかった。
反対側の歩道では沢山の見物人が足を止めた。ガラス張りの建物二階でカフェを楽しんでいる者たちは手元の漫画やスマホから顔を上げ眉間に皺を寄せた。向こう側で展開されている様がとてつもなく異様だったからだ。一人だったり、家族や恋人と、あるいは愛犬と退屈な休日の昼過ぎに出歩いている自分が遭遇しているのは何なのか、何を見ているのか、離れた場所で朦朧としながら見やった。
デモ隊、と言うか、俯瞰すればカウンター隊と警察もひとまとまりのまま市役所通りへ進むべく、意図的に切り替えられた信号を右折した。
いずれにしろ実際に歩きはじめたら、夜の自宅で一杯やりつつネットに向き合っているときよりもよほど怒りは収まり、雪雲よりも密かな侵略に気づかぬ国民の目を覚ます大切な訴えは、嫌悪感を露わにする視線や、我々に怖気ついているように見える通行人の表情に自己満足するだけで事足りた。百本近い旗竿と、双方でいくつあるのか分からないプラカード、200枚のジュラルミンの盾が、奇声の含まれる罵声&寡黙の隊列となり、直角ならではのグダグダを発生しながら「川崎駅前東」のスクランブル交差点をわざわざ直角に曲がった。
車道は三車線となり、事前に規制されていたので道端には駐車車両車はなく、沿道だってかなり広くなった。
山ほどの警察にガードされ先頭を歩く大物気分の六十代代表はすでに、排斥を訴えるために叫ぶ、用意していた五種類の単語がニ十五回づつ繰り返されていて、早くも彼のトラメガを追って連呼する声は半減した。行動する国士連中は少なくとも、同じ年寄りが発する、同じ単語を何回も何回も声に出すことにちょっとだけ飽きちゃったのだ。




